5-2. 轟潤一

来夢来徒ライムライト……?」


 藁を掴むはずの手は、いつの間にか来徒教団の幹部であるアナートマンの肩を掴んでいた。そしてアナートマンは、オレを来徒教団のボスの下へと導いた。


 来徒教団の代表、カルマ。

 彼は先日と変わらぬ笑顔でオレを出迎え、本部の奥にある小部屋へと誘った。


「人類すべての前世を統一するのです。来徒教団に離来徒リライトされた前世に、です。そこに前世の格差はなく、前世を語る者も前世を問う者もいない。その時初めて、人類は前世の鎖から解き放たれる。これこそが我々の理想、来夢来徒ライムライトです」


 そこに置かれていたソファに腰かけると同時、カルマは教団の理想を語り出したのだ。オレに何を聞くでもなく、オレに何かを促すでもなく、淡々と。


 来夢来徒ライムライト

 そんな馬鹿げた夢を、カルマは大真面目に語る。


 色々と言いたいことはあった。だが、そのあまりにも壮大かつ荒唐無稽な理想を目の当たりにして、出かけた言葉が喉の奥に詰まって出てこない。


「……そんなもん、どうやって実現するんだよ」


 ようやく絞り出せたのは、そんな問いだけであった。


語死カタルシスです」


 その問いに、カルマは笑顔を崩さず答えてみせる。

 

「カタ……なんだって?」

「来徒教団が独自に開発した毒薬の名前です。死に際に語る言葉もなく死に至らしめ、魂を解放させる――という由来から語死カタルシスと命名しました」


 カルマは机の上にあったペンと紙に手を伸ばし、ゆっくりと漢字をふたつほど書いて、俺の方へと突き出した。


 語、死。彼の物腰のように柔らかで、彼の言葉遣いのように丁寧な二文字が、メモ用紙には綴られている。この二文字で、語死カタルシスと読むようだ。


 離来徒リライトといい語死カタルシスといい、この男は随分と言葉遊びが好きなようだ。前徒や来徒、不廻名まわらずなという用語もあったが、この手の連中は何か造語を生み出さないと気が済まないのだろうか。

 

「これまでの離来徒リライトも、この語死カタルシスで実行してきたのですよ」


 来徒教団が生み出したという毒薬、語死カタルシス。その存在が、これまでの離来徒リライトを支えてきたのだとカルマは言う。確かに、外傷を負わせることのない毒薬ならば足もつきにくいのかもしれない。


 しかしその時、ふと先日の光景が蘇った。


「ちょっと待て。先週いた女……アニッチャだったか。あいつは明らかに拳銃を使ってぶっ殺してなかったか? 毒を使って殺してきました、なんて風には見えなかったぞ」


 アニッチャと名乗ったあの女は、いかにも『殺人犯でござい』とでも言いたげな風貌をしていたと記憶している。血にまみれた頬と衣服、握られた拳銃――とてもじゃないが毒を使って人を殺してきた者の姿には思えない。


「今、そこが問題になっていまして」


 オレが疑問を投げかけると、カルマは笑顔を崩し、眉間に皺を寄せながら難しい表情を浮かべてみせた。この男はこんな顔もできたのかと、どうでもよいことを考える。てっきり、笑顔以外の表情を知らないのかと思っていた。


語死カタルシスは日々改良を加えていまして。つい最近まで語死カタルシスは経口摂取のかたちでした。しかし今は、広範囲に散布して皮膚や粘膜から体内へ毒を送り込む方式へと切り替えているのです」

「……えっと」

「これまでは錠剤の形をした毒薬だったが、今は毒霧のようなものになっている――と認識していただければ結構です」


 オレがいまいち理解できていないと察するやいなや、カルマは簡単な単語を使って補足する。彼の『霧吹きみたいなものですよ』という言葉で、なんとなく語死カタルシスとやらの実態を想像することができた。


 どうやら、普通の医薬品と同じように口から摂取させる方法から、空気中にばら撒く方法へと切り替えたということらしい。農家が畑に農薬を散布しているようなイメージだろうか。なるほど確かに、その方が隠匿性は高いように思われる。


 納得と感心がオレの中に満ちると同時、空恐ろしさも湧いてきた。

 人を死に至らしめる毒の霧なんて、もはや化学兵器ではないか。こんな小さな建物を本部とする団体が、それを完成させたというから余計に恐ろしい。


「ですがこれが難航していまして。先日、アニッチャにも試作の語死カタルシスを用いての離来徒リライトをお願いしたのですが、あまり効き目がなかったようです。それで仕方なく、あのように銃弾を使うかたちに」


 先日アニッチャがあのような姿だったのは、ある意味イレギュラーなものであったらしい。あの離来徒リライトは毒薬の検証を兼ねていて、それが失敗した結果があの姿であったとカルマは言う。


「ですが先日、『今度こそは間違いない』と開発班から報告がありました。来週の土曜日、再び語死カタルシスの効果のほどを実証する予定です」


 そう語るカルマの瞳には、野望の炎が灯っている。

 離来徒によって前徒を導くことに燃えているのか、改良されたという毒薬の効果のほどを期待しているのか、はたまた両方か。


「……また離来徒リライトをするのか」

「ええ。轟さん、貴方にはお話ししておきましょう。貴方にも関係のない人物ではありませんからね」

「なんだと?」

「来週の離来徒は、高村啓一たかむら けいいち。某レコード会社のプロデューサです」


 カルマの口から出た人物の名を聞いて、心臓が跳ねた。

 その人物をオレはよく知っていて、さらに言えば今こうしてオレがここにいるきっかけを作った人物でもあったからだ。


「彼はインディーズバンドのスカウト業務に力を入れています。自らライブに足を運ぶのはもちろん、積極的にオーディションを開催したり、ですね」


 メジャーデビューを志すバンドマンであれば、高村啓一の名を知らない者はいない。数多くのミュージシャンを発掘、プロデュースをし、飛躍させてきた男だ。彼の目に留まることイコール、音楽活動の成功と言って差し支えないだろう。 


「けれども彼は、前世で音楽業界に貢献した人物にしか声をかけないことでも知られています。話題性もあるし、プロデュースも楽なのでしょう。このような蛮行を、我々は見過ごすことはできません」


 歌姫・三島冴子みしま さえこを前世とする女も、高村啓一の目に留まったのだと、バンド仲間は言っていた。なるほど、高村氏はそんな風にこれまでもプロデュース活動をしてきたということか。


 高名なプロデューサ殿のお眼鏡には、前世の輝きしか映っていない。そのことは確かに悔しいし、納得のできるものではない。


 だがそれ以上に、彼のやり方は合理的であるとされる世界の実情が、ひどく歯痒かった。前世から目を背けるオレの生き方は実に非合理的である――そう言われているように思えてならないからだ。


「そんな蛮行を是とする世界に失望して、轟さんはここへ来たのでしょう?」

「……それは」


 そんなオレの心情を読み取れないカルマではない。


 まるでライブハウスでの一部始終を見てきたかのように、彼は問いかけてくる。彼の言葉は図星以外の何物でもなくて、オレは何も言えなくなってしまった。


「轟さんの抱える『せいの不一致』は非常に難しい問題です。外的要因ではなく、内的要因であるところが大きいですから。申し訳ありませんが、来夢来徒ライムライトが実行されても轟さんの悩みは解決できないかもしれません」


 その隙を、カルマは見逃さない。あと一押しでオレを懐柔できると判断するやいなや、ここぞとばかりに畳みかけてくる。


 社会の在り方が変わっても、オレの苦しみは変わらない。それは、来夢来徒ライムライトの全容を聞いた時から思っていたことだ。カルマは、綺麗な言葉でその事実を誤魔化したりはしない。


「ですがそれは、『現世の命運を前世が左右する』という常識が蔓延った世界だからそう思うのかもしれません。前世という障壁がなくなった新しい世界では、その悩みは悩みでなくなっているかもしれない」


 そんな馬鹿な、と一蹴することもできたはずだが、今のオレにはできなかった。


 価値観が一変した世界では、今の常識が非常識となり、今の非常識が常識となることもあるだろう。その際は、オレの悩みが悩みでない可能性だって、あるのかもしれない。


「これは希望的観測に過ぎません。ですが、世界を変えなければ現状は変わりません。世界を変えなければ、その答えはわからず終いです。轟さん、我々と一緒に世界を変える気はありませんか」


 今の世界では、前世と現世は切っても切れない関係にある。

 オレの苦しみを解放する術は、世界を変革しなければ見つからない。


「……カルマ」

「はい」


 前世と現世を繋ぐ、見えない鎖。

 それを断ち切る刃を、この男は持っている。



「来週の離来徒リライト、オレにも協力させてくれないか」



 それに手を伸ばさない理由は、オレになかった。




 ◆



 前世の輝きだけを追い求める愚かな前徒、高村啓一。


 音楽業界の重鎮である彼を来世へと導くとともに、語死カタルシスの効果検証を行う。その離来徒リライトの決行は、一週間後となった。


 カルマは『成功を祈っております』と微笑んでオレの手を強く握り、部屋を後にした。当日の細かな段取りは、離来徒リライトを実行する者たちに一任するとのことらしい。


「轟さん、先日のご無礼をお許しください。離来徒リライトへのご協力、感謝いたします」


 離来徒リライトを実行する、オレとアニッチャに。


 カルマと入れ替わりになるかたちで、彼女はこの部屋へとやってきた。その装いは先日と打って変わって小奇麗なものだが、凝り固まった表情は先日と変わりない。彼女はソファに腰かけてオレと向かい合うとすぐに、次週の離来徒リライトに関して淡々と語り出した。


 決行の日時、場所、死体の処理。アニッチャの語るすべては、離来徒リライトの成功に欠かせない重要事項ばかりである。だがオレは、そんな彼女の言葉がまったく頭に入ってこないでいた。


「なあ、あんた。えっと――」

「アニッチャです」


 それは、未だにこの非現実的な状況受け入れられないからかもしれない。あるいは、目の前に座る小さな女の考えがまるでわからないからかもしれない。


 アニッチャという不廻名まわらずなは、来徒教団の幹部である証だ。カルマとアナートマンとは一回りも二回りも若いと思われる彼女を教団の幹部にまで押し上げたものは、何であるのか。世界を変革したいと彼女に思わせたものは、何であるのか。


「アニッチャ。あんたはどうして来徒教団の一員になったんだ?」


 それがどうしても気になって、思わず言葉にしてしまった。

 はっと気づいて顔を上げるが、時すでに遅し。前世での行いを覆せないのと同じように、発してしまった言葉は取り消せない。


 来徒教団の一員であること、すなわちそれは前徒であるということだ。前徒であるということは、すなわち前世の記憶に苦しんでいるということである。


 前世の呪縛から解き放たれることを目的とする来徒教団で、前世について尋ねるなぞ、まさしく愚の骨頂ではないか。


「…………」


 アニッチャの表情は相変わらず硬く、怒っているのか呆れているのかを判断することは叶わない。だが、彼女の話を遮ってデリカシーを欠いた質問をしたのはオレの方だ。


「わ、悪い。話の腰を折るようなことを言って。続きを――」

「私の前世は、来徒教団への憎しみに支配されていました」


 オレは慌てて謝罪の言葉を述べようとするが、今度はそれをアニッチャが遮る。彼女の口から語られたのは、『来徒教団への憎しみ』という、予想だにしない言葉であった。


「……なんだって?」

「前世の私には、夫がいました。私にはもったいない、素晴らしい夫です。私は彼を心から愛していましたし、自惚れでなければ彼も私を愛してくれていた」


 鉄仮面のような表情を常備している彼女だが、前世では人並みに愛を育んでいたらしい。前世の伴侶について語るアニッチャの口調は、心なしか暖かいような気がした。



「そんな彼が、ある日突然死にました」



 その口調は、途端に冷たく鋭いものとなる。

 愛する夫を失う悲しみは、想像に難くない。なぜならば、前世のオレにも最愛の夫がいたからだ。


 しかし、前世の伴侶の死と来徒教団、何の関係があるのだろう――と頭を悩ませたのも一瞬だけだった。


「まさか……」

離来徒リライトです」


 今まさにオレたちは、人を死に至らしめる計画を立てていたのではなかったか。



「夫は、来徒教団に離来徒リライトされ、来世へと旅立った。当時の私はそれが許せず、復讐を果たさんとするため来徒教団に潜り込んだのです」



 来徒教団幹部、アニッチャ。

 彼女を縛る前世の鎖は、予想以上に強固でありそうだった。

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