2-2. 轟潤一

「前世の自分を殺し、現世の自分を救え――貴方の叫びは来徒教団の信ずるものに他ありません。来徒への第一歩は、まさに前世の自分との決別から始まるのです」


 男が声を荒げる度に、口元から白い蒸気が昇る。


「貴方の歌がここまで若者たちの支持を集めているということは、やはり人々は心の奥底では来徒への渇望があるということだ。貴方はそれを証明してくれた。ああ、素晴らしい」


 彼は両の手を広げてみたかと思えば、次には胸の前で組んでみたり、実に忙しない。男の動きは芝居染みた大仰なものだが、血走った目だけは微動だにしておらず、ひたすらにオレを見据えていた。


「おい、あんた」

「はい」


 恐怖を感じない訳はない。不審者と称しても差し支えないような中年男性が、意味不明なことを唱えながらじりじりと迫ってくるのだ。男の紡ぐ言葉が呪詛のように聞こえるのも、男の姿が死霊のように見えるのも、ごく自然なことだろう。


「オレが前世に苦しんでいるとか言ったな」

「言いました」

「なんでそう思った?」


 だが、オレの心を埋め尽くしていたのは、恐怖以上に興味だった。好奇心、違和感、と言い換えてよいかもしれない。


『そして貴方も、前世に苦しんでおられる』


 男は先ほど、確かにそう言った。


 口からでまかせかもしれないし、当てずっぽうを述べたのかもしれない。だがその言葉は間違いなく、轟潤一という人間を正しく表しているだろう。


 前世の記憶。

 人によってそれは、追い風にも向かい風にもなる。現世をさらに高める翼になることもあるし、現世の翼を焼く火にもなる。


 確かにオレは、前世という向かい風に煽られて、記憶という火に翼を焼かれてきた。だがそれを口にしたことは一度もなく、前世について悟られまいと努めてきた。だからこそ、オレの本質を見抜いてみせたこの男に興味が湧いたのだ。


「面白いことをおっしゃる。クソッタレな前世には現世の牙を突き立てろ、だなんて歌詞を書く人が、前世の記憶を煩わしく思っていない訳がないではありませんか」

「人気取りのためだけにやってんのかもしれねえぜ」

「なるほど」


 そんなオレの心情を知ってか知らずか、男はゆっくりと頷く。その口元は、大きく歪んでいた。その表情は、『一理ある』と思い悩んでいるようにも、『全部お見通しですよ』と嘲笑しているようにも見える。


 すると、男はおもむろにオレの手を握った。

 突然のことに驚いて、それを振り払おうとする。だが存外に男の力は強く、振りほどけば振りほどこうとするほど、彼は掌に力を込めた。


 男の目は、再びオレを捉えて離さない。

 水気のない乾いた唇が、ゆっくりと開いていった。



「少々胡散臭い言い方になるかもしれませんが、貴方の歌詞と歌声には、確かに魂が宿っていた。前徒の魂が、間違いなく。私には、これまで数多くの前徒を導いてきた自負があります。貴方の魂は、間違いなく前徒のそれだ」



 そう語る男の手と声は、確かに熱を帯びていた。


 胡散臭いと自ら予防線を張っているが、それが意味を為さないほどに胡散臭い。魂だの何だのと、胡散臭い人間の発する胡散臭い言葉の筆頭ではないか。


 だが、敢えて言おう。

 男の言葉は、オレの魂を揺さぶるものであったと。

 

「さっきから前徒前徒って、何なんだよ、それ」


 その事実を悟られまいと、オレは努めて冷静に言う。

 不自然に話を変えたようでいて、実のところ来徒教団への興味を露呈する質問であったことに、自分自身でも気がついている。そのことに気づかない彼ではないだろう。


「前世の『前』に、学徒の『徒』と書きます。前世という鎖に繋がれた、前世の記憶に苦しむ徒。良くも悪くも前世の記憶に囚われた人々を、我々は前徒と呼んでいるのです」


 先ほどから気になっていた、『前徒』という言葉。男が告げたその意味は、大方予想通りであった。となれば、恐らく男の所属する教団の名前も、光を意味する『ライト』ではなく、『来世』の『徒』と書くのだろう。


 名に『光』を宿したカルト集団なぞ、危なさという下着に胡散臭さという上着を着ているようなものだ。神だとか光だとか、存在すら朧気なものを信仰する心なんて、オレは持ち合わせちゃいない。


「教団と名乗ってはいますが、我々は神を信仰していません。敢えて言うならば、前世主義という忌々しい呪縛から解き放たれた世界を神と崇めています。我々の目的はただひとつ。前世の記憶から人類を救済することです」


 だが彼らはそうではなくて、前世主義を真に憂いた徒であると言い、それを教団の名に冠しているらしい。神という不確かなものではなく、前世の記憶という確かなものに対抗する集団なのだと。


 それを理解した途端、男を覆っていた胡散臭さが多少和らいだ。


「どうでしょう。こんな寒空の下ではなく、腰を降ろしてゆっくりとお話をしませんか」

「……どこでだよ」


 だからだろうか、男の誘いに首を縦にも横にも振らなかった。普段ならば即座に却下している提案だが、なぜか言葉が出てこない。心の底では来徒教団に興味を抱きつつも、理性がそれを拒んでいる。


「もちろん、来徒教団の本部ですよ」


 理性を説得するほどの、自分で自分を納得させるほどの言い訳を、オレは探していた。それなりの言い訳がなくては、この誘いには乗れそうもない。


 それすらも、この男は見透かしているだろう。

 今日一番の笑顔を浮かべ、彼は再びオレの手を握る。



「貴方の歌に、多少なりともインスピレーションを与えることができると思うのですが、いかがですか?」



 その言葉は、オレの足を動かすには十分すぎる言い訳となった。



 ◆



 男が運転する車は、やけに賑やかだった。


 それはオレたちの会話が弾んだからとか、そういう訳ではない。けたたましいエンジン音に、ギアを切り替える鈍い音、少しの段差を乗り越えただけで揺れ動く車内――といった具合に、男の運転する車がやかましいというだけのことだ。


「古い車でしょう。ですがね、これが落ち着くんです」


 オレと男の会話は、それだけだった。


 それ以外は、眠ることを知らない都会の光たちが流れていくのを、窓からひたすら眺めていた。その光が段々と薄くなり、街並みが夜の闇に抗うことをやめた頃、車内にも夜のような静寂が訪れる。


「さあ、こちらへ」


 男に促されるまま車を降りると、そこは閑静な住宅街だった。とてもじゃないが、『教団』と呼ばれる集団の本部があるとは到底思えない。危ないカルト集団の本部ということもあって、てっきり神殿のような何かを想像していたものだから、少し拍子抜けしてしまう。


「ただいま戻りました」


 街外れの住宅街の外れ、そこにある建物の門を男はくぐる。古いとも新しいとも言い難い平屋で、選挙事務所のような佇まいだ。


 男はまたしてもオレの心を見透かしたかのように、「見てくれはいまいちですが」と笑ってみせて、そのまま正面玄関と思われる扉を開いた。



「おかえりなさい、アナートマン」



 扉の向こうには、一人の男が後ろ手を組んで立っていた。


 男は鼓膜を微かに震わせる透き通った声でもって、オレたちに微笑みかける。やはりというか、彼の表情にも笑顔が貼りついているように見えた。瞳の色すら見えないほどに目は細く垂れていて、顔と唇の境界がわからなくなるほど口角は吊り上がっている。


 そっくりな笑みを浮かべた二人の男が、面と向かってオレに対峙している。実に異様な光景だ。だがそのことを意識させないほど、オレの心にはとある違和感が生じていた。


「外国人だったのかあんた」


 アナートマン。

 オレの耳が正常であれば、確かに男はそう呼ばれていた。


 今一度、彼の風貌を上から下まで眺めてみるが、上から下まで邦人のそれだ。顔の造形から服装にいたるまで、異国の気配を感じることはできない。


「いえいえ、違います。アナートマンというのは、不廻名まわらずなと言いまして。繰り返される輪廻の中でも変わらない、魂に刻まれた名前――まさに『廻らずの名』です。教団の幹部たちが、仲間内でのみ用いている名前なんですよ」


 そう語る男の顔には、どこか誇らしさを感じる。教団の幹部であること、不廻名まわらずなとやらを持っていること、それは彼にとって誇り高きことなのかもしれない。


 不廻名まわらずな――要するにコードネームのようなものかと、自分の中でなんとなく納得しておくとした。


「轟さん、ご紹介が遅くなりました。こちらは来徒教団の代表、カルマ様です」

「はじめまして、轟さん。私はカルマと申します。こんな夜分遅くにも関わらず、来徒教団へ来ていただき嬉しく思います」


 アナートマンと呼ばれた男が、もう一方の男を紹介する。よもやと思ったが、彼がこの来徒教団を統べる人物であるらしい。物腰柔らかく深々と頭を下げる男を見て、どこか納得してしまう。


「カルマにアナートマン、ねえ」


 カルマというのも、きっと不廻名まわらずなとかいうものなのだろう。アナートマン曰く、不廻名まわらずなは教団の幹部が団員たちの前でのみ名乗るのだとか。それを鑑みれば、カルマとやらが教団のトップであることは間違いなさそうだ。



「カルマ様、アナートマン。今戻りました」



 オレたち三人の間に微妙な空気が流れていたその時、カルマのずっと背後にある扉の方から声がした。やや低い、女の声だ。玄関は間接照明で照らされているものの、声のあった方はひどく暗い。声の主の姿をはっきりと見ることは叶わず、ぼやけた輪郭のみが確認できた。


「ああ、アニッチャ。お疲れ様です」


 カルマはゆっくりと振り向いて、声の主へ労いの言葉をかける。


 アニッチャ。

 言うまでもなく、これも不廻名だろう。つまり彼女もまた、来徒教団の幹部だということだ。彼女の姿は遠く、影の向こう側にあり、その風貌を認めることはできない。声からして、恐らく若い女と思われる。


「お取り込み中でしたか」


 カルマ、アナートマン、そしてアニッチャ。

 立て続けに訪れる人物と、立て続けに聞こえてくる横文字の名前。少々眩暈がしてしまうが、ぐにゃりと揺れる景色の中、オレの中にまたしても小さな違和感が生じた。


 バンド仲間曰く、来徒教団とは『ヤバいカルト集団』であるという。一般人にまでヤバいと言われているのだから、相当によろしくない噂があるのだろう。


「今はご客人が来ていまして。すみませんが後ほど――」

「まあまあ、アナートマン」


 そのことを、来徒教団が知らないはずがない。

 であれば、身を隠すなりなんなりして活動をするはずだ。だというのに、ここには教団の代表を含め、教団幹部が三人も集結してしまっている。


 これは、何を意味しているのだろう。

 幹部が集まるほどの重大なことが、今夜行われるのだろうか。もしくは、既に行われたのかもしれない。


「少しタイミングが悪いですが、構いませんよ。どうでしたか?」


 カルマの言葉を聞いて、影の向こうからアニッチャと呼ばれた女がこちらへと近づいてくる。次第にその姿がはっきりしてくると、彼女が予想以上に若いことに気が付いた。オレと同年代、もしかしたら未成人であるかもしれない。少し低めの声に似合わず、その身体は細く背丈も小さい。

 

 だが、それ以上の衝撃が、オレを襲った。

 同時に、好奇心のままにアナートマンの誘いに乗っかったことを後悔し、軽はずみな行動を自責することとなる。

 


「件の政治家、その離来徒リライトが終わりましたので、ご報告を」



 なぜなら、彼女の白く美しい肌は深紅に染まっていて、その小さな手の内には拳銃が握られていたのだから。

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