1-2. 轟潤一

『終わりこそ始まりだと 誰かが言った

 命尽きても魂尽きずと 誰もが言った

 そんなことを 誰が決めた

 そんな理論は 誰が唱えた』


 喉が焼ききれんばかりのシャウトに合わせて、観客たちは拳を突き上げる。それは大きなうねりとなって、ライブハウスの天井すらをも揺らす。


『オレはオレだ 何者でもない

 オレの命尽きれば オレの魂だって尽きるはず』


 まさに命を削りかねないオレの叫びに、オーディエンスが魂を差し出してくる。舞台を揺らすアンプの震えは、『ここで尽きてはならんぞ』というオレへの鼓舞に他ならない。


『オレは私に 宣戦布告さ

 前世の私に 現世のオレが

 果たし状を くれてやる』


 その歌詞に合わせ、オレは懐から取り出した封筒を客席へと投げつけてやる。歌詞に通りの、『果たし状』と書かれた封筒をだ。この曲を披露する際に必ず行うパフォーマンスである。ちとクサいかもしれないが、観客たちは大いに湧いてそれに群がるのだから面白い。


『クソッタレな前世には

 現世の牙を突き立てろ』


 マイクを左手に持ち替え、右手の人差し指を口の中に突っ込んで、千切れんばかりに口角を引張ってみせる。これもいつの間にかオレたちの間でお決まりとなったパフォーマンスだ。ファンたちはこれを、『牙のポーズ』と呼んでいる。


 ボーカルのオレ、ギター、ベース、ドラム、そして観客――その全てが牙のポーズで曲のサビを迎え入れる。会場のボルテージを更に滾らせる材料として、これ以上のものはないだろう。


『Must kill my past life !

 Must save my this life !』


 前世を殺せ。現世を救え。


 その歌詞は祈りに近い。その祈りを叫ぶ声は悲鳴に近い。

 祈りは観客へと伝播し、悲鳴はやがて共鳴となる。


 何度も同じフレーズを、オレと観客たちは歌い続けた。

 ちょうど十回を歌い切ったところで、思いきりマイクを舞台上に叩きつける。甲高いハウリングの音が会場を切り裂き、それと同時に静寂が訪れた。


 だがそれも刹那。

 会場は歓声と興奮で色めきたち、今日一番の盛り上がりを見せた。


 全力で歌いきることも勿論だが、ファンと一体となるこの感覚がたまらなく心地よい。オレの想いを綴った歌が興奮の核となっているのだから、その快感はひとしおだ。


 前世なんてクソくらえ――そんな感情に共感してくれる人間が、こんなにも沢山いる。重荷となっている前世の記憶から解き放たれたいと考えている人間は、存外多いということだ。 


「素晴らしい!」


 そして、共感がやがて狂信へ転ずる者も少なくない。最近では、オレたちを『教祖』だなんて揶揄する声すら聞こえてくる。


「貴方のおっしゃる通りだ! 前世なんてクソッタレ、何の役にも立たないのです! 前世に縛られていては、息苦しくて仕方がない!」


 そして今日もまた、オレたちに負けず劣らずの大声を張り上げてオレたちを讃える男がいた。


 その男はあろうことか、ゆっくりと舞台へと近づいてくるものだから、オレたちはひどく困惑してしまった。男の目の焦点はあちらこちらへ移ろっていて、顔には笑顔が貼りついている。


 綺麗な身なり、皺の多い顔、白髪交じりの頭。十代の若者がほとんどの観客席で、その男の風貌と言動はひどく浮いていた。


「前世を殺せ、現世を救え……まさにその通り! 前世に囚われ続ける限り、私たちの現世は救われない!」


 男は舞台下に辿り着くと同時、仰々しく両の手を広げてみせた。見開かれた瞳はどこか虚ろで、瞬きをすることすら忘れてしまっているように見える。


 たまにいるのだ、こういう輩が。

 オレたちの歌にあてられて、少しばかりおかしくなってしまう輩が。


「おいうるせえぞオッサン!」

「興が醒めるだろうが! 黙ってろ!」


 先ほどの熱気と狂気が嘘のように静まり返った会場に、今度は怒気が沸き起こる。どうしてよいかわからないオレたちを差し置いて、ブーイングの嵐が段々と吹き荒れた。その暴風雨の中でさえ、男は素知らぬ様子で笑みを浮かべているから恐ろしい。


「さあ皆さん! 前世を捨て、鎖を解き、皆が平等な現世を得て、新たな世界に生きるのです! 我々は――」

「おい! 何やってんだ! 離れろ!」


 男の演説と、観客の怒号。それらの歪なセッションは、男の両脇を固めた警備員によって中断された。男は激しく抵抗することはせず、かといって大人しくなることもせず、屈強な警備員二名に引きずられながらも語ることを止めようとはしない。



「我々は、来徒ライト教団きょうだん! 貴方たちを導くものです!」



 訳のわからないことを語り続ける男は、警備員たちの手によってスタジオの外へと導かれていった。



 ◆



「今日のライブも大成功だったな」


 あの熱気もどこへやら、ライブ後の会場は静けさだけが漂っていた。実に満足げな表情で撤収作業にあたるドラム担当の言葉も、聞き漏らすことなくハッキリと聞きとれる。


「メジャーデビューも夢じゃねえな」

「いやもう間近だろ間近」

「だなあ。とどろきが歌詞を書くようになってから、俺らの人気もうなぎのぼりだ。感謝感謝」

「おべんちゃらはよせよ」


 バンドメンバーたちが口々にオレへの感謝を述べていく。彼らが浮かべる屈託のない笑顔から、その言葉は単なる世辞でないことが窺える。


「何を言うんだよ。お前が加入する前までは、ここよりも遥かに小さなライブハウスですら閑古鳥が鳴いてたんだぜ」

「やっぱりさ、前世主義に不満持ってる若者って多いんだろうな。ただ小奇麗な歌詞だけじゃ支持は得られんって実感したわ」


 実際に、オレたちのファン層は十代の若者がメインだ。ファンたちに共通しているのは、世に蔓延る前世主義によって何かしらの不利益を被ってきた者たちだということ。


 前世での蛮行が明るみに出て、進学を諦めた者。

 前世での職業へ就くように強いられ、夢を断った者。

 現世の努力が、良くも悪くも前世に阻まれた者。


 そんな人間たちに、オレの書く詩は刺さるらしい。


「それよりもさ。ライブの最後にわけわかんねえこと騒いでたおっさん、いただろ。ありゃ何だったんだ?」


 機材を運ぶ手を止めて、自分たちのファンや昨今の前世主義について語っていた流れから、先ほどの奇妙な男の話題となった。年代も風貌も思想も、オレたちのファン層のそれとは程遠い男だったが、彼もまた歌詞に対する共感を述べていたはずだ。 


「俺たちはよく聞こえなかったんだけどよ。あのおっさん、お前のすぐ下まで来てたろ、轟。何て言ってたんだ?」

「さあ? 前世がどうだとか、貴方たちを導くだとか、我々はなんとか教団だとか、意味わからんことばっかり言ってたよ」


 ライブのフィナーレを飾った男の独白を思い返す。オレたちの歌に共感した、前世を捨てて新しい世界に生きろ――男はそんなことを言っていたはずだ。


 そして自らの所属を名乗っていたと思うが、突然のことに困惑してしまって、その部分はあまりよく覚えていない。


「教団? もしかして、来徒教団か?」


 ベース担当の男が、上ずった声を出しながら目を丸くした。普段大きな声を出すこともなければ、表情筋を動かすことも少ない男だが、今の彼は実に感情的だ。彼がそんな様子を見せてきたのだから、こちらが逆に驚いてしまう。


「それだそれ。知ってんのか?」

「近頃ちょいと有名な、危ないカルト集団だよ。人類を前世の呪縛から解放するだの言って、結構過激なこともやってるって噂」


 ベースの彼の言葉には、興奮と恐怖が入り混じっていた。まるで心霊現象や妖怪の類を話しているかのように、彼の面持ちはどこか重たい。


「マジかあ。変なのに目をつけられちまったかもな」

「ま、そんな危ない奴に絡まれるくらいが、バンドして箔がつくんじゃないか?」

「なにを呑気な……」

「おいおい、片づけにどんだけ時間かけてんだよ! 早く撤収しろ!」


 その時、機材の片付けのことなんかすっかりと忘れていたオレたちに喝を入れる声が、舞台袖の方から聞こえてきた。皆して一斉に声の方へ目をやると、スタジオのスタッフが苦虫を嚙み潰したような顔をしながらこちらを睨んでいるのが確認できた。


 俺たちは軽い謝罪をしたところで、そそくさと撤収作業を再開する。思いの外、作業は早く終わり、あとは解散するのみとなった。


「おい轟! まっすぐ家帰れよな!」

「ファンの女の子に手ぇ出すんじゃねえぞ!」

「初めてのメディア露出がワイドショーとか笑えないからな!」


 じゃあ、と別れの挨拶をしたところで、メンバーたちから茶化すような言葉が飛んでくる。オレの女癖の悪さを知っている彼らは、いつも帰り際にこうしてオレをからかうのだ。


「オレから手ぇ出したことなんてねえよ」


 敢えて嫌味ったらしく笑いながら、彼らに背を向けて舞台袖の方へと歩いていく。ここが舞台上だからだろうか、多少演技染みた言動も許されるような気がしてきてしまう。



「ただ、差し出された手は、きちんと握り返す主義なもんでね」



 バンドメンバーたちからの悪態を背中に受けながら、オレはライブハウスを後にした。



 ◆



 一歩外に足を踏み出すと、凍てつくような寒さが肌を切り裂いた。室内とのあまりの気温差に思わず溜息をつくと、それは白い煙となって闇夜に溶け込んでいく。


 こんなに冷え込んでいては、出待ちの女性ファンは期待できないだろう。今日ばかりは大人しく家に帰るとしようか。


とどろき潤一じゅんいちさん、ですね」


 そう思ったのだが、自らの名を呼ぶ声が背後からあって、帰路を急ぐはずの足はピタリと止まってしまった。


 出待ちの女の子がいたのだと、歓喜したからではない。そのしゃがれた声の主に覚えがあって、思わず恐怖してしまったからだ。


「ああ、貴方は実に素晴らしい。貴方の言うように、人々は前世の鎖から解き放たれるべきなのです。前世に囚われた現世を捨て、希望に満ちた来世を目指すべきなのです。貴方はそれをよく理解しておられる。若いのに聡明な方だ。実に素晴らしい」


 振り向かずともわかる。

 きっと声の主は、ライブの時と同じように、仰々しく両手を広げて天を仰ぎ見ているに違いない。


 オレの頭の中は恐怖で埋め尽くされ、足を動かすことも、振り向いて奴の顔を拝むこともできずにいた。



「そして貴方も、前世に苦しんでおられる」



 だがしかし、まるでオレの心の奥底を見透かしたかのような男の言葉に、思わず振り向いてしまう。言うまでもなく、声の主はライブの最後につまみだされた男であった。やはりというか、男の目は狂気に満ちていて、その腕はオーケストラの指揮者のように大きく振るわれている。


「なんだと……?」

「あの歌の歌詞、実に感銘を受けました。あの詩は、前世の呪縛に苦しむ前徒でなければ書くことができない。貴方は前世の記憶に苦しみながらも、それに打ち勝とうとしている」


 図星を突かれて狼狽えるオレを見据えながら、男が段々とにじり寄ってくる。一歩一歩とこちらへ近づいてくるにつれて、彼の腕はゆっくりと下がっていく。


 やがて男の歩みは止まり、その手と笑顔はオレへと向けれられる。



「我々は、来徒教団。貴方のような前徒を導くものです。そして我が教団は、貴方のような素晴らしい人材を必要としています」



 差し出された手はきちんと握り返す主義――オレは先ほど、そんなことを口にしたと思う。だが、男が差し出してきたその手だけは、握り返す気が起きなかった。

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