エピローグ

ようこそ、TVの中のセカイへ

 


 そして彼女は世界から消失した。




 僕が彼女が消えたことを知ったのは、デートから二日後。やはり入院の事情を聞きに行った時と同じように、彼女のスマホからの合成音声だった。感情を少しでも見せまいとする父親の押し殺した声の重苦しさは、思い返すと辛くなるから、もう考えない。


 結論から言うと、彼女の消失はちまたを騒がす「失踪者事件」のワンピースとして処理された。

 事件性は一切なし。彼女は自宅の自室にこもった後、翌朝ひっそりと何の手がかりもなく、かろうじて使われた形跡のあるベッドの上から、存在だけがなくなっていた。

 まさに、もぬけのからとはこのこと。

 僕は家族以外で最後に会った重要参考人ということで、最寄りの警察署で事情聴取があった。

 といっても、たいしたことは聞かれなかった。

 話せなかった。

 事件の痕跡こんせき、物的証拠は皆無。精神科への入院歴はあるが、最近はトラブル、いざこざは特になし。

 警察もお手上げ状態のようだった。


 

 9347人。

 最終的に日本全国で確認された「失踪者事件」の総数。

 失踪者はそこでぷつりと増加をやめる。

 この中には身元不明、日本国籍を保持していない不法滞在者など、公的に者は含まれていない。

 つまり、おそらく、もう少し数は多い。

 なんとなく、総数は、一万人、なのでは、と邪推じゃすいしてしまう。


 その方が切りがいい。

 都合がいい。


 かつて一大ブームを巻き起こし、今もなお熱狂の渦中かちゅうにある小説は、一万人のプレーヤーがゲームの中に閉じ込められて、スタートする。正確にはゲームにログインしなかった人がいて、九千なんたら人。

 これも似通にかよっている。


 TVの中の世界、別次元、遠い国の出来事、フィクション、言い方は様々さまざまだが、そいつは影の中から急にばっとおどり出て、彼女を連れ去った。

 いや、一緒について、去った?

 世の中では、コロナが災厄の権化ごんげとなり、大暴れしている。

 その数、うん十万。

 数の規模が違う。

 僕と彼女の家族はあまり同情されない。

 だって母数が少ないから。

 悲しみに打ちひしがれているのは、同じなのに。



 

 彼女が消えて、一日、二日、一週間と過ぎた。

 パンデミックという狂宴きょうえんで日本、いや世界がパニックになる中、僕は大半の人々と同じように行動していた。

 つまり、少しでも「日常」を崩さないように、生活を送る。

 すぐ目の前まで迫る、得体の知れない恐怖に飲み込まれないように。

 上辺うわべを取りつくろう。

 何でもない、と演出する。

 そうすれば奴らは自分には襲ってこない。

 そんな気が、するだけ。

 そんな気がするだけで、心が少し軽く過ごせる。

 高をくくっていた。

 僕だけではない。大半の人がそう。

 過去に東南アジアの地震で、数万の人が津波に飲まれた。

 アメリカの信じられない規模の山火事で、住む場所を追われる人は、年々増えている。

 アフリカでは疫病で、毎年ものすごい数の人が亡くなっている。

 モニターの中の繰り返される惨事さんじは恐ろしいけど、決して自分には迫っては来ない。

 そう錯覚していた。

 錯覚するように、自らに暗示をかけていた。

 馬鹿な、自己防衛。

 馬鹿な、自己欺瞞ぎまん




 仮に彼女が「消える」ことを決意していて、

 

 去り際に、僕に直接託す言葉は、一つもなかったのか。

 その一点において、彼女を恨まずにはいられない。

 これはエゴだろうか。

 だが信じられないことに、どこかで安心している自分がいるのも確かだ。

 彼女にはお見通しだったのだろうか。

 いなくなってみて分かる。

 結局、僕は、彼女の人生を背負う覚悟を、持ち合わせていなかったのだ。

 それをやっと頭で理解して、今、ひしひしと身に染みる。

 だから僕には、彼女に恨み言を言う資格はない。

 そんな感情が恥ずかしい。

 情けない。

 ああ、何も分からない。


 分からない、分からない。

 分からない、わからないわからないわからないわからない。

 もはや何も分からない。


 だって、答えを返してくれる彼女は、もういないんだ……。






 スマホが鳴る。ちらりと目をやると、


飯島加奈いいじまかな」の表示。


 飛び付いた。


 はかない期待は、すぐ裏切られる。耳に届くのは透き通った鈴が鳴る音ではなく、しゃがれて、しかし彼女と確かに血が繋がることを思わせる声。

「おう、これ番号合っとるかい? 久しぶりだな、坊主」

 啓二さん。彼女の祖父だった。意外に元気な、無理やり心を奮い立たせているような声音。

「ちょっと顔貸してくれんかい」





 彼女と「暗殺ごっこ」をした、懐かしい公園で待ち合わせる。

 先に来てしばらく待っていると、啓二さんは杖を片手に、ひょこひょこ現れた。

「すまんな、わざわざ」

「いえ……」

「ここも久しく来てなかった。お迎えが来る前に見ておきたかった……」

 冗談交じりに、縁起でもないことを言う。

「あの子が小さい頃、よく一緒にここで遊んだよ……」

……そうだったのか。

「ほれ」

 彼は何かを差し出してくる。

「あの子がお前さんに、おそらく、渡したかったものだ」

 それは、



 炎トカゲのノート。

 映画「打ち上げ花火、どこから見る?」と「鬼殺し」のパンフレット。



 僕らのデートで彼女が得た、たった三つの戦利品。

 たった三つの、僕らが時間を共有した、形ある証拠品。

 震える手で恐る恐る受け取り、まずノートを開く。

 パラパラとまっさらなノートを手繰たぐる。


 そして、白紙の砂礫されきの中に、つづられた文章の一塊ひとかたまりを、僕は見つける。


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