4-2. 轟潤一
「今日のライブも満員だったな」
「ああ。波に乗れた感じがあるなあ」
「このままメジャーデビューまで突っ切るしかないだろ」
いつものようにライブが終了し、いつものように控室へと戻ってきたオレたちは、いつものように夢を語っていた。そこにはいつもよりも強い熱気があって、いつもよりも長い余韻がある。
「なあ轟、お前もそう思うだろ?」
「……え、なにが?」
「なにが、って。話聞いてなかったのかよ」
その中でオレは、心ここにあらずといった感じだった。
バンド仲間の声も、僅かに聞こえてくる他のバンドの演奏も、どこか遠い。意識は宙を彷徨い、思考は上手くまとまらず、感情はどこかへ置き忘れてきてしまったように思えてしまう。
「体調でも悪いのか? 無理しないで帰った方がいいぞ。片付けなら俺らでやっておくから」
「い、いや、なんでもない。大丈夫だから」
それはどうやら周囲から見ても明らかだったようで、バンド仲間たちは心配そうな顔でオレを覗き込んでくる。何でもない風を装ってみせるものの、その様子は自分でもわかるくらいに不自然であった。
自分でもわかる程度に呆けているのだ。それが第三者に伝わらないはずがない。
「……何か悩みがあるなら言えよな」
それでも彼らは、それ以上オレを追求することはしなかった。
言いたくないのならば言わなくてよい、といったところだろうか。その優しさが、今は心苦しい。
悩みがあるのか――そんなもの言うまでもなく、ある。
ライブに現れた中年に声をかけられたこと。男は、仲間たちが『ヤバいカルト集団』だと言っていた来徒教団の幹部であったこと。その来徒教団の本部に、オレが訪れたこと。奴らは、理想の実現という大義名分を掲げ、人を殺めていたこと。
それを彼らに打ち明けることが、どうしてできようか。
「本当になんでもないんだ。すまん」
アナートマンと出会い、カルマを紹介され、アニッチャから
あの時のオレは、本当にどうにかしていたと思う。
アナートマンに誘われるまま来徒教団の本部へと足を踏み入れたことが、そもそも間違いであったのだ。異質すぎる非日常感の空気にあてられて、これまでひた隠しにしていた
女の前世と、男の現世。
女の記憶と、男の感情。
相反するそれらに苦しんできたこれまでを、あろうことか来徒教団という危険思想の連中に暴露してしまったのだ。
『なるほど。前世と現世での性の違い、存在は知っていましたが実際にお会いするのは初めてです。
前世の記憶に苦しむ人間に救いの手を、という考えの連中にとって、それは格好の餌であったに違いない。
『今の轟さんは非常に興奮しておられる。今日のところは、お帰りいただいたほうがよいでしょう。後日、またゆっくりとお話しさせてください』
怒りに心を支配され、行き場のない感情を奴らにぶつけていたオレは、カルマに促されるまま来徒教団の本部を後にした。帰りもまたアナートマンの車に乗せてもらったはずなのだが、その辺りの記憶はすっかりと抜け落ちてしまっている。
「本当に、どうかしてたな……」
「轟? どうした?」
「いや、なんでも」
頭を抱え、パイプ椅子に腰かける。ぎぃ、と椅子が鳴くのにあわせ、オレも大きな溜息をつく。
その溜息が向かった先に、無造作に置かれたテレビがあった。控室の隅にある机の上にあるそれは、とあるテレビ番組を映している。どうやら誰もチャンネルをいじっていないようで、つまらないニュース映像が垂れ流しとなっていた。
毒にも薬にもならない映像を見ながら、オレは物思いに耽る。
来徒教団の目的は、一体何だというのか。
何のために、前世主義者を粛清しているのか。
バンド仲間曰く、連中は『人類を前世の呪縛から解放する』と宣っているようだ。血に塗れた粛清の先に、そんな未来が待っているとは思えない。調子のよいことを言って、気に入らない人間を殺しているだけではないか。
だが、本当に、そんな未来があるのならば。
血の向こうに、前世の記憶から解き放たれた世界があるならば。
是が非でも、それを成し遂げようとするかもしれない。
『続いてのニュースです。昨夜未明、
そんな恐ろしい考えが脳裏をよぎった矢先、テレビから聞こえてきた無機質な声が途端にオレの心臓を掴んだ。
『崎山議員の秘書によると、崎山議員とは一昨日から連絡が取れなくなっていたとのことです。崎山議員は、政治家、大学教員、コメンテーター、様々な分野で活躍する人物として知られ――』
既にテレビの映像はオレの頭には入ってこない。だけれども、そこから目を離すことができないでいた。
オレはこの事件の真相を知っている。
政治家で大学教員の男、その人物の死、何もかも心当たりがありすぎた。
間違いなく、先日行われた
血まみれの格好で冷たい目をした小さな女――アニッチャの姿が、再びオレの脳裏に浮かぶ。
「なんか物騒なニュースだな」
「へえ、怖いなあ」
ただならぬ様子の報道を聞いて、バンド仲間たちもテレビの近くへと集まってくる。だが、彼らの口ぶりはどこか軽い。政治家の死、というのは中々にインパクトのある事件だ。あまり興味はないがとりあえず見ておこう、くらいのものなのだろう。
『崎山氏は昨年、大学の入試試験の不正に関与した疑いがあるとして話題になりましたねえ。なんでも、前世では学者や政治家だった学生を裏口入学させてたとかで。そのことで、反前世主義の人間から恨みを買ったという可能性も否定できません』
液晶の中の映像は、亡くなった議員のかつての映像からスタジオの映像へと切り替わった。犯罪心理に詳しいとかいう中年が持論を展開しており、他の面々はそれを神妙な面持ちで聞いている。
「ふうん」
「裏口入学ねえ」
一方で、バンド仲間たちの反応はどこか冷めていた。興味のない政治家の、興味のない死だ。その反応が普通だろう。まばたきも忘れ、息を荒くしながらテレビに釘付けになっているオレの方がおかしいのだ。
政治家を死に至らせた人物を、オレは知っている。
その人物と、オレは対峙している。
その事実が、じわじわと首を絞めあげる。
恐怖と後悔、困惑と疑念、焦燥と呆然――様々な感情がオレの中を駆け巡り、どうにかなってしまいそうだった。
「ま、悔しいけどさ、仕方ないよな」
そんな時、バンド仲間のひとりがぽつりと呟いた言葉が、オレを覚醒させた。
仕方ない。彼は今、確かにそう言った。
仕方ないとは、どういう意味だろう。彼は何を思って、そんなことを言ったのか。オレは彼が放った言葉がどうしても引っかかってしまい、ゆっくりとバンド仲間たちの方へと振り返った。
「そうだなあ」
「前世でも学者とか政治家だったとしたら、現世でもそらいい思いできるわな」
「前世でも高学歴だったんなら真面目に受験する意味もねえし、手間も省けて大学側も楽なんだろうよ。俺だってそう思うわ」
彼らはテレビを横目に見ながら腕を組み、揃いも揃って自嘲気味に笑っている。そして、『前世で名の馳せた人物なら仕方がない』『公に口にしないだけでどこだってやってる』『何を今更当たり前のことを』などと口々に言う。
それは、仕方のないことなのか。
それは、当たり前なことなのか。
来徒教団と対面したことが影響しているのか、前世に対する彼らの認識が、どうしても気になってしまう。
「そうだ、前世と言えばさ。今演奏してるバンド、あるだろ。女の子がボーカルのさ」
呆然としながら彼らを見上げるオレには気づかず、仲間たちは話を広げていく。そう言った彼は、背後にある控室の扉を親指で指差した。その先にある舞台上では、今は確かに女性ボーカルの演奏がされていて、微かに歓声も聞こえてくる。
「あいつら、メジャーデビュー決まったんだってよ。高村プロデューサの目に留まったんだと」
「はあ? 嘘だろ!」
「俺らより客入りも少ないし、物販でも俺らより売り上げ低いじゃんか!」
思いもよらない事実に、メンバーたち各々が驚きの声をあげた。
発言した張本人は肩をすくめ、あとの二人は目を丸くしながら声を張り上げている。
その話は寝耳に水で、彼らほどではないがオレも驚いている。
今話にあったように、そのバンドは確かに人気だが、オレたちほどではない。今日とて、オレたちの演奏が終わったら帰っていく客もいたし、物販の売上もオレたちの半分程度だ。
では、なぜこちらよりも先にデビューが決まったのか。
そのことも気がかりだ。しかしそれよりも、『前世といえば』という言葉からこの話題が挙がったことが気になって仕方がない。
「いや、それがさあ。あのボーカルの前世、
その答えは、すぐに判明した。
三島冴子。『歌姫』の愛称で知られる、昭和の音楽業界を席巻した女性歌手だ。歌姫の死から二十年ほど経った現在でも、彼女の命日には特番が組まれるほどで、彼女の名前と代表曲くらいなら今の若者でも知っているだろう。
そして、たった今ライブの真っ最中であるバンドのボーカル、その前世が三島冴子であるという。
歌姫の前世、大いに結構だ。
だがそれが、なんだというのか。
現世の彼女の努力や実績を見ようともせず、彼女の中に眠る前世の記憶に焦点を当てている。
次第にオレの中には怒りや憤りといった感情が芽生え始め、政治家の死や来徒教団に対する恐怖が薄れていくのを感じていた。
「なんだあ。んなもん、勝ち目ねえじゃん」
「ま、それならしゃあないか」
「あの歌姫が復活、てな具合で宣伝もできるしなあ。そりゃレコード会社も飛びつくわ」
だが、仲間たちはそうでもないらしい。
先ほどの昂った感情はどこへやら、皆は諦めの言葉を口にして、へらへらと力なく笑っている。
その口元に、牙など生えていない。
そこにあるのは、前世主義の社会に染まった、だらしのない乳歯だけだった。
「轟、あんまり落ち込むなよな。今回は仕方がないさ。あの歌姫が相手じゃさ」
パイプ椅子に座ったまま、神妙な面持ちのまま動かないオレを気遣ったのか、仲間のひとりが声をかけてくる。もちろんそれは、オレを励まし、慰め、元気づけるために言ってくれたのだろう。
だがそれが、怒りの炎に油を注ぐ。
仕方がないとはなんだ。
何かがおかしいと、どうして思わないのか。
そうやって一生、『いい前世の人間には勝てない』と諦め続けるのか。
だとすれば、女として生きた前世の記憶を持つオレは、全てを諦めて一生苦しまねばならないのか。相容れない記憶と体を有することは、もう『仕方がない』ことだというのか。
「……っ!」
「お、おい、轟!」
椅子を倒すほどの勢いで立ち上がったオレの肩を、仲間のひとりが掴む。オレはそれを払いのけ、机や機材やらにぶつかるのも厭わず走り出し、無我夢中で控室から飛び出した。
外へと続く薄暗い廊下を、逃げるように駆け抜ける。
自身の行動や感情が自分でもわからなくなっていて、とにかくここから逃げ出したい気持ちだけが体を突き動かしていた。
逃げ出したい。
それはなにも、このライブ会場からではない。
生まれた時点ですべてが決まるこの世界から、前世によって現世が左右される息苦しい社会から、逃げ出したくてたまらない。
「轟さん。ライブ、お疲れさまでした」
ライブ会場の外へと飛び出した直後、自身を労う声が聞こえてきた。ファンやライブ関係者のものならば、躊躇せず無視して去ったことだろう。だが、聞き覚えのある透き通ったその声に、オレは足を止めずにはいられなかった。
「アナートマン」
「はい」
来徒教団幹部、アナートマン。
彼は先日と同じように、先日と同じ笑顔で、オレを出迎えた。
もしや、と思わないでもなかったが、本当に待ち構えているとは思わなかった。まるで、今日オレがこうなるかを見透かしていたかのようではないか。いやあるいは、奴らはこうなることを予見していたのかもしれない。
オレは流れる汗を拭おうとも、荒ぶる息を鎮めようとも、手の震えも止めようとせず、アナートマンの肩を掴んだ。
「連れていけ。カルマのところまで」
「はい」
結構な力を込めて掴んでいるはずなのだが、彼の表情は少しも揺るがない。
「導いてくれ、前徒のオレを」
「喜んで」
それは、来徒教団の決意の表れであるように思えてならなかった。
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