邂逅-2

「あ~ あ? ……ちょっと待って、この辺りまで出てきてる……思い出しそう……」

 彼女は左手の人差し指を頭に向け、記憶をさかのぼっている。

「あ! あ~あ~あ! 君、どこかで見たことあると思ったら、大学の!」

 次の瞬間、僕は彼女の発声を食い止めるべく行動を開始し、 

「へ~ 同じ病院だったん…こふっ!?(ふがふがっ)」

 彼女の小さな口周りを手のひらで押さえつけていた。

「ひょっろらにすうの!?(ちょっとなにするの!?)」

「(すいません! ちょっと黙ってもらえますか!)」

 滑らかな動きで彼女の背後に回り、小声で要請する。すると自然、耳の近くまで顔を寄せることになる。おそらくシャンプーの香りであろう甘い匂いが鼻腔びくうをくすぐる。

 場所はまだ受付のエントランス。多くはないが、それでも十数人の患者が受付の順番をすぐ近くのソファーで待っている。

 自分の個人情報が勝手に他人の口からけっこうな声量で吹聴されようとして、パニックになった僕のことを誰が責められるだろうか。

「ふががっ!(分かった!)ふんもうふぅ……(うるさくしないから、手を放して……)」

「あ、すいません」

 僕は慌てて、「留年」さんを解放する。

 少し冷静になれば、少し……いや、かなりやりすぎだったかもしれない。はたから見れば、これはただの拘束からの脅迫だ。

 彼女は少し顔を赤らめて、髪や衣服を整えている。今日の彼女の服装は薄桃色のワンピースに、白いカーディガンを羽織っている。可憐な少女、高校生と言われても通じそうだ。

「…………」

 周囲からの視線を感じる。やはり騒ぎすぎたようだ。警察まではなくても、病院の職員に告げ口されたら、面倒になる。

「(ちょっと人が少ないところまで、移動しましょうか……)」

「うん? 別にいいけど」

 彼女も他人の介入は望んでいないようで、素直に従ってくれた。

 先行する肩口で切り揃えられた髪の毛先を眺めながら、ふと思う。

 人間の体温を感じたのはいつ以来だろう。小学生の、母親と手をつないだ時が最後だったろうか。


 誇張なく10年ぶりに触った人肌は柔らくて温かくて、唇がふごふご動くので無性にくすぐったかった。

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