3話
3-1. 仰木信彦
「
人類を前世の呪縛から解き放つ方法。
カルマはそれを、淡々と語ってみせた。
彼独自の理論を延々と聞かされたが、そのほとんどは頭に入ってこなかった。あまりに突拍子なく、現実感の薄い、それでいて狂った理屈であったからだ。それはもはや理屈や理論とは到底言い難く、俺の頭は理解を拒んだ。
ただ、『
「仰木さんのように、前世の呪縛に苦しむ方が後を絶たないのは何故か。それは、人々の前世に格差があるから他なりません。前世は偉大な功績を残した科学者である、前世は巷を恐怖に貶めた犯罪者である――人によってその生は異なります。前世が異なるのですから、そこに格差が生まれるのも至極当然です」
自らが語った理論が伝わってないと判断したのだろうか、カルマは先ほどよりも落ち着いた声色で再度語り始めた。俺が相槌を打つのを待ち、それを確認した後に口を開く。その一連の流れは、一対一の補習授業を彷彿とさせた。
「ならばその格差をなくせばいい。人々の前世を統一すればよいのです」
「意味がわかんねえんだけど」
「仰木さん。もしも貴方の前世が、『前世主義を否定する暴徒に殺された政治家』であったとしましょう」
もしも、と前置きをされてもなお、眉をひそめてしまう。
俺の前世は、前世主義を否定した挙句に殺戮を繰り返した人間である。それをこの男も知っているはずなのに、前世主義を否定する暴徒に殺された政治家』を例に挙げるだなんて、なんとまあ配慮のないことだ。
「その記憶を引き継いだ現世でも、前世主義に傾倒する政治家になろうと思いますか?」
俺の苛立ちに気づいたか否か、その時だけは相槌を待たずしてカルマは続けた。
彼の問いに対する答えとしては、否だ。
前世主義を推し進めたせいで命を奪われたとあれば、現世では前世主義はもちろん、
そして俺に、そんな信念はない。
「その者はきっと、誰にも前世を語りたくなくなるでしょう。同情の目も、憐みの目も向けられるかもしれない。語ればまた、暴徒に命を狙われるかもしれない。あるいは、前世の行いを悔いるかもしれませんね。どう転んだとしても、その者が前世について語ることはなくなります」
なるほど確かにと、俺は久しぶりに相槌を打つ。
前世では恨みを買って殺されました、なんて語りたい者はいない。そのことで心に傷を負っていたとすれば猶更だ。
「前世に囚われた現世を離れさせ、前世に縛られることのないまっさらな来世へと送る――我々はこれを『
先ほどは何気なく聞き流していた、
もしもの話の中で登場した『前世主義を否定する暴徒』とは、あるいはこいつらのことなのかもしれない。
「仰木さん。ここ数日ワイドショーを賑わせている、政治家の失踪事件をご存知ですか?」
「あ、ああ。あれだろ、下村とかいう」
「あれは、来徒教団による
酔いつぶれてカルマと出会う前、自宅で見ていたニュースを思い出す。黒磯茂の名が出そうになったのでテレビの電源を落としたが、確かに下村という前世主義の政治家の行方が知れないという報道をしていたはずだ。
彼の話をここまで聞いて、あるいはと思っていたが、その予感は的中した。だがそのことには、大して驚きはしない。それよりも、凶行とも言える来徒教団の活動を聞いてもなお、あまり動揺していない自分自身に驚いている。
これは、俺の前世もそうであったからなのだろうか。
前世主義を毛嫌いし、多くの命を奪ってきた記憶があることに起因しているのだろうか。
「でもよ。結局その
「人類すべてが
「はあ?」
動揺がないことによる動揺を隠すよう、カルマの理論に異を唱えてみせる。だがしかし、それに対する彼の回答は、予想の遥か上をいくものだった。
「そうなれば、すべての人類は『来徒教団に
カルマの持論は、極論であり暴論である。
人類全てを離来徒するとはつまり、人類全てを来世へ送る、人類全ての命を奪うということだ。今時、子供向けのアニメに登場する悪の秘密結社でも、そんな野望は抱きはしない。
「その時初めて、人類は前世という呪縛から解放されるのです。来徒となって夢が来る――それが我々の計画、
だがカルマは、子供向けアニメの主人公みたいな目で、悪の秘密結社のような野望を語る。その瞳に、一切の淀みははない。
不思議なもので、狂気に満ちた夢物語も、彼が語るとたちまち絵空事でなくなるような錯覚に陥ってしまう。
「ふざけた名前の計画だな」
「ははは、性分なんですよ。それに、大いなる計画の名前が駄洒落みたいだなんて、なんだか洒落てるじゃあないですか」
不可能だ、馬鹿げた話、狂っている――という台詞がどうしても紡げないでいた俺は、それらの言葉が意味するところ以外の部分を茶化すことしかできなかった。駄洒落や言葉遊びのようなものでなく、もっと仰々しい名前にしてもよいのではと感じるが、カルマとしてはこれでよいらしい。
「なあ、カルマさんよ」
「はい」
「どうしてあんたは、そこまでする?」
俺はソファの背もたれに背中を預け、煙草に火をつけながら、何気なく尋ねてみた。
ここまで彼を駆り立てるものは何なのか。
彼は何を思い、何を考え、この思想へと至ったのか。
「私の前世は、憎しみに支配されていました」
咥えた煙草を大きく吸うと同時、カルマの小さな声が部屋に木霊した。あまりに唐突かつ意外な告白に、俺は思わずむせ返す。肺を通さずに吐き出された色濃い煙の向こう側に、どこか明後日の方を向いて物思いに耽る様子のカルマが確認できた。
「生まれが悪いとか、不幸な生い立ちであったということはありません。むしろ、裕福であったし家庭もあった」
まるで懺悔のように、カルマはぽつりぽつりと語り出す。
「ただ、どうしても許せない人間がいたのです」
これまでずっと前のめりであった彼の体は、いつの間にかソファの背に預けられていた。
「その者は、私よりも先に亡くなりました。前世の私は思いました。来世に逃げやがった、と」
来世へ逃げるとは、実にカルマらしくない表現だ。
だが、碌でもない前世を送ってきた俺には、その意味がなんとなく理解できた。いっそ命を絶って、来世へと逃げ出そうと幾度となく考えた俺には、痛いほどよくわかる。
「来世でのほほんと生きているであろうその者を想像すると、怒りが湧いてきた。そして私は、自ら命を絶ちました。この記憶を引き継いで、来世で復讐すると誓ったのです。当時の私は憎しみの炎に焦がされていて、正常な判断ができなかったのでしょう」
カルマから語られたのは、予想外すぎるほどに壮絶かつ陰鬱とした前世であった。笑顔を絶やさず人類の救済を本気で考えている彼からは、全く想像ができない。『前世の罪は来世で償わせてやる』だなんて、今のカルマの思想と真逆のものではないか。
「今から数年前のことです。私は復讐を遂げるため、当時の情報を集めていました。その時、当時に発行された新聞の隅に、懐かしい名前を見つけたのです」
煙草の灰が、膝へと落ちる。煙草を吸うことすら忘れ、肺がズボンを汚すのも厭わず、俺はひたすらカルマの話に聞き入っていた。
「前世の私が置き去りにしてきた、家内の名でした。私が命を絶った一年後に、家内もまた命を絶ったと、新聞には書かれていました」
ソファの背にもたれながら、カルマは天井を仰ぎ見る。
その様子は、過去を懐かしがっているようにも、後悔しているようにも、何とも思っていないようにも見えた。相変わらずその表情には笑顔が貼りついていて、心の奥底で何を考えているかはわからない。
「私は、自らの愚かさを実感しました。復讐に焦がした身を、来世へと投じたことを悔いました。どうして現世を大切にすることができなかったのか。家内や息子と築いてきたものは、現世だけのものであったのに」
唯一、彼の言葉には熱が籠っていることだけはわかった。
口から出まかせを言っているわけでも、悔いたと口先だけで言っているわけでもなさそうだ。カルマの感情らしい感情を、初めて垣間見たかもしれない。
「そして私は、私と同じように前世の鎖に囚われた人々――前徒を導くため、この来徒教団を立ち上げたのです。前世の行いを、現世まで引きずってはならない。来世まで、現世の行いを引きずってはならない。私のような人間を生み出してはならないと思う気持ちが、今の原動力となっています」
俺は今まで、カルマという人間を勘違いしていたかもしれない。理解しがたい理想を語る彼に、人間味を感じることができないでいたからだ。カルマは信念のために己を捨てたようにも、目的を成就するために我を殺したようにも見えていた。
だが、そんなことは決してなかったのだ。
カルマも一人の人間、前世の記憶を有する人間であった。それを理解した途端、彼の語る理想が、実に人間臭いものに思えてくる。
「すみません。つまらない話をしました」
「なあ、カルマ」
「なんでしょう」
狂気でしかないと思われるそれは、一人の男が辿り着いた答えであった。
「また、来ていいか」
その答えに、その理想に、俺はどうしようもなく惹かれてしまった。そしてなによりも、俺を『黒磯茂という前世を持つ男』ではなく、『仰木信彦という前徒』として扱うカルマに、居心地の良さを感じている。
「お待ちしております」
変わらぬ笑顔で答える彼に、俺はたまらなく安堵する。
このような感情を、もしかしたら『信仰』と呼ぶのかも知れない。
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