6-2. 轟潤一

 カルマ曰く、来徒教団はこれまで多くの離来徒リライトを実行してきたのだという。


 裏口入学を斡旋していた政治家と、これから離来徒リライトをする予定のプロデューサ。この短期間でも二人を殺そうとしている。改良を加えた語死カタルシスの検証を重ねているとはいえ、離来徒リライトのペースは早いと言ってよいだろう。


「来徒教団は実に上手く離来徒リライトの痕跡を消していましたが、前世の私は運よく夫を殺した人間の尻尾を掴みました。けれども、私は志半ばで死んでしまった。だから、復讐を来世へと持ち越したのです」


 だとすれば、アニッチャのような者も少なくはないはずだ。肉親を離来徒リライトされ、現世に取り残された親族が。愛する者が亡くなった理由も、死因すらもわからないというもどかしさは、想像に難くない。


「現世の私は、復讐を果たすために来徒教団の門を叩きました。だが、カルマは聡い。私の意図はすっかり見透かされていた」


 そう言ってアニッチャは、ふっと自嘲じみた笑みを零す。彼女の表情らしい表情を、初めて見たかもしれない。しかし、その表情はどのような感情から生まれたものであるのかまではわからなかった。 


「それでも彼は、私を受け入れた。貴方は前世に囚われた前徒だ、前徒を導くのが来徒教団の使命だ――そんなことを言って」


 来徒教団を憎み、離来徒リライトを呪う女を、カルマは受け入れたという。


 教団に益をもたらすことがないばかりか、教団を復讐の炎で焼こうとすらしている人間を受け入れるなぞ、馬鹿げている。だがその行動とその台詞は実にカルマらしいと、どこか納得してしまう自分がいた。


「来徒教団にいる内に、私は自らの愚かさに気づかされた。来徒教団を憎いと思う気持ちは、前世の私のものだ。夫は既にこの世にはいないし、そもそも現世の私にとって既に夫ではないというのに」


 そこまで聞いて、アニッチャが敬語を使っていないことに気が付いた。


「人の一生は、現世で始まって現世で終わるべきだ。私のような前徒を生まないためには、世界を変えるしかない。その思いで私は多くの離来徒リライトを行い、来徒教団の幹部となった」


 機械のように固い表情と、機械のように抑揚のない声は、既にない。それは心の底から真に前世の行動を悔いているからなのか、それともオレに対して心を許したからなのか。


「お前は強いな」


 だからだろうか、どこか彼女に気を許してしまっている自分がいた。


「オレは駄目だ。どうしても、前世の記憶を振り払うことができないでいる。女として生まれ、夫と娘を愛する母として生き、夫と娘を残して死んじまった記憶をさ」


 気づけば、心の奥底に沈めたはずの前世の記憶を再び掘り起こしていた。何故そうしたか、何故アニッチャに語ろうとしたか、自分自身でもわからない。だが考えるより先に、口が動いてしまっていた。


「前世のオレの娘――公子きみこってんだけど、公子も前世のあんたと同じでさ。若くして夫を亡くしちまったんだ。せっかく稼ぎのいい男を捕まえたってのによ。オレと旦那はなるべく公子の傍にいてやりたかったんだが、オレは持病が悪化してその後すぐにぽっくり逝っちまった」


 もしかしたらこれは、懺悔に近いのかもしれない。オレ同じように前世に囚われ、オレと違ってそれを振りほどいた彼女に、自身の苦しみを聞いてほしかったのだろう。


「前世のことは忘れようと思っていても、どうしても娘のことが気がかりでな。オレは高校生くらいの時、公子が住んでいた家の周辺を嗅ぎ回ったんだ」

「……無駄なことを」


 アニッチャは深く溜息をつき、頬に手を当てて首を小さく横に振った。呆れてものも言えない、といった感情が見て取れる。それもそうだろう。前世の記憶に囚われることの愚かさを既に悟った彼女は、その行動の無意味さや空虚さを理解しているはずだ。


「そうだな。実に無駄だった。娘は、オレの後を追って死んでたよ」


 彼女のように、前世は前世だと割り切れる日が、オレにもくるだろうか。前世の娘の死を悲しむ無意味さを、悟ることができるだろうか。


「悪い、つまらない話をした」

「……いえ、すみません。こちらこそ、つい感情的になってしまって」


 いつの間にか前世の記憶について多くを語っていたことに気づき、オレはパンと手を叩いて話を打ち切った。オレが手を叩くと同時、アニッチャは目を丸くする。彼女も彼女で、自身を曝け出しすぎたことに気づいたのか、いつもの硬い表情と口調に戻ってしまった。


離来徒リライトの話に戻りましょう。当日は――」

「アニッチャ」


 机の上に広げられた書類に再び視線を落とし、閑話休題としようとするアニッチャを呼び止める。ゆっくりと顔を上げてオレを見つめる彼女の表情には、先ほどのような柔らかさは既にない。


「さっきの口調の方が、あんたに似合ってたよ」


 だからオレは、そんな風に彼女を茶化してみせた。人間臭さのあるアニッチャを、もう一度見てみたくなったのだ。


 しかし、そんな言葉で彼女の表情が動くはずもない。アニッチャの表情は硬いままで、まばたきをする様子すら感じられない。


 

「……当日の作戦を言うぞ」



 しかし、彼女のぶっきらぼうな言葉には、僅かな温かみが感じられた。



 ◆



 来徒教団の思想についても、来夢来徒ライムライトについても、未だ理解できないところが多くある。世界を変えられる可能性があるならば縋りたい、という気持ちがあるだけだ。


 今回の離来徒リライトに協力したのだって、オレたちを見ようともしない音楽プロデューサへの逆恨みかもしれない。


「う、うう……」


 暗く寒い部屋の中央に置かれた一人掛けの椅子。そこに腕と腰を縛り付けられた男――高村啓一たかむら けいいちを見下ろしながら、そんなことを考えていた。


「目が覚めたかよ」

「お、お前……轟……」


 全身を拘束されながら項垂れていた高村は、瞼をひくつかせながらゆっくりと顔を上げ、オレを見上げた。肩、指先、腰、それぞれがぴくりと動いている。どうやら椅子から立ち上がろうとしているようだ。


「こ、ここはどこだ!? なぜ私は縛られているんだ!?」


 だがそれが叶わないと気づき、高村はようやく自身の置かれた状況を悟ったようだ。椅子をがたがたと揺らしながら、恐怖と困惑を混ぜ合わせた表情を浮かべ、喚き散らしている。


「騒ぐな。お前が逃げないように拘束させてもらってる。暴れても無駄だ」


 先日、オレは高村と連絡を取り、彼と二人で会う約束をした。多忙を極める有名人である彼と『二人で会いたい』と言っても、無下にされるだけだろう。だがここで、オレの立場と彼の思想が上手いこと噛み合ったのだ。


『自分の前世は某演歌歌手である。前世に頼りたくなくて今まで隠してきたが、そろそろなりふり構っていられない。高村氏の噂は聞いている。どうか自分たちをプロデュースしてくれないだろうか。二人きりでゆっくりと話がしたい』


 そんな風に提案すると、高村はあっさりと乗ってきた。


 驕りでもなんでもなく、インディースバンドの中じゃオレたちは名の売れている方だ。そんな奴らのメインボーカルの前世が、大物演歌歌手であるというのだから、高村が食いつかない理由はないだろう。


「話がしたいって呼びだしたのは、半分本当で半分嘘だ。ああ、オレの前世が演歌歌手ってのは嘘だけどな」


 高村をおびき出すことに成功したら、あとはアニッチャの仕事だ。彼女は人目につかぬよう彼を眠らせ、来徒教団の本部へと連れてきた。


「た、助けてくれ! 誰か! 誰かいないのか!」

「無駄だよ。ここは地下だ。誰にも聞こえやしない」


 先日の作戦会議の中で知ったのだが、この本部には幹部しか知らない地下室があるらしい。オレたちが話をしていた部屋にある本棚を動かすと、地下へと続く扉が現れるとのことだった。


 まるで映画の世界だな、と先日は思っていた。だが、アニッチャと共に高村を地下へと運んでいる内に、どうか映画の世界であってくれと願うようになってしまった。


「一般人や警察に見られたらやばい代物を隠す目的で作られた地下室だ。隣の部屋には、銃やら武器やらが所狭しと並んでるよ」


 扉の先には闇があり、闇の中には階段があった。闇の先には開けた空間があり、そこには更なる闇が広がっていた。来徒教団という連中が抱える、底知れぬ闇が。


 アニッチャが明かりを灯すと同時、名称もわからぬ銃器の数々が目に飛び込んできたのだ。それは地下室の床や壁の一切を埋め尽くしていて、足の踏み場はそれらの中にできた獣道のようなものしかなかった。


 その地下室のさらに奥にある、四畳ほどの小部屋。そこに高村とオレを置いて、アニッチャは銃器の中へと戻っていった。いつでも語死カタルシスを散布できるように、待機してくれている。


「ど、どういうことだ。轟、お前は何をするつもりなんだ。こ、ここはどこなんだ」

「さっきも言っただろ。ここは地下室だよ、来徒教団本部のな」

「ら、来徒教団だと……」


 来徒教団の名を聞いた途端、高村の顔がみるみると青ざめていく。きっと彼も、『前世主義を憎むヤバい集団』程度には教団のことを知っているのかもしれない。


 そしてそのヤバい集団に目をつけられた理由に、心当たりしかないようだった。


「わ、私は殺されるのか」

「そうだな。だけどオレは最後にあんたと話がしたくてよ。無理言って時間を作ってもらった」


 当初の計画では、高村をこの地下室に連れ次第、即座に語死カタルシスを散布する予定であった。だがオレはアニッチャに頭を下げ、こうして二人きりで話をする時間を設けてもらったのだ。


 前世主義者とは、何を考え、何を思っているのか。

 高村啓一という男は、どういう経緯で今の思想に至ったのか。


 それをどうにかして、彼自身の口から聞いてみたかった。


「なあ高村、あんたはどうして――」

「……ははっ、はははは!」


 オレが話を切り出そうとした途端、高村は部屋中に響き渡るような大声で笑い出し、拘束された体を大きく震わせた。その目玉はぎょろぎょろと忙しなく動いていて、口元からは涎を垂らしている。


 死を悟り、正気ではいられなくなったのだろうか。その様子は、まさに狂人といった感じだ。


 すると高村は体を大きくひねり、肩に置かれたオレの手を弾いた。その勢いのまま椅子は倒れ、彼の体は大きな音とともに床へと叩きつけられる。


「お前らみたいな、不出来な前世を持つ連中は皆そうだ! 前世で判断するな、前世を評価するな、そんな風に不貞腐れて何も為そうとしない! 出来のいい前世を持つ人間を妬んで疎んで、現世での不出来を前世主義のせいにする!」


 床に伏した状態のまま、高村はオレを睨みつけ、声を張り上げる。あまりに突然のことに、オレはただ彼を見下ろすことしかできないでいた。


「いいか。この国が前世主義で動いているのを知っているなら、『来世で評価されるために現世では頑張ろう』とするはずなんだよ。前世主義社会ってのは、碌でもない前世なら現世でも評価されない反面、前世さえ良ければ現世で生きるのが楽になるって仕組みだからな」


 高村は歯ぎしりをしながら、低い声で淡々と語っていく。彼の言葉ひとつひとつは、憎らしいほどに的を射ていて、現代社会の仕組みをありありと語っていた。


「賢い奴らはその仕組みをよくわかっている。わかっているから、前世では努力して功績を残し、現世にバトンを繋いできたんだ。それに対して、お前らの前世はどうだ?」


 高村の目が、もう一度オレを捉える。

 その瞳には、確かに侮蔑が込められていたように思う。 


「前世のお前らは、そういう社会構造を理解しようともせず、来世にバトンを繋げようともしない、前世主義社会にブー垂れるだけの屑だったわけだ。そんな奴らを切り捨てる私のやり方は間違っているか? 前世主義をよく理解した賢い奴に手を差し伸べる私は、間違っているか?」


 どうやら、これが高村啓一という男を支える思想、その全容であるらしい。この考えはきっと、彼に限った話ではなく、大概の前世主義者に共通するものなのだろう。


「よく、わかったよ」


 それが、よくわかった。


 前世主義者の中では、前世も現世も来世も繋がっていて、現世は来世へのバトン渡しの役目に過ぎないのだと。


 現世での不幸は、前世の怠慢が生み出したものだと。

 来世の幸福を得るために、現世での不幸は受け入れろと。


 とてもじゃないが、オレには受け入れることができそうにない。


「……なんだ? どこ行くんだよ? 私を殺すんじゃいないのか?」

「じゃあな。来世では慎ましく生きろよ」


 オレは高村に背を向け、ゆっくりと小部屋を後にする。扉の先には、おびただしい数の銃器と、アニッチャの姿があった。オレの我儘を聞いて、ずっと待機してくれていたのだ。


「いいんだな?」

「ああ。やってくれ」


 オレが項垂れるように頷いたのを確認して、アニッチャは手の内に握られていたリモコンのようなものを操作した。小部屋の中に置いておいた、語死カタルシスが充満した容器の封を開放するスイッチだ。


 彼女がリモコンを操作すると同時、扉の向こうから小さな音がした。炭酸飲料の飲み口を開いたような、何かの気体が解き放たれたような、そんな音だ。



「ガッ――カヒュッ――アアッ――」



 やがてそれは、男の悲鳴にかき消される。

 しばらくすると、その悲鳴すら聞こえなくなって、地下は静寂に包まれた。

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