そろそろ現実に戻る頃


「青葉くん……」


 オーブンから取り出したアップルパイを切っていると、キッチンの入り口で鈴木さんがこちらを見ていた。


 やっぱり、肌の露出が気になる。さっきは俺だけだったから良かったけど、奏も居るし。

 可愛いけど。似合ってるけど! 


「鈴木さん、寒くない?」

「寒くないよ」

「本当?」

「青葉くん寒いの? 冷房切る?」

「いや、違くてその」


 なんて言えば良いんだろう。直接伝えても?

 いやいや、そんな目で見る人になっちゃう。いや、見てるんだけど。いや、断じて見てないぞ!


 初めて来た家で緊張してるんだから、怖がらせちゃダメだ。


「……やっぱり、さっきの夢だった?」

「え?」


 なんて邪な感情と戦っていると、眉をシュンと下げて鈴木さんが呟いてきた。意味のわからなかった俺は、ケーキナイフ片手に動きを止める。


「あの、……さっき夢見て。……青葉くんと、その」


 違う。違うよ。

 夢にしてたまるか。やっと鈴木さんに想いを伝えられたんだ。


 その言葉で理解した俺はナイフを置いて、鈴木さんの頭をゆっくりと撫で上げる。


「俺と、どんなキスする夢見たの?」

「あ……」


 そう言うと、鈴木さんの顔はどんどん真っ赤に染まっていく。淡いピンクの服が、白に見えるほど真っ赤に。それがまた、最高に可愛い。

 こんな彼女をこれからも間近で見られるとか、俺は前世でどんな徳を積んだのだろう。


「可愛い。夢じゃないよ」

「……本当?」

「本当だよ、泣かないで」

「うぅ……」

「たくさん悩ませちゃってごめんね。甘いもの食べて落ち着こう」

「……うん、食べりゅ」


 あ、噛んだ。

 舌は大丈夫かな、噛んでないかな。


 そりゃあ、2日寝ないで色々考えちゃってたんだもんね。精神的に不安になっちゃうよ。

 誤解解けて良かったな。あとは、篠田さんたちのことをどうするかだね。


「お皿運べる?」

「運ぶ。バニラアイスは?」

「添えようか。待って、ディッシャーあるから」

「2個目良いの?」

「家ではダメなの?」

「瑞稀たちに1個までって」

「じゃあ、今日は内緒ね」

「うん!」


 ヤバい、可愛い。

 アイス1個でこの笑顔って。


 もしかして、甘やかしすぎかな。

 虫歯になったらどうしよう。そうだ、洗面所に鈴木さん用の歯ブラシ常備しておくか。


 なんて考えつつ、鈴木さんの持つ皿にバニラアイスを1つ添えた。


「鈴木さん」

「……っ」


 そして、油断してるところにキスをする。

 ……うん、真っ赤だ。


「青葉くんのバカ」

「じゃあ、もうしない?」

「する……」

「……お前ら」

「ぴゃ!?」


 そんな顔を覗いていると、奏がリビングに戻ってきた。どうやら見られたらしい。顔の赤さは、鈴木さんと良い勝負だ。

 そして、鈴木さんが恥ずかしさで死にそうになっている。うん、自重しよう。


「……五月がキスしてるの初めて見たわ」

「まあ、鈴木さんが初めてだし」

「え、本当に初めてだったの!?」

「鈴木さんに嘘はつかないよ」

「う、……なんか、ごめん」

「いいなー、オレも梓にキスされたい」

「いいよ」

「!?」

「!?」


 アップルパイのお皿を持った鈴木さんは、快いほどの二つ返事をしながら奏の方へと歩いて行ってしまった。

 止めようにも、急すぎて身体が動かない。


「はい、一口だけね」

「……」

「……あー」


 ですよね。


 鈴木さんは、アップルパイをひと欠けフォークに刺し齧り、それを奏に「あーん」と言いながら食べさせようとしている。……鈴木さんの中では、間接キスもキスの中に入るのか。

 これくらいなら、まあ。別に、羨ましくもなんとも。

 ……いや、奏! お前、アルコールでいますぐ口を拭いてこい。


「うん、うまい。……泣いてない」

「どうしたの? バニラアイスも欲しい?」

「要る……」

「こっちは普通に食べる?」


 ってか、待って。

 俺も、鈴木さんにあーんしてもらいたい。お前、なんで彼氏差し置いてそんなもったいないことされてんだよ!


 なんて念を送っていると、奏が気づいたらしい。顔を真っ青にしながら「自分で食べる……」と言っている。


「紅茶淹れたから、テーブルで食べよう」

「うん! 奏くんも食べよう。熱々って、こんなに美味しいんだね」

「だな。いただきます」

「アップルパイ、先にテーブルへ運んでおくね」


 そう言って、鈴木さんは3人分のお皿を運んでくれた。


 と、同時に、先ほどとは打って変わって真剣な表情で奏が近づいてくる。


「お前、来週梓が出るトラの撮影忘れてねえよな」

「忘れてないよ。奏のヘアメイクするし」

「絶対にそんな「付き合ってます」みたいな顔して行くなよ」

「……気をつける」

「あと、来週土日にミカさんとのドラマ撮影決まったから。ヘアメイク、無理なら他の人に「仕事は仕事。ちゃんとやるし、俺は仕事に私情を挟まない」」

「……なら良いけど。なんかあったら、すぐ言えよ。梓が傷つくのだけは許さねえ」

「ありがと。奏も、もう怪我しないで。近くで見てるから」

「おう、サンキュ」


 そうだ。

 俺は、先に楽しみを取ってしまった。浮かれてばかりは、いられない。

 問題は、山積みなんだ。

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