Fragment.3.7

こんなの絶対おかしいよ……


 こうして私は浪人を経験することなく、大学に入学した。

 さあ、勉強がんばるぞー!!! フンス!(かけ声)


 フンス 真面目に講義に出席して、ノートを取る。疲れる。

 フンス 課題をこなす。めんどくさい。

 フンス 初めての試験にのぞむ。何が出題されるか予想できない、とにかく授業の内容を丸暗記。頭が熱い。


 一年の前期成績は、総合一位だった。(夏季休暇に個人の成績ポイントが張り出される。普通の学生は見ないやつ)

 「こんなくらいで一位になれるのか」と気が抜けたのか、夏休み明けは一気にやる気が消えてしまった。


 フンス 教室はいつも人だらけ。辛い。

 フンス 取る講義を調節したことで、午後の時間を自由に使える。しかし何をしたら有意義なのか、分からない。時間が無為むいに過ぎる。辛い辛い。

 フンス 嫌で嫌で仕方ないが、試験のためにテキストを開く。辛い辛い辛い。


 そして致命的なミスに気付く。

 私が所属している学科(学部の下にあるやつ。うちの農学部だと「食品学科」と「環境学科」の二つ。私は食品学科)は二年生から合同実験授業がある! 座学ならなんとか耐えられるが、実技はきつすぎる。できるだけ少ない方がいいのに……

 もう一つの環境学科は三年生からしか実験がない。うらやましい。どうしようもないなあ、と入学時の学部しおりを眺めていたら「転学科」というシステムがあることを知った。迷わず応募した。一応教授たちの審査はあったが、形だけで本人が望んだ時点で、転学は決定しているらしい。


「本当に今の学科に未練はないんだね?」


 私の迷いを「逃げ」を、見透みすかされたようで恥ずかしかった。


『実験がやりたくないから』


 こんな消極的な理由で転学科したのは、後にも先にも私だけだろう。

 転出して二年の前期が始まっても、アクセルがかからない。

 これはまずい。

 心のエンジンにありったけ燃料を注ぎ込んで、空ぶかしを繰り返す。そして丸々一年かかって、入学当初の熱意を取り戻した。二年後期の座学は最高成績の「優」が並んだ。




 三年生。

 一年間の実験授業が始まる。

 一緒に組むメンバーはできるだけ少ない方がいい。他に二人しかいない、余りの組に入った。

 ぼろを出さないよう細心の注意を払う。周囲に気を配り、口数は最小限にとどめる。そもそも雑談のやり方が分からないから、口数の少ない作業が続く。

 実験も数回が過ぎたある日。

 他の班に談笑しに行ったメンバーに(一緒に実験しているのに、持ち場にいない時点で、おかしいと疑うべきだった)、実験器具の扱いの手順の確認をしに行った。

「この順番でいいよね」

「ああ、うん。やっといて」

 持ち場に戻ろうと背を向ける。

 そこで、後ろからぼそり。


「あいつ気持ち悪いよね」


 周囲から失笑がれる。


 私は静かにキレた。


 その日は大人しくしていたが、次の実験の時は別の班に乱入した。六人と二人のいびつな班分けになったが、知ったこっちゃない。奴らとはもう関わりたくない。二人だけで寂しく実験してろ。やーいやーい。

 と、前期は怒りの気合で乗り切った。

 しかし、夏休みになり冷静になると、気が大いに滅入めいってくる。

 まだあれが半年続くのか……

 辛い。

 特に実りのない休暇を終え、後学期が始まる。

 前期と同じように座学をこなし、

 辛い辛い。

 週末の実験がやってくる。

 最初は前期と同じくガイダンス。短時間で終了するので、顔合わせも短い。

 それでも、奴らの視線が気持ち悪い。私をのけ者にする最低な人間共と、少しでも一緒に居たくない。

 辛い辛い辛い。

 翌週からは一日、2、3時間はざらに拘束される。

 嫌な奴らと。私を蔑視べっしする奴らと。私を馬鹿にする奴らと。

 辛い辛い辛い辛い!!!



 気持ちが、ぷつり、と切れた。



 ある日、突然、私は、大学に、行けなくなった。





 研究室で半狂乱になって暴れたことやあり、一年の留年を経て、私は大学を卒業した。

 卒業式の数日後、教授から「うちの研究室では、君を修士課程には受け入れられない、進んだとしても君には課程こなせない」、だからやんわり、やめないさい、とさとされた。

「そもそも君は大学院で何がやりたいんだい?」

 今でも鮮明に思い出せる、はっとさせられた言葉。

 結局、「逃げない」と決意しただけで、進むと決めただけで、そこでやりたいことは何も考えてなかった。

 これでは本気でやりたいことがある人に失礼だ。浅はかな自分の考えに気づかせてくれて、教授には感謝している。もう少し早く言って欲しかったけど。



 大学卒業後、ふらふらしていた私はこれではいかんと、就労移行支援事業所「だいじょぶ」に入所した。(まあ、ふらふらしてたからあの子に逢えたんだけど)

 期待があった。自信があった。

 実際、作り物の「飯島加奈」は入所からしばらくしても、ボロをほとんど出さなかった。

 お茶らけて、快活な女の子。

 頭が回り、運動もそこそこできる、物わかりの良い利発な女性。

 ここはある意味で、「迫害」されてきた人が集まっている。

 はじかれた流れ物の、行き着く場所。

 社会のアウトローたちの、漂流島ひょうりゅうじま

 そこで、私は極めて正常に振舞ふるまった。

 どうしてつまづいているのか分からないとも、「仲間」からも言われた。


 そんな評価を得て、またもう一度、頑張ろう。

 そう思った。

 気合を入れる。心を硬くする。鈍感になろうとする。


 フンス 一般事務の練習で電話に出る。いつ電話が鳴るか、分からない恐怖。企業に実習をお願いする電話をかける。何度も断られ、途中で切られる。

 フンス 日常会話を実践する。笑顔を張り付ける。心はすり減っていく。本当はあなたたちと雑談なんてしたくないんだよ。苦痛なんだよ。 

 フンス 役所やハローワークでの手続きをする。書類の不備などないか、いちいち緊張する。一つでも書き損じがあったら責められるとか、音ゲーのPerfect!!じゃないんだから勘弁かんべんしてよ。


 フンス 何とか準備を整え、就職活動にのぞむ。


 採用選考が次の段階へ進んだことのメールの、確認をおこってしまう。そもそもメールを毎日チェックする習慣がないのだ。「だいじょぶ」の指導員はその辺、何も教えてくれなかった。おびのメールを心の底からしたためるが、音沙汰おとさたなし。

 車の会社の面接で「車はあまり好きではないのですが、」と言ってしまう。空気が凍り付くとはまさにこのことだ、と実感した。

 だって本音だもん。嘘はいけない。正直に生きなきゃ。

 市役所の面接の自己アピールで、人種差別を扱った素晴らしい作品のことを熱弁した。ただしTVゲーム。試験官や他の子たちは唖然あぜんとしてた。


 なんか、違うみたい。

 なんか、やっぱり駄目みたい。


 はああああああああああ


 もう、やだ。

 もう、頑張れない。

 もう、頑張りたくない。

 

 


 いったいいつまで頑張ればいいの? ……死ぬまで? 死ぬまでこんな苦しいことが続くの? なんで皆は耐えられるの? 私だけ? 私が弱いから? 全然強くなれない。ずっと弱いまま? おばさんになっても、おばあさんになっても? 



 嫌。

 いやいや。

 いやいやいやいや。

 いやいやいやいやいやいや!!!



 嫌だよう……

 もう勘弁してよ……

 弱いまま生きてくしかないんなら……そんなだったら……もう生きていたくないよう。


 死にたい。



 死にたいよう。死にたいよう。……死にたいよう。

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