5話

5-1. 仰木信彦

 俺が来徒教団の一員となってから、一月ひとつきが経過した。


 カルマの語る夢に対して信仰心に近いものを抱いていたその矢先、『貴方のような人材が必要だ』と言われたのだ。それを拒む気持ちも理由も見当たらず、俺はその誘いに頷いた。


「前世調査を行い、人々の前世を管理する――そのシステム自体を否定するつもりはありません」


 来徒教団の仲間入りを果たしたからといって、何かが大きく変わったということはない。


「意外だな」

「前世を偽っての犯罪行為は許されるべきではない。それを取り締まる術がない方が問題です」


 ただ週に一度、こうしてカルマと前世主義や社会の在り方について話をする、といった習慣ができたくらいのものだ。来徒教団本部、その奥にある小さな部屋。今週も俺たちはそこにいた。


 今宵は、前世調査関連が話題に挙がった。そこから派生するかたちで、前世を管理する社会の是非について、カルマが持論を述べている。


「前世の功績を現世での評価にすべきではない、という考えの我々にとって、前世を偽って利を得る行為はもっとも忌むべき犯罪です。前世を管理することでしかその行為を罰せないのが現状ならば、致し方ありません」


 前世調査なんてものがなければ、前世が国に管理されてさえいなければ、と俺が愚痴を零したのがきっかけだ。カルマは意外にも、『前世調査』というシステム自体には肯定的のようだった。


「しかし、来夢来徒ライムライトが成功した後の世界では、それも必要なくなるでしょう。皆が前世を口にすることのない世界なのです。前世を偽った犯罪も起きようがありません」


 そして話はカルマの理想、来夢来徒ライムライトへと繋がっていく。


 誰もが前世について語らない、誰もが前世について聞かれない、誰もが前世という鎖から解き放たれた世界。カルマの語るそれに、俺はどうしようもなく惹かれてしまう。


離来徒リライトも順調だしな」


 机の上に置かれた灰皿に煙草を押し付けた後、ソファに背中を預け天井を仰ぎ見る。政治家、学者、活動家といった人物たちの訃報を思い出しながら。


 来夢来徒の実現の足掛かり、離来徒リライト。前世主義思想に侵された前世を離れ来徒へと導かれた者は、この一ヶ月の間でも、俺が知っている限り四人はいる。テレビで報道されるほどの人物が四人なのだから、その実情はもっと多いのだろう。


「そうでもないのですよ」

「謙遜するなよ」

「いえ、謙遜などではなく」


 カルマは苦笑いを浮かべるでもなく、神妙な面持ちのまま俺の言葉を切り捨ててみせた。


 一ヶ月に最低四人の離来徒リライトということは、一週間に一人は離来徒リライトを実行していることになる。それは順調と呼んで差し支えないと感じるのだが、カルマからするとそうでもないらしい。


離来徒リライトのペースが早いだとか遅いだとか、そういうことではありません。目に余る前徒を導いているだけですから、離来徒リライトにノルマなんてありませんしね」


 カルマは俺の思考を見透かすように、小さくも力強く念を押す。


 離来徒リライトとは、前世に縛られることのないまっさらな来世へと人々を導くことを言う。結果として命を奪うことにはなるが、それは俺が前世で行っていた殺戮とは程遠いものだ。たくさん離来徒リライトしたから良い、まったく離来徒リライトしていないから悪い、だなんて基準などありはしない。


 その離来徒リライトに『順調』などという言葉を使ったことに反省する一方で、はてと思う。ではなぜ、カルマは浮かない表情であるのかと。


「名のある前徒を、短い間に離来徒リライトしすぎたかもしれません。度重なる政治家たちの死に、世間は非常に盛り上がってしまっています。それも、『反前世主義の連中の報復に違いない』とね」


 カルマは前のめりになり、肘を机に置いて両の手を組む。彼の顔は拳に隠れてよく見えなくなってしまったが、浮かない表情であるのは確かだろう。


 反前世主義者が前世主義者たちを殺して回っている――立て続けに起こる著名人の死に対し、世間の声はおおよそそんな感じだ。事件が起こる度に黒磯事件を例に挙げるメディアの影響も、少なからずはあるだろう。 


「警察はこれから、数ある反前世主義団体を徹底的に調べあげていくことでしょう。来徒教団は、まだまだ小さく知名度もそこまでありません。ですが我々は、『人類を前世の鎖から解放する』だなんて目標を掲げている団体です。警察の目がこちらに向くのも、時間の問題でしょう」


 確かにテレビの報道でも、有名な反前世主義団体の名前が幾つか挙がっていた。警察としても、まずはその近辺から洗い出していくに違いない。しかしそこから埃が出ないとなれば――あとは言うまでもないだろう。


「なら俺に離来徒リライトを任せてはくれないか」


 柄にもなく難しい表情を浮かべていたカルマに、俺はそう言ってやった。困惑を隠しきれない顔を上げた彼に、俺は胸を叩いてみせる。


 この一か月、俺は心のどこかにもやもやとしたものを感じていた。もちろんカルマの哲学を聞くのは幸福この上ないが、来徒教団の理想実現に貢献できているとは微塵も思えなかったからだ。


 離来徒リライトを手伝え、前世主義者たちを来世へ導け――そう言われれば喜んで実行する。しかしカルマは何も言わず、ただ俺に理想を語るのみであった。来徒教団の一員となったばかり、それも前世で人を殺したことを悔いている俺を気遣ってのことかもしれない。


 だがそれが、かえって疎外感を増幅させた。これはその疎外感を払拭するいい機会になるかもしれないと、俺はカルマに詰め寄っていく。


「前世では何人も殺してきた俺だ。他の団員よりは、人の殺し方に長けてるつもりだし、証拠を残さないやり方も――」

「仰木さん」


 だがそれを、カルマは拒絶した。

 その瞳には確かに怒りの炎が灯っている。


 短い付き合いではあるが、彼のそんな表情を見るのは初めてで、咥えた煙草を思わず落としてしまう。俺を咎めるように呟いたその声色は、優しくも重い。


 そこで俺は、はっと気づいた。

 前世での行いを得意げに、それも人殺しの経験を語るだなんて、カルマが最も憎むところではないか。


 そんな人間が蔓延る世界が嫌で、そんな世界を変えたくて、俺は来徒教団に足を踏み入れたのではなかったか。


「……すまん」

「いえ。離来徒リライトに協力したいと、仰木さんに言っていただけるのは心強いです」


 カルマは俺を咎めることをせず、いつもの笑顔に戻ってみせた。俺の失言の本質を見極めて、それを称賛すらする。彼のそういうところが、彼を教団のトップとたらしめている所以なのかもしれない。


「……警察も来徒教団に目をつけてくるだろうし、しばらく離来徒リライトはやらねえってことでいいんだな?」

「いいえ」


 改めて謝罪することも感謝を述べることも、どちらもなんだか違うような気がして、俺は半ば強引に話を戻すとした。騒ぎが収まるまでは離来徒リライトを中断するのものだと思っていたが、カルマはそれをきっぱりと否定する。


離来徒リライトを中断することは絶対にありえません。前徒を導くことをやめること、それすなわち来徒教団をやめることに他ならない」


 言われてみれば確かにそうだ。社会の仕組みをひっくり返そうと豪語する者たちが、社会の仕組みに恐れをなして屈するというのは、余りにも滑稽ではないか。

 

「でも警察が嗅ぎつけてくるかもしれねえんだろ?」

「ですから離来徒リライトを中断するのではなく、証拠を残さないこと、我々の痕跡を残さないこと、それらの徹底が重要となるでしょう。それは、警察の手から逃れることため、という理由も勿論あります。しかしそれ以上に、『前世主義者を裁く何かがいる』と世間に知らしめることにも繋がります」


 離来徒リライトの目的は、単なる粛清にあらず。


 前世について語ることが憚られる世界を実現するため、『来徒教団に粛清された前世』を持つ来世へと導く行為が、離来徒リライトだ。


 前世主義者を裁く何かがいる、という風潮を作り出すことは、その理想実現への近道になるに違いない。その『何か』の正体が不明であればあるほど、空恐ろしさも増すというものだ。


「なので、今後の離来徒リライトにはこちらを使用していこうと考えています」


 カルマの語る言葉ひとつひとつを咀嚼していたその時、彼はおもむろに羽織っているジャケットのポケットをまさぐった。そこから小さなビニル袋を取り出して、俺の眼前へと突き出してくる。


 ビニル袋の中には、錠剤のような何かが数十錠ほど入っていた。これを今後の離来徒リライトに用いるとカルマは語ったが、その言葉の意味はまるでわからない。俺はただ、それをじっと眺めることしかできないでいた。


「それは?」

「来徒教団が開発した毒薬です。確実に服用者を死に至らしめる劇物で、その痕跡が体内に残らないという優れものです」


 毒薬。カルマはさらっとそう言ってのけた。


 その言葉に、しばらく理解が追い付ない。何度かまばたきをする以外、俺は一切動けないでいた。脳の処理がなんとか正常に戻ったところで、再度カルマの手の内を見る。


 ビニル袋に包まれた錠剤は、風邪薬かビタミン剤かのようにしか見えない。だがそれは、人を死に至らしめる毒であるという。カルマの言葉の意味をようやく理解してもなお、俺は微塵も動けないでいた。


「ど、毒って……」

「来徒教団の中には、学者や研究者も少なくないのです。そういった方々が、研究の末に完成させました。感謝の言葉もありません」


 そんなものどこから調達してきたんだ、と聞く前に答えが返ってきた。人を死へと追いやるほどの危険物は、カルマ曰く来徒教団が独自に開発したものであるという。


 ならば入手経路もくそもない。それは納得できた。だがしかし、納得の次には新たな疑問が湧いてくる。


「学者や研究者だあ? なんでそんな奴らが来徒教団に……」

「そういった方々だからこそです。彼らのほとんどは、前世でも学者だったそうでして。彼らは現世でどれだけ素晴らしい研究や開発を成功させても、『前世も学者だった奴は違うなあ』などと言われてきたそうです」


 学者や研究者といった、いわゆる『優秀』な人間たちが、来徒教団に所属しているとはどうしても思えなかった。そういう類の連中は、前世主義社会に翼を授けられた者たちではないか。前世主義社会を憎む俺たちとは、正反対の思考を持って然るべきだ。


 だがしかし、そうではないとカルマは言う。優秀であった前世の記憶を持つ、現世でも優秀な人間たちにも、彼らなりの苦しみがあるのだと。自らの功績が、前世という影に飲み込まれてしまうのだと。


「どれだけ結果を残しても、どれだけ努力しても、その評価には必ず前世が付いて回る。自分を優秀だと思えば思うほど、前世を加味したその評価に納得がいかない。研究成果と違い、前世の記憶はどれだけ努力しても覆ることはありませんからね。そうして、現世の能力だけを評価する場所を求めた結果、来徒教団へとやってきた。そのような前徒も一定数いるのです」


 その苦しみの果てに、来徒教団という居場所を見つけ出す。


 自分とは生きる世界が正反対の人間たちが、自分と同じ居場所を見出したという事実が、非常に面白い。前徒という存在は、思った以上に多様性に満ちているらしい。そんな多種多様な前徒の集まりが、来徒教団なのだ。


「この毒薬は、そんな彼らの努力の結晶です。仰木さんには、この薬を使っての離来徒リライトを実行していただきたい」


 俺の心が高揚しつつあるのを、カルマは見逃さない。

 彼の言葉は俺の中にするりと入ってきて、火が灯り始めた心に薪をくべる。


 離来徒リライトに協力させてほしいという俺の願いを聞き入れてくれたことはもちろん、来夢来徒の実現に不可欠だという毒薬の検証に俺を使ってくれることが、たまらなく嬉しかった。


「この毒薬は、来夢来徒ライムライト実現には不可欠な代物だと私は考えています。今回の離来徒リライトには、この毒薬の効果のほどを調査する目的もあります」


 心に灯った火は炎となり、俺の体を熱くした。


 離来徒リライトに協力することができる。

 来夢来徒ライムライトの実現へ貢献することができる。

 カルマの役に立つことができる。 



「死に際に語る言葉もなく死に至らしめ、魂を解放させる毒薬――語死カタルシスの効果のほどを」



 カルマが手渡してきたそれは、ほのかに温かい。

 確かに帯びたその熱は、彼の決意の表れに他ならなかった。

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