家 族

「お父様、天に召されるお母様をお見送りしましょう」


 火葬場の親族控室で、父は親族一人ひとりに挨拶に回っていた。一通り終わって息をついている父を会場の外に誘った。

 見上げると高い煙突の先から白い煙が立ち上り青空へと同化していく。


「お母様は隆太郎お兄様に会えたかしら」

「もうとっくに会ってるよ」

 父がふっと息を漏らして笑う。

「随分と老けたから、隆太郎が自分のことをわかるかしらと心配していたよ。変わらず綺麗だよと言ったら、真顔でからかうなと怒るんだ…」

 最後は涙声が震えていた。

「本当に涙って尽きないわね。泣くだけ泣いたのにまだ出てくる」

 涙を滲ませながら笑って父を見る。


 通夜の夜は交代で母に寄り添った。

「隆太郎様が亡くなられた時は、一緒に嘆き悲しんでくれる奥様がいらした。奥様が亡くなられた今は一人切りで、悲しみに耐えられる自信がないと仰られていました。どうかできる限り旦那様に寄り添って差し上げて下さい」

 父と共に母に寄り添っていた永井に、ぽろりと本音がこぼれたのだろう。

 葬儀の前に永井からそう伝えられた時は、私がいるのにと少し不満を覚えた。


 しかし、家族とは言え別個の人間なのだから仕方がないとも思う。

 私がどんなに父の気持ちを理解し心から共に悲しみ、寄り添っていると信じていても、完全に父の孤独を癒すことは無理なのだろう。

 それは父も私の感情に100%寄り添うことなどできないのと同じように。

 そうやって人の心はすれ違うものなのだろう。


「たまには私のことを娘ではなく、お母様だと思って泣いてくれて構わないわ」

 おもむろにそう言うと、いきなり何だよと笑う。

「無理だよ。蘭子は可愛い娘だ」

「それならそれでいいわ。私の前で子供みたいにわんわん泣いて構わないから」

「ありがとう。覚えておこう」


 しばらく間を置いて父が口を開く。

「お前はどうなんだ? 庸一郎君のことは…」

「自分でもよくわからないの。もう長いこと一緒に居過ぎてこの思いが愛なのか情なのか…だから保留よ。ずっと保留」

 いつまで保留なの?と自身に問いかける。

 いつの日か私の人生から庸一郎を切り捨てられる日が来るのだろうか。

 息子を見るような目で彼を見る父が死ぬまでか、あるいは同じように兄を追い求めてきた私自身が死ぬまで切り捨てられないのか。


「彼はお前に認めてもらおうと必死だぞ。健気に頑張ってる姿を見ると可哀相になるよ。まあ、一緒に過ごしたら、また違った局面になるかも知れないしな。よく考えたらいい」


 つまり父は庸一郎と別れて欲しくないと言っているのだろう。

 妬けるわねと呟く。

 何?と父が訊き返す。

 何でもないと素っ気なく返した。


「お父様、少し現実的なお話をしていい?」

 思い切って切り出した。

 父は悠然と何だ?と微笑む。

「私が自由にできる財産はどのくらいあるの?」

「何か欲しい物でもあるのか?」

「何だか憂さ晴らしがしたいの。何もかも忘れて……気持ちの整理が付いたら子供のことも考えようかしら」


 私は無邪気な笑顔を作って父を見た。

「庸一郎さんと分けるのだから使い過ぎてもダメでしょう?」

「庸一郎君? なぜ?」

「だって以前、養子縁組するって言ってたわ」

 父が、蘭子はお人好しだねと苦笑する。

「絶対に庸一郎君と養子縁組はしないようにとお母様に遺言されてる。杏紗と言いお袋と言い、女はそういうところだけはしっかりしているよな」


 数年前に亡くなった祖母は、祖父から引き継いだ財産全てを私に残すよう遺言した。祖母にとって最愛の息子も、自分より嫁とその家族を大事にする面白くない息子になっていたようだった。

 子供の頃、庸一郎家族と旅行に行った話を祖母に楽しそうにすると、

「全く、晋太郎は私を旅行一つ連れて行かないで、あちらさんばかりを大事にする。息子なんて生んでも良いことなんてありゃしない」

 と、父に対する不平不満が口を衝いて出る。


 父に、祖母を旅行に連れて行こうと提案すると、

「伯母様達が寄ってたかって連れ出してるからいいんだよ。結局、金はこっちが出してるんだから、蘭子は何も心配しなくていいよ。蘭子だって、お婆様とお母様の間で辛い思いをしたくないだろう?」

 どうやら、二人の間に立つのは辛いことのようだった。


 そして、長年の確執が全財産を孫に引き渡し、嫁に渡る可能性を潰すことで祖母は溜まった鬱憤を晴らしたのだろう。

 父は3人の姉の遺留分相続手続きが面倒だったとぼやいていたが、相続人を私一人にされたことについては、

「そんなことされても痛くも痒くもない。むしろありがとうと感謝したいね」と豪快に笑い飛ばしていた。

 母も、ゆくゆくは庸一郎の子供に財産が渡ることを阻止しようとしたのだろうか。

 この半年間の母への献身を見てきただけに、彼が気の毒になった。


 私が思う以上に母は私を愛してくれていたのかも知れない。

 なぜ私は母の愛を信じられず、私より庸一郎のほうが大事なんだと思い込んでいたのだろう。勝手に孤独を感じ傷つきながら、必死に愛されたいと願い求め続けた。もうすでに手の中にあるのも気付かずに。


「お父様、庸一郎さんと養子縁組しても構わないわよ」

 いや、と急に社長の顔にもどって冷徹な表情を見せる。

「お母様の言う通りだ。必要ない。蘭子は子供を作って庸一郎君よりも長生きすることだな」

「お父様はお母様の分も長生きしてくださいね」

「いいのか? 長く生きると再婚するかも知れんぞ?」

 そう言って父は冗談めかして笑った。

「構わないわよ、お父様が幸せなら。再婚相手が気に入らない女でも、悪口言ったり喧嘩しながらそれなりにやってくわ。きっと伯母様達は私の味方になってくれるだろうし…」

 うへぇと父の顔がゆがむ。

 私が声を出して笑うと父もつられて笑った。


「お、庸一郎君だ」

 見ると庸一郎がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 少し不満げな顔が、誘ってくれないなんてと疎外感を滲ませていた。

「いつの間にか姿が見えなくなってて焦ったよ」

「ごめんなさい。ほら、見て。お母様が天に昇って行くわ」


 見上げた庸一郎の瞳は、彼方に母を見ているような切なくも優しい笑みを含んでいた。

 ふっと深い息を吐く。

「これでやっと本物の隆太郎君に会えたね」

 誰に言うともなくぽつんと呟く。


 それは父と私に、天の母と隆太郎に、あるいは彼自身に向けられた温かい呟きだった。

 父や母、私だけではなかった。

 彼もまた、10歳、仲が良かった従弟を亡くしたその時から、庸一郎であり隆太郎である自分を演じ、駆け抜けてきた。


 私は思わず彼の手をとった。

「あなたはずっと本物だったわ。本物の庸一郎さん以外の何者でもなかった。母にとってもね」

 父もそうだなと応じる。

 父と庸一郎、私はいつまでも空を眺めていた。



終わり


最後まで読んでいただきありがとうございました。

心から感謝いたします。

                             

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青蒼の頃 ひろり @Hirori-T

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