Fragment.2.0

 世界は苦痛で満ちている。

 多くの人は明日の食事にありつくことに精いっぱい。幼子たちが飢えや病で分刻みで命を失う。一方、私腹を肥やした選ばれし人間は、そんな不幸を肴にご馳走、お酒、レジャーと人生を謳歌おうかしている。

 そんな国家は間違っている、我々が正そうといくつかの国では人々が団結し、クーデターが起きている。たとえその目論見が成功したとしても、暴動がひと段落した後には少なからぬ人的、物的犠牲が露わになる。

 日本国内に目を向ける。近年、所得格差が拡大しつつあるとはいえ経済後進国に比べれば、穏やかで平和な生活風景が流れている。

 そんなこの国でも、人死にのニュースは毎日溢れるほどある。

 毎年台風、大雨で多くの犠牲者が出る一方、酷暑で熱中症になって命を落とす人もいる。家屋、農産物などの年間被害総額は軽く数億を超え、その規模は恐ろしいことに年々拡大している。

 川遊び、登山その他不慮の事故、陰惨いんさんな事件で人死にが出ることなど、日常茶飯事さはんじだ。国の必死の対策も空しく、毎年の自殺者はなかなか減少傾向に移らない。最近では特に動機もなく行方知れずになる、特に十代から三十代の失踪者が増えている。

 希望は見当たらず、いっそ逃げ出したくなる気持ちを、誰もが必死に抑えて生きている、この世界。

 もう一度言おう。


 世界は苦痛で満ちている。


 それに比べれば、

 私が幼い頃から人付き合いが苦手で、会話をしていると気分が優れなくなり。話し相手の目の前から一刻も早く、逃げてしまいたい衝動にかられることなど。

些細なことで、

 学業と就職活動を両立できる気力がなくて無職で、形だけは就活して忙しいアピールして。でも実際は会社勤めなんて私にできるはずないって悟っていることなんて。

些細なことではないか。


 こんなことばかり四六時中考えてる人間を中二病というのだろう。不甲斐ふがいない幼稚な自我を正当化して、心の安寧あんねいを得る。現実から目を背けて、逃げているだけだ。

 まったく反論の余地はない。仰る通りです。

 しかし、世界に苦痛が満ちている、その事実は確かにあるのだ。

 その事実から目を逸らして日常を演じている、人々の厚かましさといったら。不幸をいたむ一方で、それを一時的に忘却し日々の業務をこなす図太さはたいしたものだ。皆、二重人格なのかと思う。私という人間は、大事がごろごろそこら中に転がっているのに、目の前の小事に集中できるほど心が強くないし、おかしくなれない。

 もっと不幸な人はたくさんいるよ、と人は言う。

 まったく、その通りだと思う。

 だから、あなたももっと頑張りなさい、と人は言う。

 まったく、それはどうかと思う。

 もっと不幸な人はいる。苦しんで、辛い人はいる。

 でもそれが私が今苦しくて、辛いこととはなんの関係ない。

 そして頑張っても頑張っても、常人のスタートラインにさえ立てない人間は実在するのだ。


 大きなハンデを抱えながらも、私は私なりの方法で幸せを掴み取ってきた。普通の人からしてみたら、回り道で理解しがたい奇妙な歩みに映ったかもしれない。だが私には必然の道のりだった。

 自分で考えて、一歩一歩足を踏みしめて。この歳まで生きてきた。

 今はもう考えてもよい方策が思いつかない。進む気力も残っていない。

 私の思いもつかない歩み方があるなら、誰か教えて。間違っているならちゃんと正しい道へ連れてって!

 誰も「セイカイ」を教えてくれなくて、「タダシクナイ」とだけ指摘してくる自分勝手で無責任なこの世界が、この世界の人々が、



 私は大嫌いだ。



 幾多の苦難の末、私は答えにたどり着いた。

 どうやら私は多くの事柄を「自分事」として考える傾向が強いようだ。

 普通の人間は他人の問題は些末さまつなことと、脇へ押しやりすぐ忘れる。遠くの国の万単位の虐殺より、身内の一人の死に人は心を痛める。

 人間とはそういう風にできている。

 だから社会は口酸くちすっぱく「他人の問題を自分のこととして考えましょう」と訴える。自分たちは意識しないとそれができないから。私は簡単にそれができてしまう。

 きっと私が苦しいのは、私の問題を「自分事」と人一倍大事にしているから。問題を感知するセンサーが敏感すぎるのだ。

 それならばいっそ、私の問題を「他人事」に思えれば楽になるのではないか。センサーをオフにしてしまえばいい。


 私はそう結論付けた。

 そして「飯島加奈」という人間の問題に、正面から向き合うことをやめた。



 それからというもの、私はよく笑い、よく食べ、よく話すようになった。ずっとふさぎ込んで、すげない態度をとってばかりで心配をかけていた家族も、私が明るくなってずいぶん嬉しそうだ。私の容姿を気に入って寄ってきた男の子たちにも、今なら申し訳ないという気持ちが湧いてくる。

 私は楽しい。皆も楽しい。私は幸せ。皆も幸せ。

 これでいい。これでいいはずなのに。

 もやもやと、言いようのない違和感が募るのはなぜだろう。

 不穏な心のしこりが喉に詰まった魚の小骨のように、気になるのはどうしてだろう。

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