愚痴(ぐち)


「少ないんだよね」

 皿の料理もあとわずかになる頃、飯島先輩が呟いた。

「何がです?」

 まさか料理のことではないだろう。今日の昼食は、男の僕でも相当な量があった。以前、彼女の自宅で夕食にお邪魔した時は、普通の量を食べていたけど、小柄な体に反して実は大食漢だったのか?

「『だいじょぶ』を無事卒業して、就職した人」

 話は再び事業所のことに戻っていた。

「入所して、三か月経つけどさあ。私が入ってから就職した人は一人だけ。それも短時間のパートタイマー。比べて体調を崩して、退所した人は三人。他の利用者の人とも勇気出して話して、情報交換すると、みんな希望は持ってないのね。仕事が見つかったとしても正社員はありえない、よくてフルタイムのアルバイト。俺たちは昔と変わらず社会のあぶれ者。所詮、必要とされてないって」

「ビジネスマナー、スーツの着方、PCソフトの使い方。履歴書の書き方、面接の練習、基礎的なコミュニケーションの取り方。確かに必要だよ、ためになるよ? でもその先も教えてほしいんだよ」


 精神状態を安定させて、一週間、一か月、一年、それ以上の年月を、同じ職場で乗り切る方法。

 休憩時間の同僚との、今は事業所の利用者さんとの雑談の仕方。

 仕事やコミュで失敗して落ち込んで、でも次の日も何食わぬ顔で仕事に行く胆力の付け方。


「きちんと決まったマニュアルが欲しい。こういう場面では、この行動が正しい。この会話の流れでは、次にこう発言する。精神障害(かつ発達障害併発)の人が仕事でうまくいかないのはそこなんだよ。まあコミュニケーションってのが、マニュアルが作れない複雑な仕組みで、私たちはそれができないから『障害』っていう括りなんだろうけど」

 あなたなら、すぐに就職先が見つかるって言われたよ。一応、卒業三年間は新卒扱いで、留年はしたけど国立大卒だから、書面上は優良物件なんだ。

 飯島先輩は投げやりな態度で言う。そんな先輩の表情は初めて見る。改めてまだ知り合って半年も経ってないことに気づかされる。

「月路クンと会わない間、私もいろいろチャレンジしたんだ。野菜加工工場に実習に行った。スーパーで売ってるの見たことない? 細かく切ったサラダの材料が入ってて、袋から開けるとすぐ食べられるやつ。外国人の人がいっぱいいた。技能実習生っていうのかな。昼休憩を挟んで、ひたすら野菜を洗ったり包丁で切ったりしてた。私も四時間、キャベツを剥いて洗った。彼らはそれを一日、八時間、愚痴も言わずにこなすんだ。本当に頭が下がるよ」

「私はやっぱり次の日、疲れて休んだ。電話口で事業所の人に、困惑気味に聞かれた。


『どうして?』


 いや、こっちが『どうして?』だよ。どうして毎日あの重労働ができるのが普通なの? どうして私にはできないの? どうやったらできるようになるの?」

「いろいろな花きを取り扱ってる農園にも二週間、実習に行った。

 経営者はほったらかし、一日一回顔をみせればいい方。顔を見せたと思えば作業にけちをつけてくる。遅い。手際が悪い。

 とてもじゃないけど、やっていけない。『だいじょぶ』の支援員の人は、受け入れてくれる職場がそもそも少ない。ここにした方がいいって薦めたけど、申し訳ないけど私にはムリ。すぐにやめる自信がある。

 それとフルタイム、残業二時間で月収15万だよ。信じられる? これだけ働かされて15万で我慢できるの? 私は結婚願望とか、子供が欲しいとかないからいいけど、 それで結婚できるの? 子供を育てられるの? とてもそんな環境じゃない。

 同じくらいの年頃の女性も三人いたけど、あ、みんな健常者だけど。家賃で五万、食費は節約してかつかつの生活。体調がすごく悪くても、給料減らされるから休めない」

「最近では『だいじょぶ』の運営もいい加減なんだ。まず時間通りにプログラムが始まらない。行政への書類づくりに悩殺されて、支援が疎かになる有様だよ。仕方ないけどね。国からの補助金で運営しているから、お金を出してもらうために提出しないといけない書類がどっさりある。

 あと利用者20人に対して、スタッフは五人しかいない。全然足りてない。私たちを見ていない。不信感が募る一方。今週、私はついに不平不満をぶちまけて、事業所内、今、けっこう険悪な雰囲気よ」


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