リベンジ

 年度末、大学の試験週間が終わった数日後、飯島先輩に呼び出された。さすが同じ学部の卒業生。スケジュールはばっちり把握されている。

 待ち合わせ場所は先輩の家の最寄りのコンビニ。

「今日は何をするんですか」

 また、下らないことに付き合わされるのだろう。それならそれでいい。何も大事おおごとが起こらないなら。お粗末な暗殺計画を繰り返して、彼女が日常に妥協すれば……僕の目標は達成される。

 

「いつかの、リベンジ、だよ。映画を見に行こう」


……いつか、とは。

「私のせいで、予定をキャンセルしたことがあったでしょ」

 思いめぐらし、やっと見当が付いた。最初の「デート」のことだろう。彼女自らトラウマを掘り起こして、気分が悪くなって予定を早く切り上げた。あれから「人質」の僕と先輩は、何度も逢引あいびきを重ねた。(逢引きという言い方が適当かは微妙だが)途中で僕は「共犯者」になり、名前は悪だくみ会合に変わったけど。

 てっきり、もう忘れているかと思っていた。

 なぜ、このタイミングで。

「なんとなく、だよ」

……まあ、そう言われればそれまで。別段、詮索せんさくすることでもないが。

 歯に物が詰まったような違和感を覚える。

 まとも過ぎるスケジュールが、異常のサインに思えてならない。

……考えすぎだ。

 ただの彼女の気まぐれだろう。

 今に始まったことじゃない。


 連れだって歩き、久々にショッピングモールに足を踏み入れる。

 この横顔と共に過ごして、もう半年以上になる。

 本人には絶対言わないが、感慨かんがい深いものがある。

 飯島先輩は二人分の席を予約していた。強引な誘いと前回のドタキャンのお詫びに、おごってくれるそうだ。観る作品も勝手に決められているわけだが。

「『運命』シリーズはめっちゃ面白いけど、最終章だから月路クンは見てないからパス。『鬼殺し』もTVシリーズの続きだからダメ。となると単発の完結作品、これしかなくて。私も見たかったからいいけど」

 一応、配慮はしてくれたらしい。

 アニメ限定なのはご愛敬あいきょう

 上映時間まで一時間以上ある。昼食もまだだったので、シネコン近くの「サントロンカフェ」でお昼を済ますことになった。



 サントロンはイタリアンレストランだ。

 初めて訪れたが開放感がある店づくりで、メニューが豊富だ。僕はカルボナーラを注文した。卵とベーコン、調味料しか入ってないくせに高いイメージがあって、好きだが外食では頼みにくい。ここのはリーズナブルだ。というかどれも安い。

「ここはベーカリーレストランが本職で、カフェは後発なんだ」

 先輩はアラビアータ。ショートパスタで唐辛子がいて真っ赤で、とても辛そうだ。物欲しそうな顔をしていたのか、

「一口食べる?」

と聞いてきたが、二つの理由で遠慮しておく。

 僕は辛いものは苦手だ。

「ベーカリーレストランも大学の近くに店舗があったけど、ちょっと前に潰れちゃった。月に一、二回『ポイント10倍デ-』があって、その時だけいっぱいお客が来るんだ。うちもその中の一家族。すぐカードのポイントがまって、お皿やらティーカップやら、どしどしもらえた。そんなことやってたから、赤字になったのかな。ポイントデーがなくなって、最後に行った時は店はがらがらだったよ」

 それは……ご愁傷様しゅうしょうさまという他ない。




 上映時間が近づいてきたので、カフェで会計を済ます。(ここは割り勘だ)

 僕たちは券売機は素通りして、受付に向かう。

 席はコロナの関係で、一席開いて確保されていたが、受付の人は「カップルさんでしたら、お隣同士でどうぞ」と気の利いたことを言ってくれた。

「お言葉に甘えようか?」

 ちらちら上目遣いで見てくる先輩。

 頬はほんのり赤い。

「僕はカップルじゃなくて、ただの共犯でしょう?」

 小声で、鉄板の理由を突きつける。

「そうだけど…… ぶぅ~」

 不満そうだ。

 どうされます? と促してくる店員さん。

「う~」

「……隣同士でお願いします」

「かしこまりました」

 隣の先輩を見られない。

「えへへっ」

 その弾んだ声だけで、お世辞抜きに可愛すぎた。



 当然、隣の席でもバカップルみたに、手をつないだりはしない。

 だって僕はただの共犯(以下略)

 間もなく部屋が暗くなり、宣伝が始まる。




 今日観る映画のタイトルは、


『打ち上げ花火、どこから見る?』


 中学生の女の子が友達と一緒に、夏祭りの打ち上げ花火を見に行くことになる。しかし、下校前に気になる男の子から誘われて、友達に内緒で打ち上げ会場についていく。一緒に見る場所をあれこれ探す。会話が弾み、彼から抱え込む悩みを打ち明けられる。


「俺、親が再婚するんだ」


 新しい母親を受け入れられない彼は、女の子に「一緒に遠くへ逃げよう」と提案してくる。女の子はなすがままに流されて、二人は電車に乗ろうとするが、追いかけてきた彼の「両親」に制止される。二人の手が離れ離れになる瞬間、時間が巻き戻る。彼女が昔拾ったお守りが不思議な力を持っていたらしい。

 ループする世界で、打ち上げ花火を見る場所は一回一回変わる。

 幸せな未来をつかむため、彼女は繰り返す時の中で足掻あがく。


 あらすじはそんな感じ。

 最後のシーンは思い出せない。後半に行くにつれて、なぜか記憶が薄れていた。決してつまらなかったわけじゃない。

 果たして、彼らは一緒に打ち上げ花火を見られたのか。

 気になる彼は、家族と和解できたのか。


 何も、覚えていない。




 鑑賞後、喫茶店でお茶をする。

 軽い意見交換会だ。

 飯島先輩はご機嫌斜めであった。

「ストーリーは面白かったのに、また主演が俳優起用だった! もう! 毎度毎度、不満に思うんだ。『声優』っていう専門職がいるのに、あえて起用しない。同じプロでも、俳優より地位が低く見られてるのがムカツク」

「アニメを見ない『一般人』への宣伝効果を期待してるんでしょう。実際、僕は俳優の名前は知ってましたから。あ、この人がやってるんだって」

「そうなんだよね。まあ、演技が別にすごく下手ってわけじゃないし…… いっぱい練習したんだろうし。もっとひどい『棒読み』演技の作品はあるし。はあ、アニメはまだまだマイナーかなあ。悔しいなあ……」

「先輩は本当にアニメ、好きなんですね」

「うん。夢がある。ロマンがある。悲しい話や、グロテスクなシーンもあるけど、」

 彼女は言い切る。

「こんな現実よりずっとマシだよ」




「親かあ……」

 今度は、自然と映画のテーマの一つ、「家族」の話題になった。

「私は両親、家族には何の不満もない。二人ともいつも優しくて。弟も病気の姉を遠ざけたりしなくて、『普通の』扱いでもなく、ちょうどよくいたわってくれる。でもやっぱり鬱陶うっとうしいって、思う気持ちはどこかにあって、」

「お兄ちゃんは英国の大学に進学して、そのまま現地の研究所に就職した。もちろんやりたいことがあったから、留学したんだろうと思う。でも私と離れたかった気持ちもゼロじゃない。海斗も東京の大学を希望してる」

「……穿うがち過ぎですよ」

「うん、考えすぎだと思う。理由の重さは全然軽い。でも可能性が数%でもあると、心が弱った日にはそれがすごく辛いの。みじめなの。私は飯島家の負担になってる。落ちこぼれ。なんで優秀な家族の中で、私だけこんな欠陥品で、ダメダメなんだろうって。そうして夜、ベッドで泣くの。」

 僕は兄弟はいない。だから、先輩の兄や弟に対する気持ちは、正確には分からない。だが両親に対しては、確かに引け目を感じている。旧帝大を出て立派に仕事をこなす二人に劣等感を抱いた。

 結果として居づらくなり、家を出た。

 なぜ僕らは引け目を感じなければいけないのだろう。

 障害を持つ、精神科に通院している、仕事をしていない。

 普段の生活での気遣いや負担、金銭的に支援してもらっているのは事実だ。

 だが、その「見返り」は、


「ありがとう」


の感謝の言葉と気持ちと、態度だけでは足りないのだろうか。

 きっと足りないのだろう。

 こんな考えに至ること自体が、傲慢ごうまんすぎて、おこがましいのだろう。


 みじめだ。

 そう思ってしまった自分が、何かに負けたようで悔しかった。




 先輩は夕食は家に帰って、家族と食べるそうだ。

 僕は自宅で一人で。

 ここからはすべて、いつも通り。

「今日は楽しかったよ」

「僕もです」

「よかった。んーと、次の予定は未定。いつになるかは、ちょっと分かんない」

「了解です」

「んっ」

 彼女はにっこりと微笑み、

「じゃあ、」

 手を中途半端に振って、しっかりと口にした。



「さようなら」



 こうして、僕たちはいつかのリベンジを果たし、別れた。





 それっきり、先輩からの連絡は途絶えた。


 「会合」は、二度と開かれなかった。


 新しい春が巡ってきても、彼女からの音信は、ついぞ、なかったのだった。

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