釣り合い


『私が美香さんへ突っかかったのに、青葉くんは関係ないの。だから、2人だけで話させて』


 眉を下げた鈴木さんは、そう言って両手を合わせた。

 何度も何度も、「青葉くんは関係ない」と言って。


 俺は、それを信じてしまったんだ。

 ……信じてしまったんだ。



***




「鈴木さん!!!」


 喫茶店から飛び出るように外へ……鈴木さんの方へと走った。

 勢い良く開けた扉が、壊れたかもしれない。でも、今はそんなことどうでも良かった。


 それよりも、鈴木さんを守らないと。

 刺されるのは、俺であるべきだ。こうなるまで放っておいた、俺であるべきなんだ。鈴木さんが傷つく必要は微塵もない。

 間に合え、間に合え。

 鈴木さんを傷つけて良い人なんて、誰もいない。


 あと数メートルで彼女の背中に手が届きそうな時、美香さんが動いた。目の前に俺が居るのに、その視線は鈴木さんしか見ていない。

 その異常な見た目に怖気付きそうになりつつも、ここで止まったら今以上に後悔する。俺は、息を整えて彼女の名前を呼ぶ。


「鈴木さん! 鈴木、さ……!?」


 腕を掴み、自分の後ろに引き込もうとした。けど、鈴木さんはそれを素早い動きで振り払った。


「キャッ!」


 パシッと皮膚がぶつかる乾いた音が響く。

 と、同時に、金属音と何かがぶつかる音が小道にこだました。


 何が起きたのかわからず、俺は弾かれた手がじんわりと痛むのを感じていることしかできない。


「……美香さん、そんなことしても青葉くんは喜びませんよ」


 後ろから来た牧原先輩が、何も持っていない美香さんの腕を掴んだ。彼女はそれに抵抗せず、そのまま地面に膝を折る。


 鈴木さんは、刃物を片手で薙ぎ払った。

 その動作の途中で、俺の手にぶつかったらしい。それに気づいたのは、鈴木さんが言葉を発した後。

 俺は、地面に弾かれた刃物を手に取り、そのまま鈴木さんの前に出る。


「……な、なん」

「美香さん、やめてください」

「なんで! なんで、五月くんが居るのよ!」

「喫茶店で待ってる、って私言いましたよ」

「聞いてない! 離してよ!」


 でも、鈴木さんは俺の前に出ようと足を動かしてくる。それを腕で止めようとするも、止まらない。


 本当は、いますぐ抱きしめて「ごめんね」と言いたい。けど、今それをしたところで美香さんの神経を逆撫でするだけだし、「ごめんね」がとても薄っぺらく感じてしまいそうでできないんだ。

 それに、カタカタと全身が震えてしまっているのは紛れもない事実だから。鈴木さんの方が怖いはずなのに、ここまで来ても俺は何も変われない。


「警察呼ぼう。これは、悪質すぎる」

「待ってください、先輩」


 牧原先輩がポケットから出したスマホを取ると、鈴木さんがそれを止める。そして、


「美香さん」


 と、真っ直ぐで透き通った声を出した。


 その声に、俺も牧原先輩も、そして、美香さんも動きを止める。


「美香さん。さっきまでは、私が一方的に悪いことをした自覚がありました。けど、今、美香さんも私を傷つけようとしてきました。私も美香さんも悪いです」

「……」

「私は、こんなことで貴女のモデル人生に傷をつけたくありません。貴女には、たくさんのファンが居ます。私の友達にも貴女のファンが居ますし、私もファンです。なので……」

「……鈴木さん」


 この声は、鈴木さんの存在を知ったあの日と同じものだ。

 告白を断った、そして、俺に勇気をくれた、あの日の鈴木さんが目の前に居る。


 俺を押しのけて前に出た彼女は、背筋を伸ばし凛とした姿を俺らに見せてくる。


「なので、仲直りしましょう」

「……え?」

「お互いごめんなさいして、あそこでケーキ食べませんか? それで、仲直りです」

「……仲直り」

「はい、仲直りです。私は元々、美香さんにごめんなさいを言いに来たので」

「でも、私……あなたに酷いことしようとして」


 正直、「は?」となった。それは、牧原先輩も同じらしい。多分、俺と同じ顔をしていることだろう。


 鈴木さん、「仲直りしよう」と言って笑っているんだ。今までナイフを突きつけられていたのに。それを、そんな簡単に許せるってどう言うこと? 俺には、わからない。


「私も酷いことしました。だから、おあいこです」

「……ぷっ。あははは!」

「牧原先輩」

「ごめんごめん。やっぱり、梓ちゃんのこと好きだなあ」

「……」


 急に高笑いをした先輩は、美香さんの腕から手を離した。その瞬間、俺は持っていたナイフを奪われるのではないかと思ってしまい、後ろ手に隠す。でも、美香さんはただただポカーンとしながら鈴木さんを見ているだけだった。


「いいよ、みんなまとめておいで。ただし、刃物は勘弁してね」

「ね、美香さん。あそこのミニケーキ食べましょう。本当に美味しいんです」

「……梓ちゃん」

「ケーキ食べて、青葉くんとも話して全部すっきりしましょう。私、外に出てますから」

「あ、あの!」


 立ち上がった美香さんは、地面に落ちた鞄を拾わず鈴木さんの腕を取る。その表情は、俺が知っている昔の美香さんのものだった。

 何かが抜け落ちたように、普通の女の子として俺の視界に映る。


「あの、梓ちゃん」

「なんでしょうか」

「えっと、……い、一緒に。隣に居て話したいんだけど、良いかな」


 と、頬を染めてしおらしくなった美香さんが鈴木さんに話しかける。

 それを聞いた彼女は、笑顔のまま「はいっ!」と元気良く返事をした。


「……」


 俺は、今日の彼女のこの笑顔を一生忘れることはないんだろうな、と思った。

 その強さ、優しさ、全てが俺の心に入り込んで来て、今までのトラウマも何もかもを洗い流してくれた気がする。だから……。


「青葉くん? 勝手に予定変更してごめんね」

「……ごめんね、鈴木さん」

「青葉くん?」

「ごめん、ね」


 やっぱり、弱い俺は鈴木さんと釣り合わない。

 彼女を守れない俺は、鈴木さんと居る資格がない。


 俺にとってそれを強く実感してしまう、そんな出来事になった。


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