お喋り-2
そろそろ本題を切り出してもいいだろうか。
「あの」
「ん?」
「このことは内緒にしてもらえますか?」
「どのこと~?」
「……精神科に通ってるってことですよ」
はぐらかすような口調に、少し語気が荒くなってしまう。
「ま、それだよね。君も『クローズ』派なんだね。まあ、当事者の大多数はそうだし、その方が賢明だろうね」
「……ええ」
精神科の極端な偏見は、医療社会や当事者たちの奮闘で確実に薄れた。だがあくまで薄れただけだ。消えたわけじゃない。それ系の病院に通ったり、薬を服用してる人が身近にいたら嫌な気持ちを抑えられない、という人間は一定数いると思う。
ちなみに「クローズ」というのは障害を隠す、という意味だ。主に就職活動で用いられる言葉で「オープン」なら障害を公表して、「クローズ」なら隠して採用試験に臨む。そもそも「クローズ」という言葉があるからして、世間での障害を持つ人の生きにくさを
「というか飯島…先輩はどうなんですか。やっぱり内緒にしてるんじゃないですか。友達とか、学校の人に」
「私はそういうの気にしないからね。別に積極的に他人に知ってもらおうってスタンスではないから、聞かれなければ言わないけど」
実際、先輩の「おかしな」噂は学内で広まっていたけど、精神科を通院しているという事実はなかった。
「そもそも私、友達いないし。人付き合いとか超めんどくさいし」
そんな消極的すぎる告白を、人好きのする柔和な笑顔でされても、聞く側としては困惑するだけだ。どうやら人間嫌いというのは本当だったらしい。
「で、どうでしょう」
再確認。
「いいよー」
彼女はあくまでフランクな姿勢を崩さない。
「別に黙ってるくらい構わないんだけど。私、普段一日中喋んないことも多いから負担じゃないし」
そんな哀れな事実を事も無げに言う。
「だけど私だけ、君のお願いを一方的に聞くのも、フェアじゃないと思わない?」
ほっとしたのもつかの間、氷嚢を首筋に突っ込まれた気分を味わう。
「……交換条件ってことですか」
「そ。等価交換。ギブアンドテイク。お前のものは俺のもの。表現はどれでもいいけど」
最後のだけは絶対違うと思う。
「別にたいしたことじゃないよ~ 私の、ちょっとしたあ、お願いを聞いてほしいの」
まさに今、僕は天使のような悪魔の微笑み、というものを見せられている。
その楚々とした薄皮の下で、どんな腹黒い思惑が渦巻いているのだろう。
絶対、断った方がいい。
よく知らない人を決めつけてはいけないが、直感が訴えてくる。この人は愛くるしい小動物の皮を被った肉食獣だ。草食動物はいたぶられて、最後に食われるのがオチである。
断ろう。
その結果、僕のよくない噂が学校で広まったとしても、よく考えたら僕、友達いないしサークルも入ってないから、そもそも人間関係が悪化する要素がないし……
「……男の子に肌を許したの初めてだったんだけどなあ」
僕は盛大にむせる。変な声が出そうになるが、そもそも口の中が乾いて発声ができない。
「すごい力で拘束してきて…… 20㎝以上体の大きい相手に自由を奪われる怖さってすごいね。本当にぴくりともできないんだもの」
「わ、分かりました! 分かりましたから…… 条件を飲みます……」
「ありがとう~」
物憂げな表情が一瞬でけろっと元に戻る。
まるで他人の弱みで脅迫するのに、慣れているようにも思えてくる。
「さあ、他人に知られたくない秘密を、二つも握られてしまった可哀想な人質クン」
そう、もはや僕は飯島先輩の人質だった。
僕の持つ彼女の秘密は一つ。彼女は二つ。精神科通院と公然わいせつ。どちらの切り札でも彼女は、僕を社会的死に追いやることができる。両者のパワーバランスは均衡を失い、等価交換は成立しない。
これこそ「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」、キレイないじめっ子は映画フィルムの外にも存在した。
「ねえ、私と、」
紡がれる言葉を断頭台にて待つ。
「私と、デートしましょう」
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