CASE.26 ティーチさん、アダマース王国を滅ぼすために、まずは海賊をやめましょうか? by.村木護

 ジーベック海賊団船長ティーチ――ティーチ・ジーベック・ロッコにとって、村木が自身の求めに応じて海賊船に乗り込むというのは、想定外の状況だった。


 元々、ティーチが村木が船に乗ることを望んでいたことは確かだ。

 だが、村木は子爵家のご令嬢――そんな彼女が子爵の地位を捨てて危険な海に赴く訳がないと心のどこかで確信していた。


 ティーチ・ジーベック・ロッコは、実は貴族の生まれである。辺境伯クロコダイル伯爵家――王家にも匹敵する地位を持つ貴族の名門の分家に位置するロッコ子爵家に生まれたティーチは、海の見える領地にある屋敷で育った。いつしか海に憧れ、その海の向こうの世界を見てみたいと願い、同じ志を持つ仲間達と出航し、最初は小さな帆船から始まった航海は大きな海賊船を持つにまで至った。その際にロッコ子爵家の地位を捨てたが、それには海に対する並々ならぬ憧れが必要だったと過去を振り返って感じている。もし、海に憧れなければ、取り憑かれなければ、ティーチは幸せな子爵の地位を捨て、危険な海に飛び出したりはしなかっただろう。


 しかし、村木に自分のような海への憧れはない筈だ。

 村木はロベリア――月村の友、その彼女がロベリアと離れ、海に出ようと考えるとは考えにくい。


「……私は全くもって不本意ですが、ロベリアさんのおかげでお嬢を失った絶望から立ち直ることができました。彼女が私とこの国や外の世界を繋いでくれていたんだと思います。その繋がりが無くなった今、私はこのアダマース王国という国に全くと言っていいほど価値を見出すことができません。……思い出は思い出として心に留め、一歩前に進む日が来たと思っています。ロベリアさんが……葵さんが旅立ったように、私も次に進もうと思っています。私はお嬢とロベリアさんのいない世界で何を為すべきなのか、それを探す旅に出掛けようと思います。勿論、家族の了承も得ています。……どうか、船に乗せてください」


 村木から事情と覚悟を聞き、ティーチは……彼女を船に乗せることを拒否した。

 近く計画していた出港も取り止め、ティーチはロベリアの身に起こった事件について独自に調査を始めた。


「ロベリアは俺が認めた女だ! あの高潔な捜査官が貴族の地位と捜査官の立場を剥奪されただと!? そんな話、あってたまるか!!」


 ティーチは表と裏の人脈、持てる全てを駆使してロベリアの現在の状況を調べさせた。

 そして、情報屋達からもたらされたのは、ロベリアを『魔女』と認定し、アダマース王国の騎士修道会がその命を狙っていること。


 ティーチはそのアダマース王国や至高天エンピレオ教団への怒りに身を焦がしながら、自分よりももっと辛いであろう村木に視線を向けた。


 村木はティーチほど激情を露わにはしていなかった。

 纏う空気感は凪のように静かで、その目には怒りの炎も闘志もなく――。


「アダマース王国、滅ぼしてしまいましょうか?」


 だからこそ、世間話でもするかのように村木の口から飛び出した言葉が、余計に真実味を帯びなかった。


「葵さんが幸せなら、私もそれで良いと思っていました。……ですが、その優しさに付け込んでここまでのことをするとは、余程死にたいようですね」


「おいおい、どうした? 村木さん、そんな簡単なことじゃねぇことはアンタもよく分かっているだろ! 村木さんが過激なのは俺達もよく知っているが……」


「私は平和主義の小市民ですよ。根が優し過ぎて、敵対関係の相手に対しても同情や罪悪感を抱いてしまう甘いところがあることが弱点だと自覚しています」


「嘘つけ! 村木さんが敵対関係の相手に対しても同情や罪悪感を抱くとか、何を寝ぼけたことを言ってやがる! 俺達の船にいきなり魔導収束砲を撃ち込んだ奴はどこのどいつだったっけ!?」


「昔は優しかったと思いますよ……ただ、もしかしたらこの世界で生きる中でお嬢の存在を拠り所にしていたことが災いして、お嬢の図太さや容赦なさが移ったのかもしれませんね。よって、私の責任ではありません。全ては、お嬢の責任です」


 あっけらかんと言ってのける村木に、ティーチ達は何も言えない。

 実際、村木も自分がかなり過激になってきていることに薄々勘付いていた。お嬢と共に長くいたせいで感覚が狂ったのかと思っていたが、お嬢の性格に似てきたのかもしれないと思い、内心溜め息を吐く村木。無論、本当に溜め息を吐きたいのはティーチ達の方である。


「それで、どうやってアダマース王国を滅ぼすんだ?」


「そうですね……ティーチさん、まずは海賊をやめましょう」


 村木のアダマース王国への全面戦争の準備計画は、まずティーチのアイデンティティの全否定から始まった。



 ◆◇◆◇◆



 結論から言えば、ティーチは海賊であることを放棄することはなかった。

 村木が「猛スピードで水上を進む魔法の船」を更に魔改造し、「猛スピードで水上と空中を進む魔法の船」を完成させ「今日から空賊ですね」と全く感情の篭っていない声で言ったが、「俺達は空賊じゃない! 空飛ぶ海賊だ!!」と頑なにそれを認めようとはしなかった。


 村木の作戦はティーチ達を戦慄させた。……と言っても、それはティーチ達が稼いできた全財産を丸ごと使う壮大な計画だったからでも、旅の資金がゼロになってしまうからでもない。


 村木は作戦を始める際にティーチ達に全財産を出させ、自分も持ってきたお金を全て出した。

 そのお金を使い、裏と表から食材を手に入れられる限り仕入れる――これが作戦の第一段階。

 船を空を飛べるように改造する傍ら、内部が時間停止する亜空間食料保存庫を設置し、そこに大量に購入した食材全てを打ち込んだ。


 そこから先は村木の仕事だ。ティーチ達にできることは出港を待つのみ。

 それから長い時間を掛けて、遂に計画が最終段階に突入する。珍しく村木がネーミングセンスを発揮して「ノアの方舟計画」と名付けた作戦の幕が切って落とされる。


 旧ハーバー伯爵領を出港するその日、村木の隣に見たことのない少女の幻影をティーチは見た気がした。


 派手な見た目の少女だ。周囲の目を釘付けにするほどの美人で、老獪のような感情の見えない笑顔を浮かべ、学園の生徒のような制服を身に纏っている。

 その少女が優しく笑い、村木の背中を押したように見えた。安心し切った表情を見せた幻影は何事も無かったように消え失せた。


「……俺の見間違いか? ……ったく、疲れているのか、俺は。ここからが大変だっていうのに」


 ティーチは出港の合図を掛けた。船が海上から浮かび上がり、空へと登っていく。

 ティーチはこれから起こることを考え、ゾッとした。未だかつて、裏の人間でもこれほど恐ろしいことを考える人を、ティーチは見たことがない。


「アダマース王国は今回の戦いを経て、確実に崩壊する」


 アダマース王国四巴戦争のダークホース――五つ目の陣営が遂に動き出した。



 ◆◇◆◇◆



 目を覚ますと、そこにアルシーアの姿は無かった。

 冒険者ギルドで出会い、アルシーアに弟子入りを志願したリーブラは、残された置き手紙を見て愕然とした。


『ごめんなさい。わたくしのことは探さないでください』


 手紙にポツポツと涙がこぼれ落ちる。尊敬するアルシーア――ロベリアと共に探偵として活動したその日々を思い出して悲しくなった……という訳ではない。


『へぇ、貴女、わたくしに弟子入りしたいの? 冒険者志望の方かしら? もっと強い人なんてそこらにごまんといるわよ?』


『えっ、そうじゃないって? 探偵志望? 貴女、探偵になりたくてわたくしに弟子入りしたいの? わたくしはしがない私立探偵よ? えっ、『完全犯罪』の大ファンなの? ……わたくしがロベリアだって知っているの? それは興味深いわね』


『貴女、なかなか洞察力があるわね。気に入ったわ。わたくしで良ければ、一緒に事件を解決してみないかしら? わたくしの相棒になってくださらない?』


『リーブラさん、凄いわね。貴女ならきっとなれるわよ、最高の探偵に』


 その楽しかった筈の思い出が、リーブラの心を掻き乱す。思い出す度に罪悪感が蘇り、大切な思い出が黒く染まっていく。


「私は……ロベリアさんの『完全犯罪』の大ファンだった、その言葉に嘘はないのよ。ロベリアさんの相棒に選ばれて嬉しかったのだって、本当なの……」


 自分に言い聞かせるように、言葉を繰り返す。

 そうでもしないと、リーブラは今この場で発狂してしまいそうだった。


「…………ごめんなさい、ロベリアさん。私は最低の人間だわ……。ファン失格よ。私は、ロベリアさんになんてことを。こんなことになるくらいなら、私は」


 何度も折れそうになる心を必死で奮い立てさせながら、リーブラはロベリアと相部屋だった宿の一室を出て、魔法学園へと向かう。

 ロベリアへの罪滅ぼしのために、そして、ロベリアを救うための力を貸してもらうために。


 それがどれほど厚顔無恥な願いであるかをリーブラは知っていたが、それでも何もしないということを許容することはできなかった。

 リーブラは、ロベリアの『完全犯罪』の中に込められた推理への並々ならぬ愛に感銘を受け、彼女の正義を理想とするようになったのだから。


 ――私は、ロベリア先生の大ファンです!


 今度こそ、そう胸を張って言えるように、一人の咎人は叛逆の一歩を踏み出した。



 ◆◇◆◇◆



 王国近衛騎士団騎士団長サピロス・アステリズム・コランダムが率いる部隊は、王国混成騎士団、至高天エンピレオ教団の騎士修道会、双方の中で最も早くロベリアに到達した。


「あら? もう追手が来たのね。……貴方達も大変ね。貴族の地位も捜査官の立場も失った、何もできない女一人を殺すために、こんなところまで遠路遥々。わたくしは、ただ推理小説を読めれば、推理をできれば、それだけで幸せなのに……それさえも許してくれないなんて、度量が狭過ぎる世界ね、ここは」


 白のブラウスに桃色のフレアスカートという町娘のような出で立ち。刀一つを佩刀した少女――『魔女』ロベリアは困り顔を浮かべていたが、すぐに鋭い双眸をサピロス達に向け、精悍な表情になった。


「わたくしには、わたくしの願いがあるわ。それを邪魔する者は何人たりとも許さない。……良いわ、来なさい。わたくしが全員纏めて、お相手してあげるわ」


 刀を抜き払い、青い輝きに染まった瞳を炯々と輝かせ、ロベリアは悪役令嬢らしく嗤った。

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