8-2. 轟潤一

 アニッチャは、オレに全てを捧げた。

 オレは、アニッチャの全てを受け取った。


 彼女の覚悟、思い、信念。それらの一切を受け取った今、もう迷いはない。オレは彼女と同じ景色を見る。


「行くか」

「ああ」


 オレとアニッチャは一夜を共にして、共に朝を迎えた。その後、特別何かを語るわけでもない。いそいそと身支度を整え、粛々と家を出た。そうしていると、昨日の出来事が嘘であったように思えてしまう。


 けれども確かに、オレの心にはアニッチャが刻まれていた。


「おはようございます、轟さん」

「アニッチャ、轟さんの送迎ありがとうございます」


 教団へ着くと、カルマとアナートマンがいつもと変わらぬ笑顔でオレたちを出迎えた。教団本部の玄関には朝日が差し込んでいて、彼らの笑みがより濃く見える。


「カルマ。オレは――」

「いい目です。淀みのない、為すべきことを為さんとする、覚悟が決まった者の目です」


 腹をくくったよと言うよりも先に、カルマの口が動いた。彼は聡い。オレから迷いが消え去ったことくらい、見ればわかるのだろう。


 オレとカルマの間に、言葉はいらなかった。

 示し合わせたかのように、互いにゆっくりと頷きあう。


「轟さん。来徒教団が巷でどのように言われているか、ご存知ですか?」


 幹部三人とオレは、いつもの部屋へと向かう。地下へと続く階段が隠された、教団の奥にある小さな部屋だ。オレたち四人がソファに座ってすぐ、カルマはオレに質問を投げかけてきた。


「……危ないカルト集団」

「その通りです」


 言ってよいものか迷いはしたが、バンド仲間が言っていた台詞をそっくりそのまま伝えることとした。カルマは顔色一つ変えず、どこか自嘲染みた表情を浮かべながらオレの言葉を肯定する。


「立て続けに起きる、前世主義者の死。それと比例するよう、信者を増やしている教団。これらが無関係でないことに、人々は薄々と気がついています」


 火のない所に煙は立たぬとはよく言うが、まさに今、この来徒教団は火中にいるのだろう。


「はっきりと言います。今回の大規模な離来徒リライト、これはテロ行為に他なりません」


 カルマという男は、どこか潔い。

 大義のため、理想実現のためと言いつつも、来夢来徒ライムライトをテロ行為だと断言する。


「人々は混乱し、惑い、恐れるでしょう。だが、それでいい。前世について語らうことをよしとしない社会を実現するためには、それでいい」


 そしてそれを、『それでいい』と言ってのける。


 来夢来徒とは、人類全ての前世を統一するという計画だ。人類のことごとくを離来徒リライトし、まっさらな状態とする。


 しかし、来夢来徒後の社会に再び前世主義が蔓延っては元も子もない。誰もが前世の記憶に縛られない社会を実現するのならば、誰もが前世について語らない社会とする必要があるだろう。そのためには、『前世を語ること自体が憚れる』という風潮を生み出すのが手っ取り早い。


「警察とて、我々の噂は知っているはず。証拠こそ掴めていない今は目立った動きもありませんが、テロを起こされては動かざるを得ない。きっと、すぐにでも教団本部へ調査が入るでしょう」

「じゃあこの離来徒リライトが終わったらどうするんだ?」

「我々は全国各地へと散り、世の混乱に乗じて来夢来徒ライムライトを実行します。念を押しますが、これは来夢来徒ライムライトを達成するための、最終段階なのです」


 これまでの離来徒リライトは、言わば暗殺だ。証拠が見つからない限り、なんとでも誤魔化しが効くだろう。極論を言えば、ここで来夢来徒ライムライトの理想を断てば、逃げおおせることだってできるかもしれない。


 しかし今回の離来徒リライトは、無差別な殺戮である。それを実行すれば、もう退路はない。あとは来夢来徒ライムライトに向かって突き進むしかない。最終段階だとカルマが念押すのも頷ける。


「轟さん。貴方の協力がなくては、今回の離来徒リライトは成功しない。本当に感謝します」

「……何度も聞いたよ。感謝なんていらない」

「謙遜しないでください。轟さんの貢献は計り知れません」

「カルマ様の言う通りです。もっと胸を張ってください」


 カルマに同調するかのよう、これまで沈黙を貫いてきたアナートマンが口を開いた。その間も、アニッチャが口を開くことはない。


「アナートマン、アニッチャ。私は、轟さんの貢献を称して、彼に不廻名まわらずなを授けたいと考えています。いかがでしょう?」


 アナートマンが頷くのをちらりと横目で見ながら、カルマは手を叩いてそう提案してきた。


 不廻名まわらずな。幾度の輪廻を経ても変わることのない魂の名――そんな意味の込められた、来徒教団の幹部が教団内でのみ名乗る名前だったと思う。


 つまり、アナートマン、アニッチャに続いて、オレも来徒教団の幹部になれということだ。


「それはよい考えです!」

「カルマ様がそう思うのなら、そうすべきかと」


 その提案を聞いた幹部二人の反応は、相変わらずだ。アナートマンは仰々しく手を広げながら歓喜の言葉を紡ぎ、アニッチャは眉一つ動かさずに淡々と喋る。


 共に朝を迎えてからこれまで、アニッチャは一言も口を開かなかった。彼女なりに何か思うところがあるのかととも思ったが、その様子はいつもと変わりないように見える。そのように振舞っているだけなのかもしれないが、真意のほどを知る術はオレはない。


「轟さん。貴方もこれから、我々と同じ来徒教団の幹部です」


 アナートマンとアニッチャの反応を窺った後、カルマは満面の笑みでオレに向き直る。口調と物腰こそ柔らかだが、その語気には有無を言わせない力強さと強引さがあった。


 オレは昨晩、あらゆる覚悟を決めた。迷う心も、拒否する気持ちも、ありはしない。教団の幹部だろうが、不廻名まわらずなだろうが、すべてを受け入れる。


 そんな気持ちを察したのかはわからないが、カルマはゆっくりと頷いた。



「共に来夢来徒ライムライトを実現させましょう。よろしくお願いします――ドゥッカ」



 そしてカルマは、オレの魂に名を刻む。

 前世と現世を彷徨うオレの魂に、『ドゥッカ』という不動の名を。



 ◆



 運命とは、命を運ぶと書く。

 多くの命が来世へと運ばる今日という日は、まさしく運命の日と言えるだろう。


 オレが『ドゥッカ』という不廻名まわらずなを授かったあの日から数週間が経過し、運命の日を迎えた。この数週間は、特段長いとも短いとも感じなかったと思う。


 朝を迎え、夜を迎え、気づけば今日となっていた。運命の日というやつは、案外こうしてあっさりとやってくるのかもしれない。


「アナートマン、ドゥッカ。準備はよろしいですね?」


 アナートマンの運転する車の窓からは、見慣れたライブ会場が見える。夕闇の中でも眩い光を放っているそこは、オレが幾度となく歌ってきた場所でもあり、来徒教団へと誘われた場所でもある。


 その運命の場所へ、多くの人間が吸い込まれていく。

 来世へと運ばれる命たちが、光の中へと消えていく。


「私とアナートマンは、ドゥッカに連れ添ってライブ会場へと踏み入ります。早急に会場関係者たちを離来徒リライトした後、警備員として潜り込んでいるアニッチャに連絡。アニッチャは連絡を受け次第、他の団員たちを会場内に送ってください」

『了解』


 右耳に入れた小型イヤフォンから、ノイズ混じりのアニッチャの声が聞こえてくる。彼女は警備員に扮し、会場を外から見張る役目となったらしい。今も会場の外で、警備にあたっているそうだ。


 何か想定外のことが起きても対処できるようにとのことだが、冷静かつ腕っぷしの強いアニッチャにはぴったりの役割かもしれない。


「団員たちと合流し次第、会場内を密閉、語死カタルシスを散布。監視カメラの映像で中の様子を確認し、問題がなければそのまま会場を後にします。その後は、事前に決めた各々の集合場所へ向かい、今後の方針を練りましょう」


 そしてオレたち三人は、ライブ会場から少し離れた位置に車を停め、計画の最終確認を行っている。まずは会場の関係者を離来徒リライトし、会場内を自由に動き回れるようにするのがオレたちの役割だ。


「ドゥッカ。それでは手はず通りにお願いします」

「……ああ」


 カルマの呼びかけに、オレは一呼吸おいてから返事をする。これから引き起こす惨劇に臆したのではない。単に、『ドゥッカ』と呼ばれることに慣れていないだけだ。


『轟。あとは頼んだ』


 無線を介して聞こえてくるアニッチャの声が、オレの背中を押す。彼女もまた、オレを不廻名まわらずなで呼ぶことに慣れていないようだった。そんな彼女の声を聞くと、不思議と肩の力が抜けてくる。



「ああ」



 今度は、間髪入れずに力強く返事をすることができた。



 ◆



 オレとカルマ、それとアナートマンの三人は、関係者用出入口からライブ会場に足を踏み入れた。そこには警備員がいたものの、『オレの親族だ』と説明するだけであっさりと通過できた。


 今日の離来徒リライトを成功させるためには、ライブ会場を制圧してしまうのが手っ取り早い。そのために、会場の職員や関係者に、顔の利く人間が必要だったのだ。


 正直なところ、オレの役目はこれだけと言っても過言ではない。


「それでは私はここで。カルマ様、ドゥッカ。ご武運を」


 薄暗い廊下を進んですぐのところに、関係者の控室がある。演奏を控えたバンドや、機材を搬入する人間たちが使用する部屋だ。その扉の前でオレとカルマは立ち止まり、アナートマンは更に廊下を進んでいった。


 幾度となく開いてきた、控室の扉。そのドアノブに手をかけた瞬間、様々な思い出が蘇ってくる。オレは頭をぶんと振って、浮かび上がってきた思い出たちを振りほどく。


 この思い出たちは、足枷にしかならない。

 この思い出も、来世では語られることはない。


 そう自分に言い聞かせながら、体の震えが止まるのを待つ。ぴたりと震えが止まると同時、オレは勢いよくドアノブを回し、扉を開いた。


「客席見たか? 今日も満席だぜ」

「かあっ、これでどうしてメジャーデビューできないんかねえ」


 控室の扉を開けると、すっかりと見慣れてしまった光景が広がっていた。


 煙草のヤニで黄ばんでしまった壁、年季の入った機材の中に埋もれているブラウン管テレビ、破れた座から綿の飛び出たパイプ椅子――見慣れたはずのそれらが、何故か懐かしく思えてしまう。


 その中で仲間たちは、いつものように現状を嘆き、夢を語らっていた。


「……轟!」


 すると、仲間の一人がオレたちの存在に気づき、こちらへと駆け寄ってきた。


「轟……この前は悪かったな。俺たち馬鹿だからさ、気づかない内にお前の機嫌を損ねるようなことを言っちまったんだろうよ。すまない、許してくれ」


 こちらに歩み寄ってきた彼は、口を開くなり頭を下げた。


 そういえば、オレは数週間ほど前、『良い前世の奴が評価されるのは仕方がない』と語る彼らに憤慨し、控室を飛び出したのだった。


 それを忘れるくらい、その後は様々なことがあった。だが彼らはこの数週間、オレのことを考えていてくれたのだろう。その事実と、これから行う彼らへの仕打ちを思うと、胸が張り裂けそうになってしまう。


「気にしないでくれ。急に飛び出して、オレも悪かった」

「そうか。よかったよ――って、その人は?」


 脈打つ心臓をなんとか抑え込んでいると、仲間がオレの背のほうへと目をやった。そこには、貼りついたような笑顔を浮かべるカルマが立っている。


 仲間たちは談笑を止め、一斉にカルマへと視線を向ける。控室にいる人間すべての視線を受けてもなお、カルマは笑みを崩さない。


「……オレの親父だ。どうしてもお前たちに挨拶したいって聞かなくてな」

「皆さんどうも初めまして。潤一がいつもお世話になっております」


 なんだなんだと集まってくる仲間たちにカルマを紹介すると、オレの背後にいたカルマが身を乗り出してきた。彼に下の名前で呼ばれると、背中に百足が這うようなむず痒さがある。 


「前々から潤一には、バンド仲間の皆さんに挨拶させてほしいと言ってたんですよ。ですが、息子は恥ずかしがりやでしてねえ。今日は無理を言って、こうして控室まで連れてきてもらいました」

「へえ。轟の親父さんですか」

「世話になってるのはこっちですよ」

「家族の話をあんまりしない轟が、まさか父親を連れてくるとはなあ」

「あんまり似てないな。母親似?」


 轟潤一の父親だと紹介されたカルマに、バンド仲間たちは興味津々であるようだった。誰一人として、カルマの存在を疑う者はいない。それもそうだろう、『こいつ本当に轟の父親か?』だなんて疑う方がどうかしている。


 仲間たちを騙していることに、自責の念を禁じ得ない。腹をくくり、覚悟を決めたものの、辛いものは辛いのだ。


「ああ、そうだ。今日はちょっとした差し入れを持ってきまして。家内が焼いたクッキーなんですがね、どうしても皆さんに食べていただきたいと家内が聞かなくて」


 オレが下唇を噛んで堪えている中、カルマはそう言いながら持参した紙袋に手を入れて、手のひらサイズのビニル袋を取り出した。丁寧にラッピングされたそれには、彼が言うように手のひらサイズのクッキーが入っている。


「轟のお母さんが? へえ、美味そう」

「食べてもいいっすか?」

「もちろん。ささ、どうぞどうぞ。他の方々も是非食べてください」


 それを見たバンド仲間たちは大いに沸き、カルマからクッキーを受け取っていく。ちょうど小腹が減っていた、などと口々にしながら、皆は次々と包装を解き、菓子を口に運んでいった。


 今回の離来徒リライトの対象は、会場の観客たちである。では観客でない会場関係者たちは対象でないかというと、そうではない。作戦を円滑に進めるため、会場の制圧は欠かせないからだ。


 会場関係者、という括りの中には、もちろんオレの仲間たちも含まれている。



「と――ど、ろ――」

「う、う――あ、ぁ――か、は――」

「たす、け――く、るし――」



 来夢来徒ライムライトの実現に向けた、最後の離来徒リライトが始まった。


 もうオレたちに、退路はない。

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