ライムライトの交差点

稀山 美波

ライムライトの交差点

1話

1-1. 仰木信彦

 生きるためには、金が要る。

 金を得るには、職が要る。


「ではまず、軽く自己紹介をお願いします」


 だからこうして、今日も俺は無駄に笑顔を振りまいて面接に臨むのだ。今月に入ってから、これでもう何社目か。両手の指で数えきれなくなってからは、考えるのをやめた。


仰木おおぎ信彦のぶひこ、二十四歳です。これからの市場のニーズから、御社に将来性を感じ――」


 数え切れぬほどの企業を志望し、数え切れぬほどに拒絶されてきた。企業が俺を拒む理由を述べたことは一度もないが、言われずとも理解している。その理由は間違いなく、俺の記憶に関するものだろう。


 消えない記憶の数々が鎖となり、体の自由を奪っている。悔い、嘆き、慟哭したとて、記憶の作り出した濃い闇が晴れることはない。時の流れに逆行することができない以上、過去に生じた黒い霧を払う方法なぞ、この世界にありはしないのだ。


 それでも人間は、生きなくてはならない。

 背中に暗黒を背負ってもなお、眼前に広がろうとしている闇には対抗せねばなるまい。


「なるほど。よくわかりました。若く熱意のある方は、こちらとしても欲しいところでして」

「あ、ありがとうございます!」

「では次に、差し支えなければ教えていただきたいのですが……」


 俺は生きたい。だから働きたい。

 ただそれだけだ。偉業を成し遂げたいだとか、後世に名を残したいだとか、そんな大それたことなんて望んじゃいない。



「――前世では、何を?」



 そんな小さな望みすら、前世という鎖に縛られた俺には叶わない。



 ◆



 前世の記憶があることなんて、夜が明ければ朝がくることくらい当たり前のことだ。


 この世界では、誰もが前世の記憶を持っている。先日の面接官は勿論、道行く少年から老人まで。そして、この俺も。この世界の住人は、前世の記憶を抱いて生を受けるのだ。それがこの世の摂理であるだなんて、今更言うまでもないだろう。


「不採用、ね」


 前世なんて関係のない世の中だったらどんなにいいか。

 自宅に投函された不採用通知を破りながら、そんなことを夢想する。


 不採用。

 わかっていたことではあるが、いざ現実として突きつけられると辛いものがある。こればかりは、いつまで経っても慣れそうにない。


 前世では何をしていたか――その質問への回答を、俺は拒否した。


「答えられるわけねえだろ、くそっ」


 採用の可否は前世の実績によらない、だなんて綺麗ごともいいとこだ。現世での功績及び能力を精査する、だなんて絵空事だ。結局のところ、人間の善し悪しを量る指標のひとつとなっているのが現状ではないか。


 前世について語れない、つまり前世に何か後ろめたいことがある人間なんて、企業はまず欲しがらない。各人の前世が国に管理されている以上、前世をでっちあげたところで、必ずその虚言は白日の下に晒される。経歴詐称で首を切られたら、それこそ目も当てられない。


 前世主義ぜんせしゅぎ――前世で残した功績は現世での評価に直結するという考え方は、現代社会でも色濃く残っている。この前世主義とやらのせいで、これまで俺は社会から爪弾きにされてきた。


「ちっ」


 現実逃避を続けるように、俺はテレビのリモコンに手を伸ばし、電源ボタンをゆっくりと押した。見たい番組があるわけでもなかったが、押しつぶされそうになる沈黙を何とかしてでも破りたかったのだ。


『続いてのニュースです。参院議員の下村しもむら氏が失踪してから一週間となります。未だ下村議員の足取りは掴めず、何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして、警察は捜査を開始しました』


 画面の向こうでは、興味が毛ほどもない人物の、興味が毛ほどもないニュースが報道されていた。


『下村議員は前世でも政財界で活躍した人物であり、その人柄と輝かしい経歴から彼を慕う人物は多く、心配する声が挙がっています。下村議員は、未だ前世主義の残る現代社会に対して問題提起していることでも有名です。前世を評価基準するべきでないと、大企業を中心に是正を行っており――』


 くだらない。

 心の底から、そう思う。


 ここ数日、テレビをつければこの話題ばかりだ。下村とかいう政治家と連絡がとれなくなり、心配した秘書が家を訪れればもぬけの殻であったのだとか。失踪だの誘拐だの、メディアは好き勝手言っている。


『下村議員と親しい議員たちは、前世主義を憎む者による犯行ではないか口々にしています。議員たちは、かつての黒磯くろいそ事件を例に挙げ――』

「くだらねえ」


 心の声が、空気を震わせた。


 舌打ちと悪態をついて、リモコンを床に叩きつける。鈍い音が部屋にこだました後、静電気が迸る音だけが部屋に満ち、次第に何も聞こえなくなった。


 前世は関係ない、大事なのは現世である。

 偉い奴らは、誰もが口を揃えてそんなことを言う。

 そんなことを言う奴の前世は、決まって輝かしいものなのだ。


 前世主義を捨て現世での功績のみを評価すべき、だなんて語っているのは、前世も現世も政治家だった奴らだ。前世の光に後押しされた人間たちが、前世の闇に覆われる人間のことなんて理解できるわけがない。


「くそがっ」


 本日何度目になるかわからない悪態をだけを残して、俺は部屋を飛び出した。



 ◆



 目が眩むほどの月光が、汚泥にまみれた俺を照らす。頭上から見下ろすネオンライトの煌めきは、俺の腐敗具合を際立たせているように感じられた。


「おえっ」


 思考と視界とが徐々に覚醒すると同時、猛烈な吐き気に襲われる。荒れ狂う胃の中身を全て吐き出すと、口の中いっぱいにアルコールの匂いがすることに気が付いた。


「飲みすぎた……」


 行くあてもなく家を出た俺の足は、気づけば酒場へと向かっていた。明日生きるだけの僅かな金を掴むはずの俺の手は、気づけば酒を握っていた。


 そして気づけば、呆れ返るほど酔い潰れ、今に至る。


 アルコールの匂いと自らの吐瀉物の匂いに混じって、ひどい生臭さがあった。それがまた、より一層吐き気を催させる。


 未だ疼きの止まない頭を抱えて辺りを見回すと、そこは酒場裏のゴミ捨て場であるようだった。どうやら、へべれけのままゴミの中に倒れこみ、眠ってしまったらしい。


「ははっ、俺の人生みたいだ」


 ふと、自嘲じみた声が出る。

 ゴミのような前世に体を埋めて、ただただ毒を吐く。今のこの現状は、自身の現世の体現そのものではないか。


「ちくしょう! なんだってんだ! 俺が何をしたってんだよ!」


 この現状は、俺に悲しみを想起させる。やがて悲しみは怒りとなり、終いに怒りは言葉となった。月明かりが、ゴミ溜めに俺の影を作る。それは闇の深い俺の前世のように思われて、やりどころのない怒りが天の月へと向けられた。


 無論、天からの返事はない。

 光を注ぐ価値なしとでも言いたげに、月光は何かに遮られ、やがて姿が見えなくなった。



「大丈夫ですか?」



 そのすぐ後、ひたすら月に吼えている俺を呼ぶ声が頭上から降ってきた。俺の怒りに月が答えたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。月を遮ったそれは、人影であるようだった。


「大丈夫に見えるかよ」

「いえ全く」

「なら聞くなよ」


 廃棄物の中で寝そべる俺を見下ろすように、一人の男が佇んでいた。闇夜に紛れてよく見えないが、細身で背丈の高い男であるようだ。


「何かあったのですか?」

「何もないと思うかよ。こんな飲んだくれてぶっ倒れて」

「いえ全く」

「なら聞くなよ」


 悪意の籠った俺の言葉を受けてもなお、男は笑みを絶やさない。

 嫌味ったらしい、いけ好かない、胡散臭い男だ。こういう輩は大抵、ろくでもないことを口にすると相場が決まっている。

 


「貴方、前世では何を?」



 男が発したのは、予想を遥かに超えるほどの、ろくでもない言葉だった。全てを見透かしたかのような男の言葉が、俺に突き刺さる。


 なぜ今それを――と考えることもできないほど、俺は呆気にとられてしまっていた。つい先日、とある企業の面接官からされた質問と全く同じであったからだ。


 あの時は、その問いに答えることができなかった。



黒磯くろいそしげる



 だが気づけば、俺の口は前世の名を紡いでいた。


 そうしてしまったのは、気まぐれか、諦めか、それとも懺悔か。上手く機能しない今の脳では、それはわからない。


「聞いたことは?」

「ええ」


 男は小さく頷き、肯定する。


 黒磯茂を知っていて、眼前の人間の前世がそれだと聞いてなお、男は笑みを絶やさない。そのことに驚きと違和感を抱くと同時、段々とどろりとした黒い感情が沸々と湧いてくるのを感じていた。



「四人殺した。四人中四人が、五歳以下の子供だ」



 渦巻く黒い感情のまま、俺は前世の記憶を語り始める。

 足元にまとわりつく鎖である、現世にまで黒い影を落とす呪われた前世を。


 黒磯茂。

 一年という僅かな期間で、四人という多くの命を奪った殺人鬼であり、俺の前世である。


 何事も上手くいかない現世に絶望した黒磯茂は、輝かしい前世と現世を持つ子供を狙い、その輝きを奪ってみせた。狂気に満ちたこの事件――通称『黒磯事件』は、前世主義に不満を持つ者の凶行と見なされ、社会問題として後世まで伝わることとなったのだ。


「現世の俺は何一つ犯罪なんかしちゃいない。人殺しなんてもってのほかだ」


 見ず知らずの男に己の前世を語るなぞ、どうかしている。だが体に巡ったアルコールは正常な判断を鈍らせて、感情の抑制を妨げた。俯き、ぽつりぽつりと感情を吐き出す俺に、男は何も言わないままでいる。頭上ではきっと、あの胡散臭い笑みを浮かべているに違いない。


「だけどな。現世がどうであれ、俺の前世は黒磯茂なんだよ。幼児ばかりを狙った連続殺人犯なんだよ。崎山弘、柴崎清子、田所幸代、輪島勝――命を奪った子供の名前をそらんじることだってできる。命を奪った感触を、俺の記憶は覚えている」


 俯きながら、奪った命を指折り数えていく。

 指がひとつ折れていくごとに、手の震えが増していった。奪ってきた命の重さが指先に重くのしかかり、それはやがて俺の現世をも潰さんとしている。


 その重圧に、俺はいよいよ耐えられなくなっていた。現世では汚していないはずの掌が、前世の幻影によって黒く淀む。霞みぼやけた両手で顔を覆い、肩と膝を震わせながら、感情の行くままに立ち上がった。


「そんな危ない前世を持った男を、どうして社会が受け入れる!? 前世の記憶のままに現世でも凶行に走るかもしれん男を、どうして迎え入れる!? 前世の記憶という鎖は、今にも俺を絞め殺そうとしている! 誰もが前世の記憶を持つこの世界で、俺はどうやって生きればいい!?」


 爆発する感情は行き場を失い、震える手は救いを求めるかのように宙を彷徨った。やがてそれらは、縋るように男の下へと辿り着く。男の肩を掴み、鬼気迫る表情で叫び続ける。


「教えてくれよ! なあ!?」


 どうやって生きればよいか。

 その答えを、この見ず知らずの男が知っているはずがない。だが正常な判断を失った俺は、彼の言葉を待たずにはいられなかった。


「簡単なことです」


 一点の淀みもない、澄んだ声が俺に届く。

 二十余年もの間、答えを見つけられずに苦しんでいた問題に対して、この男は実にあっさりと、『簡単だ』と言ってのけた。



「人類を、前世という呪縛から解き放ちましょう」



 その表情には、相変わらず笑顔が貼りついている。

 自らを縛る鎖である、呪いのような前世。それは男が言うように、まさに呪縛であろう。それから解き放たれたら、どれだけよいか。


 絶望に満ちた俺に、男の言葉が希望となって降り注ぐ。



「我々は、来徒ライト教団きょうだん。あなたのような前徒ゼントを、導く者です」



 屈託のない笑顔を浮かべる男の背中には、淡い月の光が差していた。

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