4-3. 天城至

 十年前の事故は、それまでの僕の記憶を根こそぎ奪っていった。

 現世での六歳までの記憶と、前世の記憶――それらを丸ごとだ。


 当事者として恥ずかしいことなのかもしれないが、僕はその事故についての詳細をまるで知らない。数年前に施設の職員から、『車に轢かれて生死の境を彷徨った』と聞いたのみである。


 それは、下手に思い出してトラウマを呼び起こしてもいけないと、あえて詳細を伝えないようにしているそうだ。


『その言い分もわかるけどさ。何かを隠してる、とも考えられない? もしそうだとするんなら、それはあんたの前世に関することに違いない……とあたしは思うけど』


 先日、音無はそんなことを言っていた。

 彼女の言い分は一理ある。その仮説は僕の中にすとんと落ちてしまい、それからは大人たちが何かを隠しているとしか思えなくなってしまった。


「過ぎたことを考えても仕方ないよ」


 あれから何度か施設の職員に尋ねてはみたのだが、返答はおおよそこんな感じだった。元々、どこか僕に対してよそよそしい連中だ。端から期待はしていないが、やはりどうしても落胆はしてしまう。


 そのことが余計に、音無の仮説の裏付けていくように感じられた。やはり僕の前世を知っている連中は、十年前の事故について隠していることがあるのではないのか、と。



「すみません。少し伺いたいのですが」


 だから僕は次の手を打つことにした。

 十年前の事故は、前世の記憶ごと吹き飛ばすほどのものだった。であれば、どこかしらの病院に運ばれ、入院ないし通院をしたはずだ。


 それを突き止め、当時の僕を診察した医師を見つけ出す。そして、十年前の事故について問い詰めるのだ。施設の人間が口を割らないのであれば、もうこれくらいしか方法は思いつかない。


「はい。なんでしょう?」

「随分と昔になるんですけど、この病院に入院してまして」


 音無と学校をサボった三日後の土曜日、僕の足は街の中心部にある大学病院に向かっていた。ここらで一番大きな病院だ。もし運ばれるとしたら、ここが最有力候補だろう。


「それで当時の先生にお礼が言いたいんですが……小さい時のことで忘れちゃって。調べてもらうことってできませんか?」


 病院の受付にいた女性職員にそう伝えると、彼女は柔らかく笑って頷いた。口から出まかせに言ったのだが、案外なんとかなるものだ。


「はい、大丈夫ですよ。お名前を伺ってもよろしいですか?」

「天城至です」

「天城さんですね。少々お待ちください」


 僕が頷いたのを確認して、彼女は受付の奥へと引っ込んでいく。その間に、病院のロビーをぐるりと一周見渡してみた。大学病院とあって、やはり広く清潔感がある。病院特有の匂いは薄く、いい意味で病院らしくないとすら感じてしまう。


 そんなことを考えていると、先ほどの女性が足早にこちらへと戻ってくる。しかしその表情はどこか暗く、それだけで色々と察することができてしまった。


「……申し訳ありません。当院の記録には、天城さんのお名前はありませんね。病院をお間違えではありませんか?」


 どうやら、当たりを引くことはできなかったようだ。

 だがしかし、まだ一つ目だ。気を落とさず、気長かつ迅速に調査を進めるとしよう。



 ◆



 あれから、二週間が経過した。

 市内のみならず、隣接する街にある病院まで調査の範囲を広げ、時には学校をサボってまで病院という病院を渡り歩いた。


 その結果は、見事にすべて空振りであった。


 ありとあらゆる病院を訪れたが、返ってくる答えは決まって、『天城至という人間の入院記録はない』というものだった。休日を返上し、時には平日すらも犠牲にして骨を折った結果がこれである。


 落胆、疑念、憤怒、疲弊――様々な感情が僕の中を暴れ回った。


「すみません」


 その結果、茫然自失のままに重い足を引きずって、ここまで来た。それは自暴自棄であったのか、藁にも縋る思いであったのか、自身にもわからない。


「戸籍謄本を、一部」


 僕の住まう街の役所、その窓口に僕はいた。

 何か間違いが起きていてくれと願いながら、窓口の職員へ身分証と代金を手渡してやる。


「はい。お待ちください」


 平日の昼間に学生が何をやっているんだ、なんてことも言わず、職員は淡々と業務をこなす。職員に促されるまま、『市民課』と書かれたプレートの前にあるソファに腰かけると、一気に疲れが押し寄せてきた。


 このまま眠ってしまおうか、と思っていた矢先、市民課受付の壁に貼られていたポスターが僕の虚ろな瞳に飛び込んでくる。


『未就学児のお子様がいるご家庭へ

 お子様の前世調査はお済みですか?』


 それは、前世調査の実施を促すポスターだった。父と母、そして子供の可愛らしいイラストが描かれている。


「前世調査、か」 


 この国では、個人の前世は戸籍の一項目として管理されている。氏名、出生、本籍、婚姻――そして前世。その者の前世が何であったのかが、身分のひとつとして考えられているのだ。


 そして個人の前世は、幼年期に確定される。


 幼年期というのは、まだ前世と現世で記憶の区別がついておらず、まるで昨日の出来事であるかのように前世の記憶を話すことも珍しくない。そんな時期を見計らい、各自治体は未就学児とその家族を呼び寄せて、その者の前世を確定させる。それが『前世調査』だ。


 前世調査では、幼児にいくつかの質問をする。すると、前世の記憶と現世の記憶の分別がつかない幼児は、それら質問に前世の記憶も織り交ぜて回答することとなる。幼児の回答と生年月日、その日もしくは数日前に死亡した人間の一覧、それらを照らし合わせることで前世を確定させるのだ。


 そうして確定された前世は、戸籍に関する情報のひとつとして登録され、国や自治体に管理される。それがこの国の仕組みだ。


 この仕組みを、来徒教団やアナートマンはどう思っているのだろうか。前世調査に関するポスターを眺めながら、そんなことを考えていた。


『15番の番号札をお持ちの方。3番窓口までお越しください』


 そんなことを考えていると、呆けた僕に喝を入れるよう、無駄に大きな電子音声が辺りに轟いた。はっとして手元にある紙きれを見ると、そこには『15』の数字が刻まれている。十数秒ほど遅れて自分が呼ばれたのだと気づき、足早に受付へと急いだ。


「お待たせいたしました。こちらでお間違いないでしょうか」


 職員が手渡してきた書類を受け取り、その場で目を通す。

 戸籍謄本。この一枚の紙きれが、僕の存在を証明している。


 顔も知らない両親の名前はすでに抹消されていて、出生も本籍もこの街となっているのが確認できた。そしてそこには、もちろん『前世』の項目もある。ただ一行、前世での氏名が書かれている項目ではあるが、その一行の重さを僕は知っている。


 僕は僅かな願いを込めながら、戸籍謄本の最後に記載されている『前世』の項目へと目をやった。



『前世:不明』



 その一行の重さが、僕の肩にのしかかった。


 あるいは、万が一、もしかしたら――なんてことは起きるはずがない。十年もの間変わらない現実が、『不明』という二文字となって戸籍謄本へと刻まれていた。


 この『前世』の項目には、前世調査の結果が反映される。だがしかし、何事にも例外は存在する。


 この国で亡くなった人間の大半は、再びこの国で生を得ることが大半だ。しかし稀にそうでない人間もいる。こうなっては前世を特定することは難しい。そういう場合、前世は不明と片付けられることが大半だ。


 また、前世では生後間もなく亡くなった、というケースもある。そうなると、前世の記憶なんてありはせず、特定もほぼ不可能だ。そういった場合も前世は不明と片付けられる。


「じゃあ僕は何なんだよ……」


 今でこそ記憶はないが、僕も幼き頃に前世調査をして前世を確定させたはずだ。施設職員たちの口ぶりやこれまでの経緯から、それは確実だろう。しかし、僕の前世は『不明』と記載されている。


 前世の項目が不明となっていることなんて、とうの昔に知っていた。しかし手がかかりが一向に掴めない僕は、藁にも縋る思いでここに来た。その結果、見事に現実を突きつけられて、こうして打ちひしがれている。


「くそッ!」


 現実から目を背けるように、現実が刻まれた一枚の紙きれを握りつぶす。役所の入口に設置されていたゴミ箱にそれを投げ入れると、乾いた音が物悲しく辺りに木霊した。



 ◆



「それでここ最近サボり気味だったわけだ。天城くんもとうとう不良高校生の仲間入りってことね。おお怖い怖い」


 久しぶりに登校してきた僕を待ち受けていたのは、教師からの叱責ではなく、心底楽しそうに笑う音無の姿だけだった。彼女とのサボりも含めて計五日ほど学校を無断欠席したことになるが、教師たちからの反応はない。


 つまるところ、学校側は僕に興味がないのだ。あるいは関わりたくないだけかもしれない。落ち込むところまで落ち込んでいる今の心情を思えば、今回ばかりはそれがありがたい。


「こりゃもう、前世のことなんざ忘れて現世に生きろ、って神様が言ってるんだよ」


 生徒の立ち入りが禁じられている、校舎の屋上。僕たちはそこで肩を並べながら話し込んでいる。昼休みになった途端、嫌らしい笑みを浮かべた音無に呼び出されたのだ。無論それは、僕が学校をサボってまで実施した調査の結果を聞くためだった。


「……なんか嬉しそうだね、音無」

「そりゃもう。ここまでやって十年前の事故の手掛かりはまるでないんでしょ? いやあ、可哀そうすぎて笑えてくるってもんよ」


 音無の笑顔に同調するよう、秋風が僕たちの間を吹き抜けた。彼女は乱れた前髪を直すことも忘れ、腹を抱えて笑っている。


「いや、収穫がなかったわけじゃない」


 僕はそれがなんだか気に食わなくて、紙パックのジュースを啜りながら小さく呟いた。それは独り言に近いほどのか細い声だったと思うが、音無はそれを聞き逃さない。


「はあ? 何も手掛かりがなかったって、さっき言ったじゃん」


 途端、彼女の表情と声は不機嫌なものへと変貌する。

 余計なことを言ってしまったか、と思ったがもう遅い。何か言い訳をする暇もなく、音無はずいっと僕に迫ってきた。


 しかし、思考を整理するいい機会かもしれない。それに、僕の考えていることに対して音無がどう思うかも気になる。彼女なら、的確な指摘を寄越してくれることだろう。


「手掛かりがなさすぎる、ってのが手掛かりだよ」

「……なに? いつもの駄洒落か何か?」

「違うよ。そのままの意味」


 じとっとした視線を向ける音無に少々尻込みしてしまうが、口の中に溜まった唾とともに緊張を飲み干した。僕は彼女から目線を逸らし、フェンスへと体を預け、散らばった思考をまとめていく。


「手掛かりが、あまりにもなさすぎる。それはもう不自然なほどに。六歳の少年の記憶を吹き飛ばすほどの事故だよ? それなりに話題になっててもおかしくない。けれども、誰もそれを知らないばかりか、通院した記録すらない」


 僕の事故に関する情報は、少ないというレベルの話ではなく、もはや皆無であった。病院の調査だけでなく、当時のことを色々と聞いて回ってみたりもしたのだが、事故について知っている人間すら見つけられず終いである。


 これは、極めて不自然だ。

 人為的な何かが働いている、と考えるのが自然だろう。


「……意図的に事実が隠された、とでも言いたいわけ?」

「わからない。だけどそう考えると、僕の戸籍に前世の記述がないのも頷けてくる」

「ふうん」


 そんな僕の考えに、音無はひどくつまらなさそうな返事をする。呆れているのか、はたまた興味がないのか。一切の感情が排除されたような彼女の表情からは、それを窺うことはできなかった。


「ねえ、天城」


 音無はこう見えて、実に論理的かつ合理的な人間だ。

 彼女の発言や行動には必ず意味があって、それにいつだって僕は助けられてきた。今回もきっと、正鵠を射るような助言をくれるに違いない。



「デート、しよっか」



 だがしかし、今回の発言の意図するところは、全くもって察することができなかった。

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