お家Date-5(発覚)

 飯島家の食卓は六人掛けだった。部屋で食べるお爺さんを含めても、一人分余る。

「お兄ちゃんがいるの。もう一緒に住んでないけど」

 飯島家は三兄弟で、先輩は男二人に挟まれた真ん中の長女だった。一番上のお兄さんは家を出て、今は海外で仕事をしているそうだ。数年に一回、ふらっと帰ってくるらしい。

 一人前増えて、少し小ぶりになったハンバーグは、大きな塊肉が入っていて肉を食べている、という感じがした。

「そうか。君も△△高校の出身か」

「あらあら。海斗の先輩だったのね」

「いやあ、お世辞にも優秀な生徒ではありませんでしたよ」

 僕は慌てて訂正する。いや、本当に。成績トップクラスの奴らは人間じゃない。あれは化け物だ。

「現役であの大学の農学部なら十分すごいっすよ」

 俺、工学部でも判定Bですもん、と海斗が自嘲気味に言う。

「姉ちゃんも楽勝で合格したもんなあ」

「私はそれ以前の問題。公立じゃ、休み過ぎで退学だった。出席日数の緩い私立だったから卒業できたのよ」

「でもお前、それも見越して、私立高校に行ったんだろう?」

「まあね。それともう一つ」

「「「「家から一番近いから」」」」

 四人の笑い声が台所に響く。

 絵に描いたような仲の良い家族だった。

 僕の実家では、少なくとも僕が通院を始めてから、こんな楽し気な団欒だんらんを囲ったことはない。大学に合格し、迷わず一人暮らしを選んだのは片道二時間の通学がきついこともあったが、息が詰まる家を出たかったという気持ちとは決して無縁ではない。

 一足先に食べ終えた飯島先輩が席を立つ。

「ごちそうさま~ お母さん、お爺ちゃんのご飯持ってくね」

「あら、いけない。忘れてたわ、すっかり話に夢中になって。お義父さんに謝っておいてくれるかしら」

「おっけ~ 月路クン、食べ終わったら部屋来てね」

 了解です、の僕の一言に頷き、彼女はお盆を持って廊下に消えた。



 

 先輩の足音が完全に聞こえなくなってから、十分な時が過ぎた。それを見計らって、お父さんが僕に声をかける。

「高橋くん。加奈のことなんだがね」

「……はい」

 僕は居住まいを正して、しっかり話を聞く体勢に入る。一端いっぱしの父親として娘がひょいと連れてきた男に喝を入れるには、ちょうどいい頃合いだろうと思っていた。

「加奈は、最近はずいぶん精神的に安定しているが、一時期は本当に大変で。短い会話どころか、感情さえ見ることができない日々が五年以上続いた。でも私たちもどうしていいか分からなくて。親だというのに肝心な時に役に立てなかった。情けなくてしょうがない。結局、あの子が自分で立ち上がるのを眺めているしかなかった」

 彼の口から飛び出したのは、ひたすら後悔の句だった。

「あの子が自らの意思で仕事を、そこにいたいと思う居場所を探しているのは、親として素直に嬉しい。あっけらかんと振舞ってはいるが、病気のことでやはり引け目を感じているみたいでね。私がたくさん稼いでいるから、あの子には無理して仕事をしなくてもいいとは言ったんだが」

 余談だが、先輩のお父さんは近くの私立大学の教授で、本も数多く出版している。そのうちの何冊かがよく売れて、少なくない印税収入がこれからも見込めるらしい。

「うちの家の者はそういう傾向があるんだが、特にあの子は集団生活というものに馴染めなくて。学校も苦しそうに通っていたよ。高校はやはり後々のために卒業してほしかった。自由がきく大学に行けば何か変わるんじゃないか、と期待したがやはり人間関係でうまくいかなかったらしい。娘を見ていると、陸で生きることを強いられる魚のようだ」

 いや魚はあの子に失礼か、麗しい人魚だな、と父親は親の欲目で訂正する。

「君の話をする加奈はいつも笑って、嬉しそうで幸せそうで。大切に思える人間ができたのだな、と実感する。あの子の傍にいてくれる他人が現れることを、私たち家族は期待していなかった。こんな奇跡が起こることは予想していなかった。だから」

 一人娘の父親は頭を下げる。

「不肖の娘ですが、どうか君さえよければ、根気強くよく付き合ってあげてください」

 母親も弟も、父親に習って頭を下げる。

 彼らはおそらく僕たちに、男女の仲は期待してないのだろう。別にそれが男でも女でも、ずっと年上、年下でもよかったのだ。彼らは僕が、彼女に寄り添える可能性があるという事実に、ただ心の底から感謝していた。

「だがくれぐれも節度ある交際を心がけてくれたまえよ。もしも、もしもだよ? 娘に軽い気持ちで手を出したら……分かるね?」

 崇高な家族愛に胸を打たれていたのも束の間、神をも射殺すかのような眼光の鋭さにびびった僕は、無言で頭を何回も上下させた。

 さすが三人の子を持つお父さま、しっかりお父さんしていらっしゃいます……



 食卓を辞して先輩の部屋に戻ると、彼女の姿はなかった。

「加奈ちゃんなら、こっちの部屋だぞ」

 しかし、ふすまの隙間からお爺さんが口を食材でもごもごさせながら教えてくれる。

 この部屋はプライバシーなんて言葉は無縁だ。先輩、年頃の娘としてよく許容しているな。

 廊下に出て、お爺さんの部屋を一つ飛ばした、広めの洋室に向かう。

「先輩?」

 呼びかけると確かに返答があった。

「月路クン!? は、早かったね。す、すぐ行くから」

 ガタガタッ 何か重いものが崩れる音がした。

「先輩? 凄い音がしましたよ? 大丈夫ですか」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫だから! 絶対入ってきたら駄目だからね! あっ、ぎゃあああああ!!!」

 バタタタタッ ズズン!!

 さらに凄い音。「ぐえっ」というカエルが潰れるような声もする。

「ちょっと! 開けますからね? 着替え中でもこれは緊急事態ですから不可抗力ですよ?」

「着替えはしてないけど! ダメ! こら、駄目だって言ってるのに! わあああああ!!!」

 開けた瞬間は、ここは倉庫なのかと思った。

 部屋の中には隙間なく、大量の漫画と本がうず高く積まれている。ジャンルは幅広く、少年誌から少女漫画、青年誌。本はハードカバーより、文庫本が多い。ざっと見て千冊はくだらない。半端ない物量だ。

「あの、センパイ? これは?」

「あああ、見られた…… 見られちゃった……」

 崩れた本の山からゾンビのごとく這い出してきて、廊下に突っ伏す先輩。

「かっかっかっ 自業自得だて」

 自室から首を出して、かくしゃくと笑うお爺さん。

「もー! お爺ちゃんのイジワル!」

「わしは何も言っとらんよ。普段ずぼらな女子が男の前でだけ、ええ格好しようったってボロが出るに決まっとるわ」

「いま、言ってるから! 盛大にばらしてるから!」

 どうやら察するに先輩の部屋は、普段は大量のこれらのものであふれていたようだ。それを乙女としての一抹の羞恥心から、僕の来訪に合わせて大移動させたらしい。

 これだけの量をたった一、二日でよく一人で運べたものだ。

 最後に破綻したとはいえ、にわか仕込みながらもすっかり騙された詐欺師の技量には感嘆する。


 ばれるんだよ。


 いつかの彼女の言葉がよみがえる。

 なるほど、まったくその通りだ。

「むしろこちらの方が先輩のイメージに近くて、なんかほっとしました」

「もー!!!」

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