変革…。

宇佐美真里

変革…。

※「この物語はフィクションです。」※

本内容で語られるニュースについては、現時点(2020/08/29)で事実とは全く異なる物であり、関連性のない物であることを此処に明記致します。


「食後のお飲み物は、どう致しましょう?

コーヒー・紅茶、ホットとアイス、紅茶はレモンかミルク。

どちらに致しますか?」



何だか久し振りに聞いた気のするフレーズだった。

随分と家の外で食事をしたのも久し振りな気がする。

勿論、彼女とこうやってデートするのも、そう…久し振りだ。

此の十数ヶ月、何も気にすることもなく、マスクなどせずに、笑いながら青空の下を歩くことなど出来なかった…。増してや大声を出すことも憚られた。


目には見えぬ極小の感染体に拠って、自由を謳歌することを制限された日々…。其れも半年前に報道された或るニュースで事態が急展開した。


『新型ウイルスに対するワクチン及びその特効薬の臨床試験が、

最終段階に入り、安価かつ大量生産・大量供給が可能となる目処をつけ、

此れより100日後に各国への供給が始まる見込み…』


過ぎてしまえば、あの日々は何だったのか…とすら思えてくる。ゆっくりと全ては其れ以前の"日常"へと戻ろうとしている。だが、果たして元に戻ることなど出来るのだろうか?

変わってしまった生活スタイル。変わってしまった意識。

そして、此れから更に変えていかねばならない意識だってあるだろう。



「紅茶をアイス。レモンで…」僕は答えた。

「ホット・コーヒーを…」彼女も答える。

「少々お待ちください」そう言ってウェイターはテーブルを離れて行った。


僕等はいつもこんな調子だ。僕の選ぶ物は、彼女の選ぶ物とはいつも違う。

僕はシリアスな映画が好みだったし、彼女は軽い感じの映画が好き。僕は辛い物が大好きだが、彼女は苦手。洋楽が好きな僕と、専ら邦楽派の彼女。お酒に強い僕と、苦手な彼女。僕は寒色の服を身につけることが多いけれど、彼女の選ぶのは温かめの色が多い。ショートカットの女性が僕は好みだけれど、彼女の髪は長かった。パンツ姿の女性が僕は好きなのだけれど、彼女が穿くのはスカートばかりだし、彼女はスーツ姿の男性が好きだと言うけれど、僕の恰好はいつだってカジュアルだ。僕はいつまでもウジウジと考え込むけれど、彼女はスパッ!と上手に割り切ることが出来る。

そして、近眼の僕にはいつも眼鏡が必要だけれど、彼女の視力は左右両目共に1.5だ。まぁ、此れは好みの問題ではないのだけれど…。

全てはそんな感じだった。


別のウェイターが遣って来て、空になった食後の皿を下げていく。

広くスッキリとなったテーブルの端に、僕は肘をついて彼女を見ながら言った。

「で、どうしたの?」

「どうしたのって何が?」

彼女が口元に小さく笑みを浮かべて聞き返す。

其の表情は、明らかに僕が何を訊いているのか分かっている其れだ。


「何がって、其れだよ…」

顎を少し上に遣って、彼女に向けた。

「此れ?」

首を傾げる。傾げた其れに、短くなった髪が揺れた。

「そう…。あれ程に固辞していたはずなのに…」

僕の幾分不服そうな顔を、彼女は笑った。


「お待たせしました。コーヒーのお客様は?」

僕は、彼女を掌で示す。

「アイス・レモンティーになります」

コースターを置き、その上にグラスを丁寧に置くと「ごゆっくり…」とウェイターはテーブルを後にした。


「どうしてそんなに短く?」

改めて僕は、彼女の短くなった髪について訊いた。


「似合ってる?」

「うん。で?」

「う~ん…。変革…かな?」

「変革?」

随分と大層なことを言うものだ…。僕はそう思った。勿論、言葉にはしない。

「そう。此れ迄とは異なる意識が必要だって、貴方…言ってたじゃない?」

確かに"アレ"以降、世間で兎角叫ばれていることだ。取り立てて僕だけが言っていることではない。

「異なる意識を持つことが出来る様に…先ずは、自己意識の改革ってところかしら」

うふふ…と悪戯っ子の様に彼女は笑った。

「貴方も…何か変えてみたら?身近なことから?」


「身近なことからって言ったって…」眉を顰める…。


「例えば…此れとか…」

そう言うと彼女は自分のこめかみに指を充て、トントン…と二回叩いた。

「何其れ?」

「此れとか…」

今度は、着ているシャツの胸元を指で摘まんで見せる。

「何だい?」

「眼鏡とか…服とか…」

ニンマリと笑っている。

何だか上手い具合に彼女の好みを強要されている様な…と思ったのが、顔に書いてあったのだろう。彼女は首を横に二度三度振りながら言った。

「強要されて…だなんて思っちゃ駄目よ…。自ら変えようと思わなきゃ…」


スティックシュガーを三分の二程度、コーヒーへと入れながら"したり顔"をする彼女。何だか上手い具合に彼女の好みに変えられそうな気もするのだけれど、"したり顔"に笑う目の前の彼女は、僕の好みのショートカットだ。


「それじゃあ、先ずは…下の階に眼鏡屋があるから其処に寄ってみようよ。其の後は服…」


僕のお気に入りの眼鏡フレームと彼女の好みの其れは、もちろん違っている…。

「変革か…」

呟くと僕はグラスを手に取り、レモンティーを口に含んだ。



-了-

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