不為児孫買美田
ジブラルタル冬休み
果ててゆく世界と被疑者
「そろそろ私は死ぬのね」
「そうですね」
トラックが目前に迫った少女は空中に浮かびながら呟いた。
「思ったよりだいぶ早い死だったな」
トラックは残像を残したまま停止している。それだけではない。時計の秒針は止まり、50円玉は穴から通り抜けた風の形を留めたまま、一切の動きを成していない。うんたらかんたらテクノロジーグループのCMのような、殺風景な停止世界がそこでくらついていた。
二人を遺して世界が死んでいる。
「全く、冥界とつながっているとは便利なものね、呆れた」
そう言いつつ、彼女の目の奥は明朗に驚き、花火で彩られている。
「私はあなたの全てを知っていますから」
とても微細に細胞分裂した彼女の肌に襞が寄る。
「…それ、なんか嫌」
「なんかじゃないでしょう?」
私の考えてることなんか。少女は耳を僅かに動かす。
「バレてるのね、私の考えてることなんか。そんなことより、ソレ、そろそろ止めてくれる?」
少女のすらっと伸びた指の爪の先から引かれた延長線上には、小さな懐中時計がふわふわ浮いている。懐中時計は見るからにか細い秒針を止めてテラテラ、じょむじょむしている。まるで屈伸のようだ。
「それはできません。アマツカさん、私はあなたを助けようというんですよ。なぜ手を振り払うのですか」
「触られてないしね」
敢えて男の逆鱗に触れているのか、或いはただ楽しんでいるのか。目先に迫るトラックはまだ動かないが、先ほどまで「物質として生きていた」という感覚を取り戻しつつある。
「自分だけで持つプライベートな正義は滅多に貫通され得ません。しかし、蒼氓が自ずと持ちうる正義の中に投影した際生じる差異は、もはや貫通された穴と言っても過言ではないのです」
「つまんないなぁ、そのフィロソフィーみたいな話」
少女は欠伸をして空気机上から生えたライトの明かりを消した。
「とにかく、こちらへ来てください。大丈夫、堕天なんかしませんから」
男は手を招いた。手は拱いていない。
「ふふふふふ、…あぁ、可笑しい」
「どうされましたか?」
男の口角が少し上がる。少女の微笑む顔の美しさは言葉にはできないため割愛する。とにかく彼女の笑顔を見て男も張り詰めた緊張が緩んだのだった。
「なんであなたが私に触らないのかわかっちゃったってことよ」
そう言うと彼女はセーラー服を脱ぎ始めた。男はたじろいだ様だが、目は変わらずその肌を追う。やがて少女は腰にある明けた模様を指差した。
「やっぱり。コレ、反応してる。貴方、悪魔でしょ?」
「バレましたか。まぁ、そりゃそうでしょう」
観念した、というように手を挙げる男。バレて尚取り乱すこともなく受け入れている。少女は空気机上に浮かぶ洋服を指でくるくる纏めていく。
「悪魔が近くにいたらこれが反応するって仕組み。今は黒い模様が浮かんでるけど、いつもはここには何もないの」
「ほう、そんなセンサーみたいな機能があったのですね。良い…。益々素晴らしい人だ」
男は彼女の4番目の友達の水かさを増すような思いをしながら、彼女を見つめた。
「なんか気持ち悪い」
「だから、『なんか』ではないでしょう?」
男は自分が可愛がっていた苦虫を噛み潰したような顔をして訊く。
「そうね、スゴく気持ち悪い」
男は案の定、と手を捏ねる。
「私は自分の意思で助かることにした。私は自分の為に生き切るの。あなたとなんてまっぴら」
男を西とすると少女は北北東の方向へ向かっていく。重箱の隅を突いて破って水漏れを飲むように男が言う。
「しょうがない。私は何度でもあなたの元へ来ます。いやはや、今日もダメだった。かなり大きなチャンスだったのに」
男は幻界へとどんどん縮小していった。それと同時に、トラックは再び残像と重なり、別の残像を作っては消しと進んでいった。
少女は慌てて服を着た。危なかった、変質者だと思われちゃう、と独り言を言おうとした途端、ふと腰の模様が気になって少女は目をやる。文様は青く変わっていた。
「やれやれ、なんだ。またお呼ばれかぁ」
少女は背中から生えた鳩の擬似手で空を滑っていった。
不為児孫買美田 ジブラルタル冬休み @gib_fuyu
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