6話

6-1. 仰木信彦

「次の離来徒リライトは、春日智弘かすが ともひろという男です」


 来徒教団の生み出した毒薬、語死カタルシス

 その効果のほどを確かめる離来徒リライトについて、カルマはまずその対象から語り始めた。


「この男は、昨今急激に業績を伸ばしている企業の若社長です。若くして会社を興し、短期間で業績を伸ばしたということもあってか、話題となっています」


 彼の口から出た名前には、俺も聞き覚えがあった。就職活動の折、企業の情報誌にその男のインタビュー記事が掲載されていたのを覚えている。よくわからない言葉が羅列されていたので、内容までは読んでいない。とにかく『新しい時代に新しい風を』みたいなことがでかでかと載っていたはずだ。


「しかし春日智弘は、前世での功績を重視した従業員の採用を行うのに留まらず、その功績によって給与や待遇までを決定しています。どれだけ優秀な人材であっても、前世での功績が芳しくなければ昇進すらできないのです」


 しかしその男が語る『新しい風』とは、前世から吹くものであるという。


 前世での功績を重視して採用を行う、というのはよくある話だ。そうして、俺もこれまで不採用となってきた。だが、前世によって待遇や昇進までもが決まるというのは聞いたことがない。


「春日はあろうことか、これを『合理的な経営手法』だとして公言しているのです」


 ふるいにかけるという意味では、確かに合理的であるのかもしれない。前世で優秀だった人間は好待遇にすると言えば、その通りの人間が集まるだろうし、そうでない人間は集まってこない。


 しかし、企業から前世主義の撤廃をと叫ばれている昨今で、その事実を公言することには疑問が残る。頭のネジの数本くらい外れていなくては、若くして成功を収めるはできないのかもしれない。


「前世主義に傾倒するだけならともかく、それを公言し、実際に社会へ影響を与えている。これを見過ごすわけにはいきません」

「だから離来徒リライトか」

「ええ」


 苦虫を噛み潰したような表情から一転、カルマはいつもの笑顔へと戻る。


「当日の計画をお話しします。まず――」


 語死カタルシスとやらの検証については、正直なところどうでもいい。


 俺はただ、来徒教団の理想実現に貢献できるという喜びに震えていた。



 ◆



 あれから数日語、離来徒リライト決行の日を迎えた。


 離来徒リライトの成功および語死カタルシスの効果実証を願い、俺とカルマは強く握手をして、俺は来徒教団の本部を出た。


『首尾はどうですか?』

「今のところは問題ない。あとは春日が来るのを待つだけだ」


 俺は街角の電話ボックスから、カルマへ現状の報告をする。といっても、事前の準備は前日までに済ませたので、あとは目標が来るのを待つだけといった状況なのだが。


『不測の事態が起こっても、慌てないようにお願いします。あってはならないのは、仰木さんの素性が割れることです。語死カタルシスの効果がなかったとしても、慌てず何事もなかったかのよう、その場を去ってください』

「わかった。今は警察の目も厳しい。来徒教団に疑いがかかるようなことだけは――」


 何度目になるかわからないやり取りをしていたその時、道路を挟んで向かい側にある喫茶店に、一人の男が入店していくのが見えた。俺は落ち着いて、手元にある写真を見る。そこに映っている人物の顔と、今しがた喫茶店へ入った男の顔を何度も見比べた。


 そして確信する。間違いなく、あの男だ。


「春日が来た。切るぞ」

『ええ。ご武運を』


 俺は早口でそう告げて、電話を切る。

 俺は急いで電話ボックスを出て、横断歩道を渡り、喫茶店へと入る。店の扉を開けると、受付前できょろきょろと辺りを見渡す春日を見つけることができた。


「いやあ春日さん。本日はお忙しいところをどうも」


 俺は必死に笑顔を作りながら、春日へと呼びかける。俺の声に気が付いた春日は、不機嫌そうな顔をしながらこちらへと振り向いた。


「あんたが雑誌記者の?」

「ええ。岸谷きしやと申します」


 俺は事前に予約しておいた席へと春日を案内し、椅子に座ると同時に名刺を手渡した。そこには、ありもしない企業の名前と、ありもしない肩書と、ありもしない名前が書かれている。


 今日の離来徒リライトのやり方は、いたって単純だ。


 まず、雑誌の記者を騙り春日へと接触する。企業を成長させた秘訣、これから起業を考えている人間に向けてのアドバイス――そんなものをまとめた記事を作りたいといった名目で。


 そして頃合いを見て、春日の飲み物に語死カタルシスを盛る。そのために今日は、粉末状にした致死量の語死カタルシスを持参してきた。その後すぐに喫茶店を後にして、語死カタルシスの効果のほどを判断する。


 カルマ曰く、語死カタルシスは体内にその痕跡が残らないという。喫茶店の席で亡くなっているのが発見されても、恐らく病死としか片付けられないだろう。もし殺害の疑いがかけられたとしても、亡骸から見つかるのは架空の企業名の名刺だけだ。


 語死カタルシスの効果がなければ、何食わぬ顔で喫茶店を去る。離来徒リライトは後日へ持ち越しだ。人目のあるところで春日を襲い、どこかに死体を遺棄するリスクをわざわざ負う必要もない。


「ふうん。確かにいい喫茶店じゃないか。やかましくないし、落ち着いた雰囲気だ」


 人の往来が少ない裏通りの喫茶店を指定できたのも、雑誌の取材という名目が活きている。もちろん、眼鏡やかつらといった変装はしているが、人の目は少ない方がいい。人が一切いない場所ではかえって警戒されるかもしれないし、これがいい塩梅だろう。


「それにしても、記者で岸谷きしやって。ギャグみたいな名前だな」

「でしょう? 掴みとしてはバッチリなんです、この名前」


 ちなみにこの偽名は、カルマ考案だ。話のネタにはなるし、まあ悪くない。


「春日さんと言えば、業界でも大注目の若手社長ですから。私どもとしましても、ぜひその経営手腕についてお聞きしたく……」

「おべんちゃらはよせ。私はそういうのがあんまり好きじゃない」


 二人分のアイスコーヒーが運ばれてきたのと同時、俺は春日に話を切り出した。


 離来徒リライトを成功させるためには、どこかで隙を見つけて語死カタルシスを盛らなくてはならない。そのためにも、まずは普通に取材のかたちを取るとする。


「では正直に申し上げます。春日さんの記事はウケがいい、売れる、と同業者から聞きまして」

「よし。そう言われる方がよっぽど信用できる。いいよ、何でも聞いてくれ」


 雑誌取材の仕方なんぞ、俺にはわからない。前世主義に傾倒する社長の考えも、それを取材しようとする人間の考えも、これっぽちも理解できないし、理解しようとも思わない。


 とにかく口からでまかせに言葉を紡いでみたが、上手く立ち回れてはいるようだ。今のところ、春日が俺を訝しげに思っているようには見えない。悠長にコーヒーを嗜んですらいる。


「ありがとうございます。それではまず――」


 となれば、あとは隙を見つけるだけだ。

 語死カタルシスを盛る隙を。


 まずは記者らしく振舞うことに専念しよう。この業界に興味を持ったのは何故か、起業するきっかけとなったのは何か、成功の秘訣は何か――俺はそんな当たり障りのない質問を投げかけていった。



「なるほど。いやあ、こりゃいい記事になりそうだ」

「そうかい? ならよかった。あ、すまない。コーヒーをもう一杯もらえるかな」


 合間にくだらない雑談も織り交ぜつつ話し込んでいる内に、一時間ほどの時間が経過した。段々と話すことがなくなってきたところで、春日は二杯目のコーヒーを注文した。


 語死カタルシスを盛るとすれば、ここしかあるまい。


 このコーヒーを飲んでお開きとしよう、という気配が春日からは伝わってくる。奴がコップに口をつける前にどうにかして意識を逸らさねばと、俺は段々と焦燥に駆られていった。


「春日さん」

「ん?」


 俺から視線や意識を逸らさせて、春日の目を盗む。

 それが今、俺がやらねばならないことだ。



「優秀な前世を持つ人材を積極的に採用しているというのは、本当ですか?」



 けれども俺は、彼の意識をこちらに向けるような言葉を口にしていた。


 離来徒リライトの実行は絶対だ。離来徒リライトが行われれば、春日は来世へと導かれる。そうすればもう、前世主義に傾倒する彼の意思を聞くことは叶わない。


 俺をこれまで苦しめてきた、前世主義という思想。

 それを自らの会社の運営方針にまで反映させているこの男の意思を、俺はどうしても聞かずにはいられなかった。


「ああ。そうだよ」


 怒号や叱責のひとつでも浴びせられるかと思ったが、春日の反応は実にあっけらかんとしたものだった。当たり前のことに当たり前の返事をしたといった感じで、表情を変えぬまま煙草に火を付ける。


「……前世の功績を採用基準にするのはやめよう、という動きがありますが」

「あるな。だが別に犯罪行為という訳でもあるまい? 前世主義からの脱却なんて、私から言わせれば実に非合理的だ」


 まるで昨今の情勢を嘲笑うかのように、春日は煙草の煙を吐き出した。


「岸谷さん。優秀な人間とは、なんだと思う?」

「……頭のいい人間?」

「その頭のいい人間とは何か、という話さ」


 春日は煙草を口から離し、火のついた先端をこちらへと向けてくる。それはまるで、教鞭のように見えた。


「目的達成までの道のりを、最短距離で走れる人間だ。目的を達成するためには何が必要か、何をしなくてはならないか。それを正確に理解して、最小の努力で最大の効果を生み出せる人間こそ、優秀な人間と言えよう」


 テーブルへと運ばれてきたアイスコーヒーには目もくれず、春日は淡々と持論を語る。その持論は特に難しいものではなく、ごく当たり前のことだ。よくわからない横文字を羅列されるかとも思ったが、これならば無知な俺でも理解できる。


「前世で功績を残してきた奴らは、目的達成までの最短距離をいち早く見つけ、最短距離を走ってきた人間だ。そうして生きてきた記憶があるのだから、現世でも同じことができるだろう。その能力を買って何が悪い?」


 だが途端に、彼の話がわからなくなった。


 前世で成功した人間は、確かにその能力があるだろう。そして現世でも、その能力を遺憾なく発揮してくれるに違いない。


 では、現世で努力を重ね、現世でその能力を身に着けた人間はどうなんだ。同じ能力を有していたとしても、前世での功績がある者には劣るとでもいうのか。現世での評価を諦め、来世で評価するのを待てというのか。


 前世主義が蔓延る以上、現世で評価されなかった人間は来世でも評価されることはない。その負の連鎖を、どうやって断ち切ればよいのだ。



「その真理に気づかぬまま死んだ前世を持つ人間が、どうやって現世で成功するんだ? 屑は死んでも屑のままだ。そういう屑はさ、現世でも来世でも、実らぬ遠回りの努力を続けるんだろうよ」



 笑いながら煙草の煙を吐き出す春日の言葉を聞いて、俺の中の何かが音を立てて千切れたような気がした。


「……っと、悪い。ちょっと小便」


 打ちひしがれている俺に気づくこともせず、春日は煙草を灰皿へと押し付けて席を立った。店内の隅にあるトイレへと向かう彼の背中を見届けた後、テーブルの上へと視線を移す。


 そこには、一切手つかずのアイスコーヒーが置かれている。


 もう、十分だ。十分に理解できた。今まで俺を爪弾きにしてきた連中がどのような考えであったのか、この連中がいては世界は変わらない――その事実が十分に。


 俺は上着のポケットから、ビニル袋をひとつ取り出す。その中には、粉末状にした語死カタルシスが詰められている。ビニル袋の封を開け、アイスコーヒーに注ぎ、マドラーでかき混ぜた。


 死の粉末は、あっという間に黒く淀んだコーヒーへと溶けていく。その毒牙を、闇の中へと隠すように。


「すまんね。で、何の話だったか」


 それから数十秒ほど経って、春日がハンカチで手を拭きながら席へと戻ってきた。彼は椅子を引いて腰掛けると同時、コーヒーの注がれたグラスへと手を伸ばす。


 グラスがゆっくりと傾けられて、語死カタルシスを含んだ液体が春日の口へと運ばれていく。何度か喉仏が蠢いた後、彼はグラスをテーブルへと戻した。


「……何でしたっけね」

「ああ、そうだ。前世重視の経営についてだっ、た――」


 その直後、春日の瞳がぐるりと動き、白い球面を俺へと曝け出した。同時、彼の指先がわなわなと震え出す。何か言葉を発しようとしているが、小さな呻き声のような何かが絞り出されるのみだった。



「そうでしたね。前世主義滅ぶべし、という話でした」



 語死カタルシス、とはよく言ったものだ。


 春日はもう前世主義について語ることも許されず、死を待つのみである。前世主義に染まった魂は解放され、来世へと導かれることだろう。


 俺は春日がテーブルに突っ伏したのを確認してから席を立ち、彼に背を向ける。


「カハッ――き、しや――おま、え――」


 俺はもう、振り返らない。

 


「じゃあな。来世では大人しくしとけよ」


 

 俺は俺の信ずる道を、カルマの信ずる道を、ひた進む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る