旅の終わり

ネコ エレクトゥス

第1話

 去年はこの時期ぶらりと涼しいところに旅行に行った。あれも今となっては夢のようだ。世界がまるで変ってしまった。どこかに出かけるような雰囲気ではなくなった。そして出かけようにも金もない。ここが不思議なのだが去年はいったいなぜ金があったのだろうか?この生活をしていて金があるほうが間違っている。とすると今年の方が正常なのか?

 気を取り直して。どこにも行かないとさすがにうんざりする。せめて気分だけでも遠い所へ。ということで今年は地図の上で世界旅行することにした。しかもどこか静かで涼しいところ。東ヨーロッパからロシアにかけてはどうだろう。

 今でもドラキュラの出そうなルーマニア、ロシアでもなくヨーロッパでもなくイスラムでもない特殊な香りを持つアルメニアのあたり、さらに東に行ってとにかく広大なシベリアの森林地帯、とにかく美しいと言われるバイカル湖、そしてユダヤ人自治区。ユダヤ人自治区?

 ウラジオストクからそう遠くないところにこのユダヤ人自治区なるものが存在しているらしい。

 とにかく古い時代から東欧からロシアにかけての地域にはユダヤ人が多く住んでいたことはよく知られている。そしてシルクロードにもユダヤ人の記録が残っていて、どうやら彼らは唐の都長安にもたどり着いていたらしい。そして戦時中の日本にも多くのユダヤ人がいたことは手塚治虫の『アドルフに告ぐ』などでも知られている。だからと言って何でウラジオストクのそばなんかに彼らの自治区があるのか。

 単純に昔からそこに住み着いていただけなのかもしれない。ただそうじゃなければ?ロシア革命時代、ユダヤ人は迫害の対象だった。その迫害から逃れるためにわざわざ人のいなそうな土地を探したのか。スターリン時代、民族の強制的な移住が行われたことも知られている。その結果としてこの場所に住むようになったのか。旧約聖書にも似た彼らの約束の地を求めての彷徨がこんなところで行われていたのだろうか。


 そんなことを考えていたら一つ思い出したことがあった。日本の東北のどこか、確か福島県あたりにイエス・キリスト最後の地なるものがあるという。キリストがそのの地で生涯を終えたという伝説が残っているらしい。はっきり言って非常にばかばかしい。ただユダヤ人があんなところに自治区を作るぐらいならキリストが東北地方で死んでも、まっ、いいんじゃないか?せめて僕らの間だけでも。

 ちなみにキリストが十字架の上で死んだのでなければキリスト教そのものが成立しないということは申し上げておきたい(東北地方で死んだキリストはただのユダヤ人のおっさんである)。


 しかしこのエリア、キリストが死ぬは、源義経がチンギス・ハーンになるは、とにかく凄いことになっているらしい。次は誰だ?

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