Lost Memory.3.0

 私は大学時代、英会話サークルに入っていた。

 うん。言ってて、自分でも信じられないから、もう一度言おう。


 私は大学で、英会話サークルに所属していた。


 理由は単純。

「英語で話せたら、なんかカッコイイ!」

っていう軽薄な動機さ。

 といっても活動したのは、ほんの少しだけ。最初の一回と、不定期に年に数回行っただけだよ。

 まずサークルに顔を出したのが、勧誘のとっくに終わった六月だった。それでも新入生が一人も入らなかったらしく、上級生の皆さんは歓迎してくれた。イギリス人の女の先生を囲んで、十人くらいで英語で話した。

 緊張でてんぱって、知っている英単語を並べて、大仰おおぎょうに身振り手振りで、何とかコミュニケーションしてみた。そしたら先輩たちが、あ、そのサークルは英会話っていう特性上、ほとんどが教育学部の人たちばかりなんだ。うちの教育学部は小中、主に小学校の教諭きょうゆを想定しているから、ピアノを弾いたり歌を歌ったりする講義があって、その苦労話を聞かせてくれたよ。



 話がそれたね。



 で、私のたどたどしくも意味は一応通じる英会話を、先輩たちがめてくるんだ。

「すごーい。うまいうまい」

「そんなにすぐ言葉が出てくるなんて、才能あるね」

「俺が一年生の時よりも、断然話せてるよ」


 本気の本気。気力を振り絞った、一世一代の英語スピーチだからね。

 そのくらい出来て、むしろ当然くらいな? 出来てなきゃ困る、かな?

 笑顔を崩さずに部屋を退出した時は、汗だくふらふら。帰ってから二日は人事不省じんじふしょうだった。

 二度とごめんだと思った。

 それ以来、サークルに顔出すのが恐ろしい、考えるだけで憂鬱ゆううつだった。今まで属してきたどんなコミュニティでも、一回目の顔合わせはそれほど難しくない。続けてかよって会話をして、関係を維持するのが難問で、苦痛なんだ。そして何か言い間違えて、関係が気まずくなって、やんわり追い出されるか自分から離れてしまう。

 まさにコミュ障の典型だね。

 心技体。この三つがそろって、人間は一流と言われる。一流までいかなくとも、三つのバランスの良い人は重宝される。

 私は技術はある。何をやっても、最初からある程度こなせる。早熟タイプで努力しても伸びは悪いけど、一応成長する。

 体は中の上、上の下。同上。

 心は下の下。努力しても経験しても、全然成長しない。

 アンバランス、ここに極まるだね。



 サークルは「うん。今日は気分がいい。おしゃべりできる気持ち!」な時に、アポもなしで押し掛けることが多かった。みんな優しい人たちで、突然顔を出す私を温かく迎えてくれた。事情はついに話さなかったけど、何となく理解してたんじゃないかな。

 私がやっと卒業した時には、サークルに入った時の先輩たちは、とっくにいなくなっていたけど、教授はまだ在任でちょくちょく研究室に遊びに行っていた。

 でももう卒業して三月みつき、ふらふらしているのも頃合いだ。「See you !(さようなら!)」と先生に挨拶して、もうここに来るのも最後かなと思ったから「again!(また今度!)」とは言わなかった。研究室の扉を閉めて、感傷にひたる。

 この場所に「さよなら」を告げる。

 そして、階段を目指して交差路を曲がった先の廊下に、



 君がいることに気づいた。



 教授の研究室は、教育学部棟の七階にある。地上からかなりの高さだから、高所恐怖症の私は窓から外を見るなんて、とてもできない。これがこの場所に来づらかった一つの理由でもあるんだけど。まあ、鉄筋のしっかりした建物だから安心感はあるし、下さえ見なければいいだけなんだけどね。

 で、教育学部の建物に、なぜか農学部の君が居たんだ。(いや、この時は君が農学部ということは、私の頭の中で確定してなかったけど)

 距離はかなり離れていたけど、君だってことはすぐ分かった。私は視力が両目1.5ある上に、気になっている男の子のことは見間違えないよ。

 あれは絶対、君だった自信がある。

 君はしばらく目をつぶって、立ち尽くしていた。ものの一分もせずに覚悟を決めたようで、かっと両目を開き、窓を全開に開け放とうとした。

 しかし、それは叶わなかった。

 私はことは分かっていた。その理由を随分、前に知っていた。だから壁に隠れて、安心してのぞき見にてっしていられた。悪趣味かな? 誤解のないように言っておくけど、私も迷わずおどり出て、君の体を拘束したよ。

 で、気になるからくりなんだけど、上階の窓は「自殺防止」のために留め具があって、ほとんど開かないようにしてあるんだ。過去に同じように挑んで、成功してしまった人がいたのかもしれない。ちなみに精神科病院の入院棟だと、三階でも同じ仕掛けがしてあるよ。

 けっこうな騒音がした。閑散かんさんとして夕方の赤く染まった廊下に、留め具がぶつかる鈍い「ごりっ」という音が響いた。君は慌てて周囲を見回して、ことにほっとしていた。ばつが悪そうな恥ずかしそうな表情で、そそくさとその場を立ち去った。

 でも、私は隠れてすべてを見ていた。

 心に満ちる充足感、らしきもの、をみしめながら。

 だって、とてもとても、嬉しかったんだ。



 君が私と同じように人生に絶望して、死のうと行動を起こす人で。

 そして、私と同じように死への逃避口にせんがされていた、ただそのくらいで決意が揺らぐ、ちんけな人で。

 私は今まで死ぬ覚悟を決めた人は、とてつもなく強い意志を持っている人ばかりだと勘違いしていた。

 だから死ねなかった自分のことを、恥ずかしく感じてさえいた。

 同類がいたんだ。

 こんな中途半端な気持ちでも「死にたい」って思っていいんだ。

 君のことがもっと知りたい。

 君の考えていること、君が見えているこの世界の景色は、私と同じなのか。

 君はどうやって、この地獄で生き延びているのか。



 次の日から、君の「追跡」を開始したんだ。


                *


                *


                *


 おほんっ。

 追跡結果の詳細は、後日報告します。


 総評だけ述べま~す。


 君は変わってるけど、人付き合いとかの嫌なことを我慢できる人。

 心のさじ加減に偏りはあるけど、社会の偏りを許容できる人。

 ぐちぐち悩みながらも普通に就職して、普通に家庭を持って老いていく。

 病的な精神に悩まされながら、一生、隠し通して寿命を終える。

 それが君ならできる。

 恵まれているねと思うけど、あんまりうらやましくはないなあ。

 私はそこまで我慢してまで、凡庸ぼんような幸せを得るために、この世界に居座りたいとは思わないから。

 ぶっ壊れている。

 ぶっ壊れてる?

 うん、ぶっ壊れてる。


 君は社会のずる賢さ、劣悪さに戸惑とまどって、立ち止まっているだけ。

 ちょっと休めば、すぐに歩き出せる。

 お姉さんが肩を貸して、背中を押してあげた「つもり」。

 優しいでしょ?

 そして私を置いて、どんどん先へ進めばいいんだよ。

 どんどん、どんどん。

 追いつけない所まで行っちゃえ。



 行っちゃえ。


 

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