7話

7-1. 仰木信彦

「仰木さん、ありがとうございます。これでまた、来夢来徒ライムライトの実現へ一歩近づきましたよ」


 春日智弘かすが ともひろ離来徒リライトから、一夜明けた。俺とカルマはいつもの部屋にテレビを持ち込み、二人でそれを眺めている。特撮ヒーロー番組の放送を、今か今かと待つ少年のように。


『春日さんは、ここ数年で急成長を遂げている企業の敏腕社長として知られている人物でした。積極的にメディアの取材にも応じ、世間からの認知度も上がってきていたところの訃報で、巷からは驚きと悲しみの声が挙がっています』


 結論から言えば、離来徒リライトは成功した。

 語死カタルシスの効果も、申し分ない。


『春日さんの死因は未だにはっきりとしておらず、喫茶店の机の上に伏したまま亡くなっていたそうです。春日さんには持病もないことから、新型のウイルスか何かではとの声も――』


 そして何よりも、『反前世主義者の犯行ではないか』という報道がなされていない。語死カタルシスは、確かにその痕跡を消してくれていたようだ。


 まさか、反前世主義者集団が独自に毒薬を開発したなんて、警察もメディアも思うまい。お陰で、殺人の線で捜査が行われることはなく、店にいた人間への事情聴取なども行われていないようだ。


「事情聴取がされても問題ありませんでしたけどね」

「そうか? 春日は誰かと店にいた、って言われたらまずくないか?」

「それはありえません。あの店にいたのは、すべて来徒教団の人間です。もし事情聴取をされても、『春日は一人で店に来た』と言うように伝えてあります」


 満面の笑みを浮かべるカルマの言葉を聞いて、思わずあんぐりと口を開けてしまった。口元から煙草が零れ灰皿へと落ちていってもなお、俺の呆然は続く。


 あの喫茶店にいた人間は、店員から客まで全て教団員であったらしい。あまりの用意周到さと慎重さに、感心よりも驚きが勝る。しかしそれと同時に、心に靄のようなものが広がっていくのも感じていた。


「なんだよ。俺のこと信用してなかったのか」

「いえいえ、そんなことはありません。仰木さんには、離来徒リライトに集中していただきたかったのです。周りが見知らぬ教団員に囲まれていると知っていては、目の前の対象に集中できないでしょう。特に仰木さんは、初めての離来徒リライトでしたから」


 それを言われると、何も反論できなくなる。


 確かにカルマの言う通りだ。店内の人間が来徒教団の者だと知れば、きっと俺はそちらに意識を向けてしまっていたことだろう。あるいは、周りに味方しかいないことに安心して、気が抜けていたかもしれない。


離来徒リライトを実行してくれる団員はそう多くはありません。世界の変革が目的とはいえ、人殺しには違いありませんから。私もそれを十分に理解しているつもりです。ですから、離来徒リライトの実行を団員に強制しません」


 カルマ曰く、離来徒リライトを実行し、直接前徒を手にかける団員は二、三人ほどであるようだ。それも仕方のないことなのかもしれない。教団の理想には賛成だが直接殺すのには抵抗あり、という人間が多数派であろう。


「ですので、仰木さんのような存在はありがたいです。これからも、よろしくお願いいたします」


 上手く言いくるめられた感は否めないが、ともかく今は離来徒リライトの成功と、語死カタルシスの効果実証を喜ぶべきなのだろう。


 それと、俺のような者を認め、求めてくれる人間がいることに。



 ◆



 あれから、数ヵ月の時が流れた。

 俺は語死カタルシスを用いた離来徒リライトを続け、多くの前徒を来徒へと導いてやった。政治家、学者、企業の社長、活動家――多種多様な前徒を。


 前世主義者が立て続けに謎の死を遂げているということで、世間は大いに賑わっていた。様々な憶測が日夜飛び交っていて、ああでもないこうでもないと真面目に考察する者もいれば、呪いの類だと囃し立てる者もいる。どこぞの宗教団体なんかは、『神が人類の選別を行っている』だなんて言っていた。


「馬鹿馬鹿しいですよ」


 そんな風潮を、目の前の男はばっさりと切り捨ててみせる。

 街の外れにある小さな喫茶店の中では、彼の小さな嘲笑もやけに大きく聞こえてしまう。


「お偉いさんたちは働きすぎですからね、きっと過労死かなにかに違いありませんって。それがたまたま重なったからって、やれ暗殺だやれ陰謀だ、しまいにゃ神様がどうとかって。大衆ってのは、陰謀論だとか都市伝説だとか、そういうのが本当に好きですよねえ」


 男は呆れたような物言いでそう吐き捨てて、煙草を咥えてマッチを擦る。ライターで火をつけるよりも、どこか味わい深くなるような気がするのだとか。


 物言いといい、態度といい、どこかいけ好かないこの男。

 彼が、本日離来徒リライトをする前徒である。


 評論家だかコメンテータだか、この男の職業を正確に表す言葉はわからない。とにもかくにも、偉そうに講釈を垂れるのが彼の仕事らしい。


 男は以前からちょくちょくとメディアに顔を出してはいたのだが、一連の騒動で世間が賑わい出してからというもの、その露出は一気に増えた。今じゃテレビで見かけない日はない。


「陰謀論とか都市伝説とかを信じる層ってのはね、低所得者だったり前世に犯罪歴があったりと、つまるところ現世でうだつが上がらない人たちなんですよ。上手くいかない現状は、身から出た錆なんかじゃないと思いたいんでしょう。社会に、政治に、世界に、自身の不出来の原因を押し付けたいんです。ま、一種の現実逃避ですよ」


 元々、この男も前世主義寄りなきらいがあって、口を開けば反前世主義者への誹謗中傷を述べていた。前世主義者たちが立て続けに亡くなり、世間がそれを面白がっているこの情勢は、彼にとっては面白くないに違いない。


 マスメディアというのも、おおよそ彼の考えに近い。それもそうだ。この国のお偉方は、前世主義に胡坐をかいてきた人間たちで形成されているのだ。そしてマスメディアには、お偉方の息がこれでもかとかかっている。


「この前の討論番組、見てくれました? やっぱりわかる人はわかってくれるんです。専門家たちの意見も、基本的に僕と同じなんですよ」


 世間を席巻する陰謀論が、この男は気に食わない。

 世間を席巻する陰謀論を、メディアは否定したい。

 だから男は陰謀論を否定して、メディアは男を肯定する。


 昨今、彼がやたらとメディアに露出しているのは、互いの利が一致した結果なのだ。極論を言ってしまえば、一種のプロパガンダのようなものである。こうして世論は誘導され、大衆は誘導されていることにすら気が付かない。


「愚かな大衆ってのは、熱しやすく冷めやすい。すぐにでも飽きて、次はきっと芸能人の不倫疑惑にでも飛びつくことでしょうよ」


 喉元を過ぎれば、熱さは忘れてしまうのだ。

 世間を賑わせているこの熱も、この男が言うようにいつかは冷めてしまうのかもしれない。


「おっと。こんなことを言うと、前世主義を憎む神様かなんかに僕も殺されちゃいますかね。おお、怖い怖い」


 神はなんてこの世にはいないし、いたとしても人を殺すことはしないだろう。人を殺すのは、人の意思以外にありえない。


 男はけたけたと笑いながら、ふと手帳を開く。その隙を見て、俺は彼のコーヒーに語死カタルシスを盛った。そうするのは、俺の意思だ。理想の世界を実現したい、来夢来徒ライムライトを成し遂げたいという意思が、そうさせるのだ。


 決してそれは、神の意思ではない。


「そう、ですね。ははは」

「まあ仮に、この一連の騒動に犯人みたいなものがいたとしたとしたら、真っ先に僕みたいな奴が殺されるんでしょうね」


 まだ半分も吸い終えていない煙草を灰皿に押し付けながら、男はコーヒーに口をつける。この一連の騒動の犯人みたいなもの、それはまさしく来徒教団であり、語死カタルシスだ。前世主義者を殺し尽くしてきた犯人が、彼の喉を潤していく。


 俺はそれを確認して、内心ほくそ笑む。

 ああ、また一人、愚かな前徒を導くことができたのだと。



「仮にそんな奴に殺されたとしたらね。そいつの来世まで、僕は呪ってやりますよ」



 しかし、コーヒーを飲み干した男の言葉に、俺は固まってしまう。

 喜びに満ちた心は黒く淀み、近頃は幾分か薄くなっていた前世の影が、突如として濃さを増す。


 呪い。


 その言葉は確かに、前世から続く呪いである。

 黒磯茂にかけられた呪いは、仰木信彦にとっても未だ呪いのままだ。


「だから――僕――らい――のろ――」


 ゆっくりとテーブルに伏してしまった男の言葉は、既に聞こえない。それは、彼が来世へ旅立ってしまったからか、それとも俺が前世に囚われてしまったからか。




 ◆



 喫茶店内にいた団員たちに声をかけられるまで、俺は呆然としたままだった。


 ただならぬ様子の俺を団員たちは気遣ったが、それに答える余裕は俺になく、思わずその手を振り払ってしまった。そして、死体の残る喫茶店を後にして、ただひたすらに歩き続けた。


 その足は自然と教団の本部の方へ、カルマの下へと向かっていた。ここが俺の帰る場所だと思ったからなのか、それとも救いを求めていたからか。呪いの言葉で埋め尽くされた今の頭では、それを判断することは難しい。


「仰木さん。離来徒リライト、お疲れ様でした。特に問題ありませんでしたか?」


 俺が教団の玄関を開けるやいなや、カルマがどこからともなく現れた。そして、いつもと同じ笑顔を見せてくれる。今日も変わらぬ彼の笑顔を見て、僅かだが落ち着きを取り戻した。


「あ、ああ……」


 多少落ち着きはしたものの、気分が晴れることはない。忘れかけていた呪いは、確実に俺の体を蝕んでいる。そんな中でまともな返事なんてできるはずもなく、カルマの問いへ曖昧に頷くことしかできなかった。


 その様子に、気づかないカルマではない。彼は笑顔を少し強張らせ、じぃっと俺を見つめてくる。何かを探るような、何かを品定めするような、そんな顔だ。


「……少し、話でもしましょうか」


 カルマはそう言うと、ふっと顔を綻ばせ、壁へと背を預けた。


 いつもの背筋を伸ばした立ち姿からは想像のできない、リラックスしたような、あるいは気が抜けたような姿だ。団員からは神の如く扱われるカルマだが、時たま見せる人間臭さが、彼を神格化させないでいる。



「仰木さん、私は思うんです。人の生というのは、一本の道のようなものだと」



 そして、少し天を仰ぎ見ながら、彼はゆっくりと話し始めた。


 カルマが俺に持論を語るのは、いつものことだ。だが、彼の語る様子はいつもと違う。その様子のせいか、いつもより幾分か感情の入った言葉に感じられる。


「一本道……?」

「そうです。振り向けばこれまでに歩んできた道が、前世がある。前を向けば、延々と続く道が、来世がある。まさに一本道と言えるでしょう。そして、その道を歩く者は自分以外にない。その歩き方を決めるのもまた、自身以外にありえません」


 人の生は道であると、それも一本道であると、カルマは言う。


 カルマの言葉を咀嚼しながら、自らが道を歩く様を夢想した。前も後ろも薄暗く、出発点も到達点も見えない、無限に続く一本道だ。その道を歩くも、その道程を知るのも、己のみ。


 それは、なんと孤独であることだろう。


「自身の道を歩くのは、確かに自身だけです。けれどもそれは、決して寂しいことなんかではありません。我々の一本道は、他者の一本道と必ずどこかで交わっているはずなのです」


 だがその孤独を、カルマは否定する。


「この来徒教団という組織が、様々な人の道の交差点であって欲しいと、私は願っています。仰木さんの道と、私の道。それは別々の道です。ですがこうして、ここで交わることができた」


 無限に続く一本道は、必ずどこかで他の道と交差する。

 人の数だけ道があるということは、人の数だけ道は交差するということだ。そして俺の道は、現世は、確かにカルマの道と交差した。


「仰木さん。歩き続けるのも疲れるでしょう。たまには交差点の真ん中で立ち止まって、ゆっくりお話でもしませんか」


 カルマの表情が、より一層柔らかくなる。やはり彼は、俺の身に何かが起きたことに感づいていたようだ。何があったのだと聞き出すのではなく、『お話でもしませんか』と促してくるあたりが、実にカルマらしい。


「……俺の来世まで呪うと、そう言われた」

「呪う、ですか」


 その彼らしさが、今はありがたい。

 俺の前世を知っているカルマに、前世に苦しむ前徒を真に思う彼に、俺にかけられた呪いを聞いてほしい。


 来徒教団本部、俺とカルマの道が重なり合う交差点で、俺はゆっくりと後ろを振り返った。振り返れば、そこには確かに道がある。

 


「黒磯茂は、同じ言葉を言われたことがあるんだ。最後に殺した子供の、父親に」


 

 かつての俺が、黒磯茂が歩んできた、血塗られた前世の道が。

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