第13話 最終回・生きる

「玲子さん、って言ったわね」

 相変わらず白狼の肩からももが聞いた。「あなたも似たようなものね。目だけは玲子オリジナルかな。そして」

 雀はしばらく玲子を見つめ、小さな首を傾げたりしていたが、「脳腫瘍かなにかだったのね、身体の元の持ち主は」と言った。「それも、かなり進行していた。でもその人も生きたいと願った」


「おっしゃる通りです」今度は、泣きすぎて瞼をはらした少女が答えた。

「手遅れに近い状態だったのを、以前の玲子さんの身体と融合することで平癒させた」と、さくらは言った。

「玲子さんはお母さんに近い能力を持っていたから、大胆ないいとこ取りが可能だった。ただ、そのために気質が大きく変化した。感情をひんやり保つのが下手になり、人を殺すのがすっかりダメになった。そして」

 さくらは飛び立ち、玲子の周りをひと回りしてまた戻った。「血を好む同族から、ひそかに人びとを救うことさえしていた」

 黙って聞いていた白狼の眼が動いた。


「だからといえ、罪が許されるとは少しも思っておりません」玲子は大きく首を横に振った。「これまで私は、人の道にもとるひどい行為を重ねてきました。弁解の余地はありません。ですが」彼女は白狼にすがり付くように言った。

「わが母こと中島芽衣だけはお許し下さい。私はどんな罰でも受けます。渚沙さんとご家族さえ無事なら、私の生きている必要はありません。ただ芽衣だけは、お見逃しを」


 ももが聞いた。「罪はともかく、母上という『親株』がもし死んだら、母上に『株分け』してもらった人々の生命力もまた燃え尽きる可能性があるのじゃなかったかな。それを救おうとしているの?」

 玲子は、また首を横に振った。

「主だった仲間は滅びたでしょうし、冷たいようですが残った連中も滅びはやむなしと考えるようになりました。むろん母についてもそれは同じ。いえ、罪の重さは万死に値します。しかしそれでも、枉げて芽衣だけは生存をお許しください。遠からず母の記憶は薄れ、芽衣の人格が完全に肉体を支配するでしょう。超能力も薄れつつあり、あとはただの人間である芽衣だけが残るはず。ですから……」


 玲子の懇願に、夜雀たちとタケルは、しばらく黙っていた。

「おれは法曹関係者じゃない」ぼそっとタケルが言った。狼の口は話し辛い、と思った。

「それに」さくらが言った。「今回のミッションは、さっきの大男とあなたの弟から渚沙ちゃん一家を守るためのもの。これ以上、あいつらの犠牲者を出さないのが目的であり、それはすでに果たした」


「ただ、わかっているわね」ももが念を押すように言った。

「もう決して人を殺してはダメよ。それと、あなたたちと義理の妹たちとの間にはいろいろあるみたいだけど、とっとと行方をくらませて、終わりにしてしまいなさい。どうせ前向きな結論にはならないだろうし」

 母娘はじっと黙っている。

「たいへんなお金持ちのようだし、誰にも教えていない隠れ家だってまだあるのでしょ。それを使って楽しく逃げればいい。あと、残念でも渚沙ちゃんと由実ちゃんには会わずに消えるべきかな。彼女らはあなたを嘘偽りなく慕っていた。だからこそ会わない方がいい。あんなに若いのだからじきに忘れてくれる」

 聞いていた玲子の目からも涙がこぼれ落ちた。

「とにかくお化け退治協会がちょっかいをかけてこないうちに早く。近くにあったドローンだとかそれっぽいカメラ類は、みんな無効化したから」


「この連中はどうする」白狼が倒れたままの呪術師たちを見て言った。

「どうとでもなる。お友だちの雷獣一党に記憶を消してもらいましょうか。バーネット協会は、とりあえず放置かな。あっ、連中に弟さんの亡骸を葬ってもらわなくちゃね」と、さくらが言うと、

「でもこの前から、どうにも奴らの偽善くささが癇に障る。アジトに乱入して突つき回してやりたいと思うぐらい」とももは言った。

「それは次回の楽しみにしたら。とりあえず今回は、後処理がすんだら連中をニセ電話で呼び出し、弟さんとこのオジさんがたを引き取ってもらう。それぐらい働いてもらわないと」

「バカと刃物は使いようってことね。それで、まだ懲りずに渚沙ちゃんに干渉するなら、今度こそ狼ちゃんに乱入いただいてデータ類を破却、奴らにはPTなんとかを発症するほど怖い目にあってもらう、と」夜雀は白狼にうなずきかけた。

 そして、手を取り合い、ただ涙を流し続ける母娘に、

「ほら、もうお行きなさい」

「さっさとしなさい。めそめそするのは嫌いよ」と、はっぱをかけた。

 和井田たちの呪力が途絶えたせいか、虫たちが鳴きはじめた。




「やったっ」 両手を高く伸ばし、足踏みしながら松浦由実が言った。

「もっとかかると思ったら、こんなに早く着いちゃった。わたしたちなかなかのもの?それとも、ここが楽?」

 そういえばテレビでまた「ロッキー」をやっていたな、と彼女のポーズを見ながら秋山タケルは考えた。

  階段状になった坂道をのぼり切ると小さな社があった。その手前にはなだらかな道が開け、両脇には木々が林を形づくっている。しかし、それより高い存在はここには空だけだ。間違いなく山の頂上についたのだ。

「あれだけ休憩して、3時間かかってない」

 姉の梓は、後ろからくる人を避けて林に踏み込んでから、腕時計を見た。通学用のではなく、スポーツ用の軽いデジタル時計だ。


 今日は三連休の初日にあたる。山頂にはけっこうな数の人がいて、絶え間なく後続もやってくる。梓は妹と似たパーカーにリュックを背負っているが、周りの見知らぬ人たちも、色やメーカーはそれぞれ違えどだいたい似たような服、リュック、時計を身につけて底の厚い靴を履いている。

「もう上まできちゃったのか。まだあんまりお腹すいてない」と、河本渚沙がニコニコして言った。「おやつ一杯持ってきたのに」と背中のリュックを揺らす。

「この程度だからこそ、本格的な装備がなくても気軽に登れ、無事に降りられるんだよ」と、タケルは力説した。なんとなく気に入りのコースを貶されたように感じたためだが、上機嫌の三人はろくに聞いてはいなかった。互いにハイタッチしたり、彼にも記念撮影に入るよう強要したりと忙しい。


 タケルと松浦姉妹、渚沙の四人は朝から山登りにきていた。といっても、近隣の小学生には登山遠足でおなじみの低山であり、タケルだってその頃から父と一緒に登っていた場所だ。

 手入れの行き届いた山道は途中、ほどよい具合にアップダウンや隘路が混ざる。クライマックスには暗い林ときつめの坂があって、どうにかそこを超えると広々した山頂にたどり着く。開放感、達成感だってちゃんとある。

 同行の三人とも山歩きの経験は遠足や家族でのハイキング程度と聞き、考慮の末にこのルートを選び、あらためて下見に来さえしたのだが、杞憂に終わったようだ。

 ターミナル駅での合流直後から登山口まで、三人のおしゃべりと寄り道は凄まじく、どうなることかと心配したものだった。だが、いざ登り始めると三人は、ときおり景色の変化に感嘆の声を上げつつ元気よく足を前に送り、なんのトラブルもなく山頂まで到達した。正午にはまだかなりある。

 おまけに、「私たちを気遣いながら登る秋山さんって、すごくいいです」などとお褒めの言葉までいただいてしまった。


 今回の山行きは梓の発案だった。

 駅前の大型書店で立ち読み中、たまたま彼女と出会った際、次の連休の予定を聞かれた。そこで深い考えもなく、「近場の、日帰りできる低い山に行きたいなあ。携帯バーナーを譲ってもらったからテストを兼ねて。ラーメンでも食べようかと」と語ったところ、思いがけない反応があった。梓はその場で、由実と渚沙を同行させてもらえないかと頼んできたのだ。

「もちろん、私も」梓は胸を逸らしつつ自らを親指で指した。

 由実はともかく、本格的にテニスを学んでいる渚沙は、当然連休にも練習の予定が入っているだろう。そう思っていたのに、すぐに「一日ぐらいぜんーぜん大丈夫」であるとの返事があり、話はあっという間に固まった。

 その渚沙は、今日のために購入したというゴアテックス製アノラックを着て、楽しげに松浦姉妹とさえずりあっている。今シーズンの新色なのは、タケルも同じブランドのホームページを熱心に見ているのでわかった。

 しかしよくこれだけ話題があるな、と思わないでもないけれど、彼女らは揃って楽しそうに語り合い、ときどきタケルにも笑顔を向け話を振ってくる。まあ、いいか。


 すっきり晴れた山上展望台には、すでに大勢の人がいた。向かいの山が見渡せる位置に、年月日や天気・気温などを表示するプレートがあり、記念撮影の人々で賑やかだ。さっそく渚沙と由実もそちらへ行った。

 一方のタケルは二人に手で合図してから、道を隔てて反対側へと進んだ。

 少し下がったその場所は一面緑の草に覆われ、木陰には小さなテーブルとベンチがある。父の好きな場所で、家にはここで撮った家族写真がたくさんあった。

 さいわい、先に座っていた四人連れがリュックを担ぎ直し出ていった。彼はそそくさと移動し、空いたベンチに荷物を置いた。

 展望台とは異なり、眼下に見えるのはもっぱらふもとの街なのだが、タケルもまたこの場所が気に入っていた。梓も当然のようにやってきて、「よっこいさ」と、隣に座り込んだ。そしておもむろに、

「渚沙ちゃん、やっとバカ笑いが出るようになった」と言った。 

 彼女の視線の先には、家族連れに混じって展望台でじゃれあう由実と渚沙の姿があった。

「そうみたいだね。よく笑ってくれるのは、うれしいな」

 口には出さなくても、玲子が黙って姿を消したのに、渚沙と由実は少なからず衝撃を受けていた。失踪直前にあった変な協会からの接触が不安に拍車をかけたようだ。梓は「大人にはありがちなこと」などと繰り返し慰めたようだが、知らずに自分が迷惑をかけていたのではないか、とまで悩んでいたという。

 梓はちらっとタケルを見て、言った。

「ところでアイリスは、あれからずっと閉まったまま」妹たちの落ち込みをみかねて、単身店まで偵察に行ったらしい。

「あ、ぼくもこの間、店の前まで見に行った。閉まってたね。中を覗こうとしたけどダメだった」とタケルが言うと、「なんだ。ボディガード頼めばよかった」


 玲子の喫茶店「アイリス」も、突然の閉店以来まったく動きがなかった。

 夜雀らによると店のあるマンションは、表向きはともかく土地建物すべてが玲子の所有だという。売られたとの話も聞こえてこないし、ほとぼりのさめるまで放置しておくのだろうか。

 それより、あの母娘はうまく行方をくらませられたのだろうか。

 あれ以来、タケルはときどき彼女たちについて考えた。

 過去には人でなしの行為をさんざんやったにせよ、渚沙を守ることのみ考えていたあの夜の玲子を考えると、なんとか無事に逃げ延びるよう願ってしまう。

 玲子の仲間にあたるグールたちについても、その後なんの動きも伝わってこなかった。この世に存在しなかったみたいだった。



「とりあえず、お湯を沸かそう。コーヒーとかどうかな」

 タケルはリュックから携帯調理器具を取り出し準備をはじめた。

「それなの?お父さんからのお下がり」

 超小型の野外用バーナーや軽量コッヘルなど、高校生にしては立派な道具類を、梓が興味深そうにのぞきこんだ。

「うん。とりあえず四人がお茶をのむ量ぐらい、すぐだよ」

 タケルを手伝いながら、梓は妹たちにときどき手を振り返したりしている。

 –––– ちゃんと姉貴をやっているなあ。

 などと考えていたら、

「今日は、ホントご免」横を向いたまま、ふいに梓はしおらしい声を出した。

「無理について来て悪かったよ。でも、前から二人がキミの山歩きに一緒に行きたいって言ってたから。二人とも楽しそうだし、なんかほっとした」

「梓の口からそんな言葉が出るとは」タケルは天を仰いだ。真っ青な空が広がっている。

「きっとまもなく、嵐が」

「おまえなあ」

 タケルを蹴飛ばすふりをしてから、梓も自分のリュックから紅茶のパックとプラカップを取り出した。「でも、山の上でお茶を淹れるのはやってみたかったんだ。楽しみ」

「ミルクは粉クリームで我慢してくだされ」

「ストレートにする。でも、変な話だったよなあ」カップを片手に保持したまま梓は伸びをして、言った。

「そうだよなあ」

 むろん梓が玲子の正体を知るはずはないが、鋭いところのある娘だけに、得体の知れない存在の気配ぐらいは感じているのかもしれない。


「あの変な団体とか誘拐未遂とか、騒がしかったのがいっぺんに消えて、夢だったみたいに思える。どうなったのかな」

「そういや、あの堅太り二人はその後なにかあった?渚沙ちゃんの親戚」

 カタブトリかい、と笑ってから梓は、「しらね」と答えた。「最初から興味はゼロ以下」

「あ、そう。お気の毒」

「たださ」梓は青空を見上げて言った。「あれだけうるさく騒いでいたおばあちゃんたち、もうすっかり忘れたみたいなんだ。だからまあ、放置でいいかな、とも思ったり。はっ」彼女はわざとらしく深刻な顔になった。

「もしやばっちゃん、ついにボケが……」


 梓の小コントにタケルが苦笑していると、

「ああっ」大きな声がした。いつの間にか後方に由美と渚沙がきていて、タケルと梓がそろって湯を沸かす準備を進めているのを指差していた。

「なに勝手に仲良くしてんの」由実が姉に顎を突き出してから、

「ねえ、どうせなら、ここでご飯食べよう」と提案した。「すごいいい所じゃない、ほかは人で一杯だし。このあとお姉ちゃんが気になるのは、帰りに草餅を買えるかどうかだけでしょ」

「あら、どうかしら」梓はとぼけてみせた。

 帰りは往路とは違うルートを使い、朝とは違う駅から電車に乗る予定なのだが、手前に有名なよもぎ餅を売る店があるのだ。

「お餅いいなあ。お水を飲んで喉の渇きがおさまったら、急にお腹が空いた」これは渚沙だ。「よく晴れてるし、気温だってちょうどいいね」

「これこそラーメン日和です」


 本日の最大の目的が、食事である。当初から三人とも山上で作ってその場で食べるという行為に強いあこがれを隠さなかった。それを聞かされたタケルは、静かな場所でのキャンプならともかく、人の多い低山で調理は恥ずかしいのでインスタント食品で許してもらえないかと打診したところ、もちろん構わないとの返事がきた。山でのインスタント麺が最高に美味しい、という雑誌だかネットの記事を三人とも読んでいたのだそうだ。


 由実と渚沙もリュックをテーブルに置いた。中から次から次へと賑やかな外装のカップ麺やお菓子がこぼれ出てくる。

「三日ぐらい泊まれそうだ」思わずタケルが言うと、

「だって、迷っちゃって。よかったらおひとつどうぞ」

 渚沙のリュックからはフリーズドライの野菜がぞろぞろ出てきた。

 感心する一同に、「お野菜は必ず食べろって、おばあちゃんが」と説明した。

「お菓子も山盛りあるみたいだけど、そっちはお母さんのおすすめ?」相棒である由実が突っ込むと、「これは、ぜんぶ私の趣味じゃあ」と渚沙は言い、二人揃って声を上げて笑った。


 沸いた湯を四人は容器に注ぎ、待った。その間、タケルは母親に託された果物のシロップ漬けの瓶を二つ、取り出した。

「あー重かった。ツマラナイものですが、デザートです」

「あっ」由実が声をあげ、「ちょっと見せてね」と、梓が一つを興味深げに手に取って、陽の光に透かした。美しくカットされた色とりどりの果実が宝石みたいにきらめいた。

「見慣れない果物が混じっているけど、お母さんの最新作?」

 紙皿を用意しながらタケルはうなずいた。彼の母は果実の加工品工房の運営に携わっていて、梓はそこの製品のファンを自称している。

「トロピカルフルーツってやつなのかな。食感がちょい変わってる。製品化するかを決めかねていて、感想をお聞かせくださいとうちの母が。お恥ずかしい」

 姉妹は夢みるように瓶をみつめてから互いに顔を見合わせ、笑顔になった。渚沙も瓶に熱い視線を注いではいるが、背筋の伸びた姿勢は変えていない。麺の出来上がりを待っているのだ。


「渚沙ちゃん、いつもながら食べるのに真剣ね」と梓が言うと、

「常に正面から立ち向かい、てきとうには食べない。テニスよりマジだよね」冷やかすように由実が言った。「そういえば、玲子さんも……」

 そこまで言って、由実は口を閉じた。そして渚沙と、互いになんとも言えない表情で顔を見合わせた。浮かんだ感情の多くは悲しみであるのは、タケルにもわかった。

 まずい、どうしよう。タケルは急いで考えたが渚沙は自分から、「次に玲子さんに会う時のために、いろいろ食べておこうと思うんだ」と言った。

「あと食べる場所も。同じ物でも場所が違えば味も変わるでしょう。今日がそのデータ集めの第一回目。実は玲子さんも登山飯に興味があるって言ってたの。だけど日差しのきついのが苦手で、一度試したけどすぐ帰ってきちゃったのだって。代わりに私が体験しておこうかなと思って。あとで報告するために」

「そうだね、そうするか。データ収集だよ」と由実が言い、梓もうなずいた。

「なあに、いつかまた会えるさ。誰にだっていろいろ都合があるもんだ」

 梓が大人ぶった口調で言うと、中学生二人はうなずいた。「そうだね」


 急に冷たい風が山上に吹き渡って、あちこちで声があがった。

 渚沙と由実も歓声をあげつつ、両手でしっかりとラーメンの容器を守った。そして、お互いに顔を見合わせ、今度ははじけるように笑った。梓は妹たちの早業に感心するように肩をすくめたが、タケルに顔を向けると彼女もまた楽しげに笑い出した。

「はやく食べなさいってことだよ」「ホントだ」

 四人は丁寧にカップ麺に向き合うと、早速に食べはじめた。

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白の人狼/血を吸う瞳 布留 洋一朗 @furu123

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