それはそれで

梓ちゃんの懐の広さ


「……美味しい」


 モデルの美香は、間近で見ると普通の人だった。橋下奏のようなオーラはないし、梓ちゃんのような人を惹きつけるものもない。

 でも、洗練されてる感はある。きっと、努力家なのだろう。


 そんなモデルさんは、さっきまで刃物を振り回していたような人には思えないほど落ち着いて、目の前でケーキを食べている。


「良かった。あ、敬語じゃなくて良い?」

「ええ」

「僕は、牧原ソラ」

「私は、鈴代美香」

「へえ。梓ちゃんと同じ鈴だ」

「……」


 梓ちゃんの名前を出すと、鈴代さんはフォークの手を止めてしまった。下を向いて、何か思い詰めてるような雰囲気を醸し出す。

 落ち着いているように見えて、まだ気持ちが不安定らしい。


 カウンター越しをそれを見ていた僕は、隣に居た姉さんを奥に引っ込ませる。空気読まずに「サインくれ!」とか言い出しかねないし。それは、今は勘弁してほしい。


「大丈夫?」

「……私、梓ちゃんに悪いことしちゃった」

「……」

「梓ちゃん、私のこと嫌いになってたらどうしよう」


 どうやら、彼女は五月くんより梓ちゃんに嫌われることを恐れているらしい。ということは、五月くんのことは吹っ切れたのかな。

 それを良い傾向と言うのかは謎だけどね。今度は、梓ちゃんの取り合いで五月くんにナイフを向けられたらそれこそエンドレスになりかねない。


「梓ちゃんは、大人だから。仲直りしようって言ってたから嫌ってないと思うよ」

「だといいな……」


 ……梓ちゃん、鈴代さんの心掴んだな。

 たしかに、彼女に嫌われるのは勘弁して欲しいな。それはわかるよ。わかるけど……。


「……梓ちゃんが好きなケーキどれ?」

「んー、フレジェとかいちごタルトとか。あと、アップルパイ。フルーツが好きな子なんだ」

「覚えた」

「……」


 梓ちゃんは罪作りの上手い子だよ。彼女は、こうやって無意識に人を魅了していく。

 きっと、鈴代さんはこのまま梓ちゃんにべったりになるだろうな。


 まあ、それは良い。

 それよりも、五月くんだ。梓ちゃんと釣り合わないとかなんとかで、尻込みしてたから楽しみだな。もし、別れたら即僕が梓ちゃんをもらいに行こう。


「梓ちゃんっ!」


 なんて考えていると、入り口のドアが開いた。カランカランと鈴の音を響かせながら。

 るんるん気分でそっちを向くと……ああ、ダメだ。別れなかったらしい。手をしっかり繋いでる2人がいる。

 五月くんの表情も、さっきの気弱なものじゃなくなってる。あーあ、残念。


「美香さん、お待たせしました」

「梓ちゃん、さっきはその……」


 鈴代さんは、ものすごいスピードでその音に反応して梓ちゃんたちの方へ走っていく。フォークは……うん、テーブルに置いてある。攻撃的な彼女はもう居ないと思って良さそうだ。


「梓ちゃん、ごめんなさい」

「私も、酷いこと言ってごめんなさい」

「……これからも、お話してくれる?」

「もちろん! コスメとか、お仕事の話とか聞きたいです」

「うん……。うん、ありがとう……」


 泣き出した鈴代さんを、梓ちゃんが抱きしめる。本当、梓ちゃんの懐は広すぎる。僕なら、即警察に投げるのに。

 いつか、詐欺まがいのことに巻き込まれないか心配だよ。


 でもまあ、今回は本人が良いって言ってるから、僕が口を出すことじゃないな。


「……美香さん。少し話しませんか」


 さて、次はこっちか。


 五月くんにとっては、良い展開になったと思う。これで、鈴代さんが暴走する可能性はかなり低くなったから。

 それでも少し震えてるのは、昔のトラウマだろうな。彼が回復するまでには、まだまだ時間がかかりそう。


「……はい。お願いします」


 いや、五月くんにとって良い展開かどうかは考えものかもしれない。


 鈴代さん、梓ちゃんから離れようとせず手を繋いでいる。そのまま話をするらしい。彼女の依存体質も、弱まるまで時間がかかりそうだ。

 でも、梓ちゃんはそれに喜んで付き合う。そういう子だから。


「まず、今まで無視してごめんなさい」

「ち、違う。私が、五月くんに酷いことしたから……」

「それでも、断れなかった俺が悪い。ごめんなさい」

「……こっちこそ、ごめんなさい。私、奏くんのことも傷つけた」

「それは、本人に言ってあげてください。あいつなら、許すから」

「うん……。もう、五月くんに付き纏うことはしない。しないから、たまにメイク担当してくれる?」

「良いですけど……。美香さん、海外から引き抜きがあって事務所の方針変わったって聞きましたけど」

「え? なにそれ?」

「え? 奏がそう言ってて……」


 うん。

 大丈夫みたい。


 五月くんは、これで心置きなく梓ちゃんと向き合えるようになったということで。


「ねえ、座って話したら? 鈴代さんは、ケーキ食べちゃって。クリームが乾いちゃうから」

「あ、うん。食べる。……食べながらで良い?」

「はい。俺もいただきます。鈴木さんは?」

「食べる!」


 ここはお店だからね。ちゃんと利益も考えないと。


 僕は、座る3人を見ながらケーキと飲み物を用意する。

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