君が好きだ

そうだ、俺の母親はこういう人だった


「五月ちゃん、おかえり」

「……千影さん」


 鈴木さんに拒絶された俺は、どうしたら良いのかわからなくなってそのまま家に帰った。今日は、奏が仕事の打ち合わせで居ないから1人だ。


 そう思っていたのに、なぜか千影さんがキッチンでコーヒー豆を挽いている。

 いつもなら「ちゃんづけはやめろ」っていうところだけど、今はそんな元気もない。


 千影さんは、身体のラインが強調された薄い服を着ていた。こういう服の方が重くなくて楽なんだって。

 でも、表で着てるとイメージが合わないから我慢してるとか。だから、今は完全オフってこと。


「元気ないわね。コーヒー飲む?」

「豆は?」

「ゲイシャ」

「飲む」

「待っててね。次の役、バリスタなの」

「そう」


 この人が何かをするのは、仕事に直結するものだけ。だから、言われる前に気づいていた。

 俺は、そのままソファへ千影さんから「宣伝してきてね」って渡されたカバンを放り投げる。


「美味しいコーヒーの淹れ方も勉強したのよ」

「教えて」

「そう言うと思った。おいで」


 別に、知りたいわけではない。でも、今は何かしたかった。

 それに、知識になることは習得しておいて損はないし。その辺の考えは、千影さんの影響かも。


 ソファに腰をおろそうと思った俺は、そのままキッチンに向かう。


「まず、カップを温めるの。その間に、コーヒーを淹れるのよ」

「紅茶と一緒なんだ」

「そうそう。で、お水は軟水で酸味、硬水で苦味が出やすくなるんだって」

「それは知らなかった」


 千影さんは嬉しそうに、隣に居る俺へ向かってレクチャーをする。持ち込んだのか、ミルに3種類のドリッパー、コーヒーポッドなど道具が勢揃いだ。


「……学校、どう?」

「何、今度はそういう役?」

「あはは! 違うよ。役なら役って言うから。普通に聞いてるの」

「……俺も毒されてきてる」


 俺が「母さん」と呼ばないのは、それも役名になるから。だから、「千影さん」と名前で呼ぶ。変な家族だよね。


「夏休み、パパのところ行くの?」

「考え中」

「珍しい。なあに、ご執心なセフレでも出来たの?」

「もう、そう言うのやめたよ」

「え?」


 俺の言葉を聞いた千影さんは、シュウシュウと音を立てるポットから視線をこっちに向けてきた。……そんな驚くこと?


「今、関係あった人たちに片っ端から謝りに行っ「まさかED!?」」

「……息子に向かって、そんなこと聞く?」

「じゃあ、誰か妊娠させたとか? 認知はするからいいわよ」

「はあ……。別に、EDになってないし妊娠もさせてない」

「もしかして、おと「男も好きになってないからね」」


 歪曲しすぎでしょ、うちの母親。でも、これが平常運転なんだ。

 これ以上話していると、「奏くんと!?」なんて言い出しそう。俺は、沸騰したお湯の音を聞いてコンロを切った。


「……後悔、してる」

「何が?」

「遊んでたこと」

「熱でもあるの?」

「あるかも。あの、……好きな女の子が居て。俺が遊んでたせいで、今日泣かせちゃって拒絶され「わあ!」」


 ……わあ?


 コンロに視線を向けていた俺は、千影さんの方を向く。すると、その歳でよくもまあそこまで輝きますね、と皮肉りたいほど瞳を輝かせてこっちを見てるじゃんか。

 ……そうだ、この人はそういう人だ。


「五月ちゃん、顔が真っ赤! え、お名前は? どんな子? 高校生?」

「質問が多いし、俺の話聞いてた?」

「聞いてた聞いてた! で、名前は?」

「……鈴木、梓さん」

「梓ちゃん、いい名前だわっ! なあに、そんなに身体の相性が良かったの?」

「鈴木さんをそういう目で見ないで。ヤったことないし」

「わあ! 純愛だ! 詳しく!」

「……ねえ、コーヒー淹れようよ」

「何言ってんのよ、お湯はいつでも沸かせるの! 今は五月ちゃんのを」


 話すんじゃなかった。


 後悔したって、遅い。

 俺はその後、彼女に思っている感情を根掘り葉掘り喋らされた。もう言うことがないほど。すると、


「……あんた、その子を大事にしなさい」


 いつの間にか、千影さんの口調は「母」になっていた。

 俺が鈴木さんの話をすればするほど、ホッとした表情になっていく。


「セフレは、自分で始めたことなんだから最後まで責任持って終わりにしなさい。ただし、危険と判断したら逃げるのも選択肢のうち」

「……逃げたくない。鈴木さんも、そういうの嫌うと思う」

「そこに梓ちゃんの意見は関係なし! あなたの問題でしょう」

「うん……」

「困ったら、アドバイスくらいはしてあげる」

「ありがと、千影さん」

「それより、早く梓ちゃんに会いたい」

「……それが本音?」

「当たり前でしょう! 一緒にお買い物するの!」

「……やめて」


 でも、そのおかげか、帰ってきた時よりずっとずっと気持ちは軽かった。鈴木さんの好きなところを話せたからかもしれない。

 明日、学校でもう一回話してみよう。鈴木さん、結構思い込んだら病んじゃうタイプだから早く誤解を解かないと。


 俺は千影さんの淹れたコーヒー片手に、奏から来てたメッセージに返信をした。


 

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