根性注入

「君とのデートの数日後、」

 三度目の挑戦。

 三度目の正直。

 三度みたび、駄目だった。

……いや、待って。四回目、じゃない?

 首切り、首り、飛び込み……

………

 ま、まあ、細かいことはどうでもいいんだよ!

 あれだ。首吊りは中途半端だったから、ノーカンというか0.5回で!

 おほんっ。

 とにかくっ、私が服用している睡眠薬は、けっこう強力なんだ。メジャーな薬だけど、世界で一番、自殺に使われる薬。

 処方された分を一気に飲んだ。

 でも今の主治医が上手うわてだった。

 睡眠薬は次の診察日までの分、きっちり二週間しかもらえない。手元にストックできないように管理されてた。

 前のように一か月分だったら、けたかもしれないのに……

 はあ、本当にみんな、残酷だね。

 私に生きろ、生きろって。

 私が何も考えずに、死を選んだと本気で思ってるの?

 頑張って、頑張って、頑張って、そうしてようやく諦めたんだよ……

「……るさい」

 え?

「……うるさい」

 え、

「ちょ、なに……? ……何て、言ったの?」

「……うるさい、って言ったんだよ! いい加減に……しろ。馬鹿ヤロー!!!」

 僕は腕を振りぬく。



「ふげぶっ!?」



 殴った。

 殴ってやった。グーで右ほほを。


 やせ細って、死にそうな女の人を。

 精神を病んで、絶望して、

 好きに、なりかけている人を。




 でも、後悔は、ない。




「なにすんのっ!!!」

 殴られた勢いで思いっきりのけぞって。

 かさかさの唇かられ出た、力強い声。

「根性注入、です」

「はあ? なにそれ?」

 声に不穏なものが生じる。

 彼女はハムナプトラのミイラのようにベッドからのそりと起き上がり、しかし、恐るべき速さで襲い掛かってきた!

「女の子に手を上げるなんて、サイテーだよっ」

 首を絞められる、前に、その手から逃れる。

「最低で結構! あなたが死なないなら、そのくらい、へっちゃらですよ!」

 べー、と舌を出し、過剰なまでの演出をする。

「!!! ほんっとうにムカツク! 何様のつもり?」

 彼女の手は爪の先だけでも、僕に傷をつけようと迫ってきて、

「それはこっちのセリフだ! 甘ったれってんじゃねえよ!!!」

 空中で停止してしまった。



 先輩は今まで、散々、甘やかされてきた。

 かわいそう。お兄ちゃんと弟くんは立派なのに……

 変な子ねえ。ねえ、お母さん、どうしてカナちゃんは変わってるの?

 皆、彼女をそっとしておく。良識がある人ほど、彼女に触れない。

 先輩の家族は人格者ぞろい。

 辛い思いをしている、悩みを抱える先輩の気持ちをよく理解している。

 そして、近年はほぼ家族としか、接していない彼女。

 結果、誰も先輩を否定しなかった。

 それでずるずるきた。それでも、彼女はずるずる生きてきたから。

 だが、なあなあな後回しの対処はもう手遅れで、先輩は死のうとしている。

 今は劇薬が必要だ。

 劇薬、それは本音。

 だから、

「甘えるな! 簡単に死のうとするな! 追いていこうとするな!」

 死を引き留める時に、腐るほど使わて来たおどし文句。

 そして本来、心が弱っている人に、甘えるなは禁句中の禁句。

 なぜなら、そういう人は確かに甘えてるけど、確かに頑張っているから。

 それでも、

「甘えるな! 僕は……あなたに……生きていて欲しい!」


 僕は本音をぶつける。

 正しいかは全然分からない。かっとなって、いろいろ言ってしまった。

 やってしまったことは仕方ない。

 こうなったら逆上させて、生きる力を無理やり引き出させる。


「どうしてよ!?」

 当然の疑問。当然の困惑。

 しかし、僕は答えを用意していた。

 なぜって?

「それは……」



「何をしているんですか!」

 看護師たちが突入してくる。先輩はナースコールは鳴らしていない。援軍を呼ばなかった。人を信用しない彼女は、自分一人でりをつける気だった。

 僕らの大声は、部屋の前で待機していた彼らに筒抜つつぬけだった。

「離れなさい……! 彼女は安静にしていないと……!」

 だが、遅れて入ってきた主治医が、彼らを手で制する。

 無言で横に首を振る。

 実の父親も少し迷っていたようだが、医者を信じて、見守ることに決めたようだ。

 ファイト、続行だ。


 取っ組み合いが始まった。


 一発殴れば、一発殴り返す。

「どいつもこいつも生きろ、生きろ、うるさいんだよ!!! 明確な理由を示さないくせに!!!」

 ぼごっ

「だったら先輩が死ぬ理由には、ちゃんとした根拠があるんですか! ただ単純に嫌になったから、死にたくなったんじゃないですか!」

「……!!!」

 当てずっぽう、だが図星だったようだ。

 まあ、考えれば簡単に分かることだが。

「ええ。ええ、そうですよ。嫌になったんですう~ 悪い? こんな世界、一秒でも早くおさらばしたいに決まってるでしょう!」

 がすっ

 殴った分だけ、生気を込める。

「死にたいからって、命は簡単に手放しちゃいけないんですよ。みんな嫌々言いながら、生きてるんですよ。死にたくてもねっ」

 ばきっ

 殴られた分だけ、生きる意味を取り戻す。

 そう願う。

 ああ、本当に……こんなこぶしのやり取りは、男と男の友情の再認識だけでいいのに。

 くだらない。あと古い。

 なんでこんな、いい年した男女がやり合っているんだろう……

「私はそんな無駄な生き方をしたくないの。無駄なくらいなら、終わらせたいのっ」

 ぼすっ

「駄目です」

「どうしてよ!?」

 同じ問いが繰り返される。

 さっきは中断された、答えを言う。



「僕が嫌だからです」



 皆、唖然あぜんとしていた。さすがの先輩も言葉が出ない。

 我儘わがままだ。身勝手な願望だ。

 それが、どうした。

 ここは「あなたが好きだから」と言うべきところなんだろう。

 でも申し訳ないが、そこまで「まだ」好きになっていないのだ。何ていったって少ない、思い出が。

 インパクトはあったけど。一時の熱量でこの先、長く続くかもしれない寄り添いのリスクを、カバーしきれない。

 愛情という不確かなものだけで、彼女と一緒にいる辛さ苦しさ、面倒くささを一括いっかつ前払いで引き受ける覚悟は、僕には今はない。

 恋ではない。まだ。

 だから、ただ、嫌なだけなのだ。


「ははは……」

 ぺたんとお尻を床につける先輩。

「理屈がない、まったく道理がない」

 まったくだ。

「こんな理不尽なお願いは初めて」

 高揚して上気した表情のミイラもどきは言う。

「けど、悪い気はしない。どうしてだろう。全然論理的じゃないけど、」


「気に入らなくはない。気に食わないけどね」




 しばしの逡巡しゅんじゅん

 そして、飯島先輩は苦々しく唇をんで、どことなく嫌そうな顔で、

「ねえ……」

「はい」

 聞いてくる。

「私は君にとって、必要なの?」

「はい」

「私はこの世界にいてもいいの?」

「はい」

「生きていても……いいの?」

「……はい」



 きっとこれがありふれた恋愛映画なら、感動の場面でハッピーエンドまっしぐらだ。

 それなのに、彼女の目には涙の一粒もない。

 ただ淡々と、「うん…… うん、そうなのか」と事実を確認する。

 僕の目にも、もちろんない。

 流す理由が欠片かけらもない。

 むしろ涙を流しているのは、周りの方だ。

 乱闘の観客たちは何が嬉しいのか、笑いながら涙ぐんでいた。



「分かった」

 やがて、

「そこまで言うなら、」

 彼女は結論を出す。



「もう少しだけ、生きてみることにするよ」



 保留の答え。

 つまり僕らがちょっとでも間違えれば、また彼女は死を選ぶということ。

「はあ……」

 思わず溜息ためいきれてしまう。

「むっ」

 彼女は耳ざとく、聞きとがめる。

「何よう、嬉しくないの?」

「いや……嬉しいことは嬉しいですけど……」

 なんか釈然しゃくぜんとしない。

 ともあれ、最悪の事態は回避された。

 さあ、楽ではない道のりが始まったぞ。

 僕が彼女を引き留めてしまった。

 当然、「責任」が発生してくる。それもとんでもなく巨大な。

 はあ…… 既に気が重い。

 僕はできるだけ人生に、重荷を背負いたくない主義なのに……

 とりあえず、

 

 彼女は、とにかく、いろいろ軽すぎる。

 執着しゅうちゃくとか、信念とか、他者への期待とか。

 もちろん目減りした体重も。


 まずは重さを、地に足つける重量を、取り戻すことから始めよう。


「……なんか、言い方が微妙に嫌なんだけど」

「………」

……ああ、本当に、まらないなあ。

「「……はははっ」」

 二人分の笑い声が部屋に加わった。

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