4話
4-1. 仰木信彦
太陽が沈んで、月が昇る。
夜が終わって、朝が来る。
前世が消えて、現世が現れる。
現世が消えて、来世が現れる。
このように世の中には、当たり前な出来事の積み重ねで成り立っている。
「不採用ね」
俺が面接を受ければ、不採用通知が届く。
それもまた、世界の理と化そうとしていた。
「はい次」
俺は自室の玄関に腰かけながら、いつの間にか隙間も見当たらないくらいにまで膨れ上がった郵便受けから書類をひとつずつ抜き出していく。面接結果の通知書と思われる封筒を引っこ抜くと、広告の類や電気料金の督促状が膝の辺りでひらひらと舞った。
「はい不採用。はい次」
本日何通目になるかわからない不採用通知を破り、そのまま玄関へばら撒いた。気がつけば、足元は紙くずだらけになっている。俺はそんなことは気にも留めず、咥えた煙草に火をつけながら次の封筒へと手を伸ばした。
「はい不採用」
勿論それらの中に、『採用』の二文字が刻まれたものはない。
いつもならばこの辺りで、怒りを壁にぶつけ、場末の酒場にでも足を運ぶところだろう。しかし不思議と、俺の心は穏やかであった。
理由は考えるまでもないだろう。
来徒教団、カルマ。先日の奇妙な邂逅が要因に他ならない。
黒磯茂という前世を持つ俺を、受け入れてくれる場所がある。前世を隠すことを諫めず、前世に犯した罪を咎めない男が、あそこにはいる。
その事実が、前世を憎む心を鈍らせる。まさにそれは現実逃避に違いないのだろうが、これまでは逃げ場さえなかったのだ。現実から逃避できるとは、なんて素晴らしいことなのだろう。
手を入れるほどの隙間すらなかった郵便受けがいつの間にか空となり、代わりに玄関が紙くずで埋め尽くされた。俺の独り言も、紙を破る音も、もうすでにない。背後の六畳間にあるブラウン管だけが、物悲しく言葉を紡いでいる。
『三週間前から行方がわからなくなっていた下村議員ですが、昨夜未明、遺体となって発見されました』
玄関で煙草をゆっくりと吸いながら、その言葉を背中で聞く。
行方知れずとなっていた政治家、その顛末についての報道である。今朝から、テレビ番組はこの話題で持ちきりだ。
前世主義を憎む者に殺されたのだ、いやそれにしては外傷がない、自殺ではないか、しかし自殺する理由が――などとテレビの中の人間は大いに騒ぎ、大いに青ざめている。
だが俺は、事件の真相を知っている。
人類救済の術、
だからだろうか、普段ならば『ざまあないぜ』と声を荒げるところだが、今の俺の心はいたって平穏であった。もちろん、故人を偲んでいる訳でもない。既に正解を知っている問題の答え合わせを聞いている、そんな気分に近い。居間の方へ振り向くことすらせず、玄関でただただ肺に煙を入れていた。
『また、大学教授であり経済学者でもある原西氏も先日から行方がわからなくなっています。原西氏は下村議員と交流の深い人物であり、警察は事件の関連を――』
何をするでもなく、煙草を吸いながら呆けていた、その時だ。
とある政治家が亡くなった事件、それとはまた別に同様の事件が起きたのだと、確かに聞こえてきた。途端、ただの環境音と化していたテレビの音が、鮮明に俺の中へと入ってくる。
『原西氏は、下村氏とともに行き過ぎた前世主義を是正する活動を行っている政治家としても有名です。ですが、大学の裏口入学に加担していたという疑惑があり、反前世主義の団体からバッシングを受けていました。このことから警察は――』
煙草を玄関に放り投げ、這いつくばりながら居間へと戻り、ブラウン管へと齧りつく。その中では、いかにも偉そうな風貌をした中年の男が映し出されていて、『相次ぐ議員の失踪、関連性やいかに』とのテロップが刻まれていた。
「
前世の威を借りる政治家が、行方をくらませた。
その人物は、先日に
これはもう間違いなく、来徒教団の仕業だろう。男は離来徒され、すでに現世を離れた来世へ導かれているに違いない。そのことを確信し、否応なしに俺の心は沸き立ってしまう。
その事実が、たまらなく恐ろしい。
実際に人が死んでいるのだ。前世の輝きを背負った人間の死に歓喜する。それはまさに、自らの前世そのものではないか。
この心は、黒磯茂の記憶に起因したものなのか。
それとも、仰木信彦自身の感情であるのか。
――トン、トン
自らの中に生じた葛藤に苦しみ始めた、その時だ。小気味よいノックの音が玄関の方から聞こえてきた。はっと気づいて時計を見れば、長針と短針はちょうど真上で重なっている。
俺は重い腰を上げて、ゆっくりと玄関へと向かう。
居間から玄関までの短い道のりの最中でも、自身に生じた葛藤や疑問は膨らんでいく。
俺の感情は、俺だけのものであるはずだ。だがしかし、その感情は段々と前世のそれに近づいてきてしまっている。そんな状況で、どうして『前世の記憶なんて関係ない』だなんて割り切ることができようか。
色々な考えと感情が、俺の中で渦巻いていく。
だがしかし、一旦は考えるのをやめるとしよう。
「仰木さん。約束通り、お迎えにあがりました」
この男、カルマならば、きっと俺の疑問に答えを出してくれるだろうから。
◆
「仰木さん。貴方の感情は、貴方だけのものです」
来徒教団の本部を訪れるのは、これで二回目になる。
カルマは、俺の『また来てもいいか』という申し出を快諾しただけでなく、この辺りの地理に疎い俺を気遣って、こうして送迎を買って出てくれたのだ。
カルマという男は、仮にも教団の代表、言わばトップだ。それがわざわざ俺のために自ら動いてくれるというのだから、悪い気はしない。
「でもよ。前世の記憶に影響されることって、やっぱりあると思うんだわ。野球が好きだった前世の記憶がある、その記憶をきっかけに現世でも野球が好きになる……みたいなもんだろ? 至極当然に聞こえないか?」
俺はカルマに促され、先日と同じ部屋に足を踏み入れ、先日と同じようにソファへと腰かけた。
俺はソファに座ると同時に煙草を咥え、火をつけると同時に先ほど自らの中に生じた葛藤について語った。
「そうですね。その通りだと思います」
「その通りってお前。さっきと言ってることが違うじゃねえか」
そして、先ほどの回答が返ってきたというわけだ。
カルマは、前世主義を否定する集団のボスである。てっきり、『現世の感情は前世の記憶に影響されることなんてありえない』などと言われると思っていたので、少し拍子抜けしてしまう。
「前世の記憶に影響を受けた現世の感情も、やはり現世の貴方だけのものなのです」
そしてカルマは、先日と同じように、よくわからないことを語りだす。前世の記憶に現世の感情は影響を受けるが、それは現世の自分自身だけのものである――矛盾しているような、そうでないような理論だ。
彼の語る哲学はあまりにも理解しがたく、あまりにも興味深い。俺はそれに、どうしようもなく惹かれてしまうのだった。
「どういうことだよ」
「仰木さんがおっしゃった野球を例にします。野球を好きになるきっかけというのは、様々なものがあるでしょう。友人の影響かもしれない、野球中継で特大のホームランを見たことがきっかけかもしれない、父親がプロ野球選手だったからその影響かもしれない」
俺が何気なく出した例え話を引用して、カルマは持論を紡いでいく。
先日も感じたことだが、実に彼は話が上手い。
俺がよく理解していないと咄嗟に判断し、俺の出した言葉を拝借して自分の話に繋げていく。つまり、俺のレベルに合わせているのだ。彼が教団のトップにいるのも、なんだか頷けた。
「その様々なきっかけの一つに、前世の記憶がある。それだけのことです。この世界で生きている以上、前世の記憶を持って生まれてくるのは避けられない。であれば、趣味趣向や思想に影響を与える要因として『前世の記憶』が含まれるのは当たり前のことでしょう」
これまで夢物語を語ってきたカルマだが、なにも現実から目を背けているわけではない。現実は現実として受け止め、それに夢や理想といった肉付けをする。彼の話は、胡散臭さの中に説得力を内包しているように感じていたが、きっとそれが理由なのだろう。
「しかし、我々が持っているのは前世の記憶だけです。前世の感情などでは決してない」
哀れみにも諦めにも似た口調から一転、カルマの口調が心なしか強くなる。そこには、彼の感情が込められているように感じられた。
「あくまでもそれは、影響を受ける、きっかけのひとつ、という程度のものです。前世の感情が引き継がれているということではありません。前世の記憶の影響を受けた感情も、前世の記憶を拒もうとする感情も、現世の貴方のものです」
俺には黒磯茂という、人殺しとしての前世の記憶がある。それに影響を受けていることは、否定することができない。
だがその影響を受けた感情は、俺だけのものである。
黒磯茂の思想であったり感情が、俺の中に残っているということではない。
カルマが導いた結論が、すとんと俺の中に落ちた。前世の記憶による影響を肯定しつつも、前世の感情の浸食を否定する。今の俺が求めていた、理想的な答えに他ならない。
「ですから私は、前世の行いで現世を判断する社会構造が許せないのです。現世の行いは、現世の感情は、現世だけのものだ。そこに前世が入る余地などありはしない」
憎しみに満ちた前世、その記憶を克服したカルマがそう言うのだから、実に説得力がある。彼は口先だけでなく、心の底から前世主義を嘆いていて、心の底から世界を変革したいと願っているのだと。
そしてその心は、紛れもなく現世のカルマのものだ。
「だから
「ええ」
現世の行いは、現世だけのものである。
現世の感情は、現世だけのものである。
そんな当たり前のことが当たり前になる社会を実現させる。それが、彼の夢であり、
「
甘くて妖しいカルマの言葉が、俺の中に染み入ってくる。
その言葉を聞いていると、俺の心は否が応でも跳ねてしまうのだった。
「仰木さんみたいな、ね」
その心は、間違いなく仰木信彦、俺自身のものである。
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