片耳にイヤホンを

暁烏雫月

片耳にイヤホンを

 太陽が沈み始めてオレンジ色に染まった空。最寄り駅の錆びれたベンチに腰掛けてMDプレーヤーを取り出す。シンプルな黒ベースの機体に銀色のボタン。このデザインが好きなんだ。


 手のひらより少し大きいサイズの正方形のプレーヤー。けどなかなかに分厚くて、ちょっと重い。MDとイヤホンはもうセットしてあって、あとは再生を待つだけ。


 選び抜いた14曲は僕好みの曲と君が好みそうな曲を混ぜてみた。君も僕の好きな曲を気に入ってくれるといいんだけどな。


 毎週金曜日の約束が始まったのはもう一年も前のこと。偶然学校に持ち込んだMDプレーヤーが君に見つかってしまったのがきっかけだった。怒られるのかと思いきや、君はMDプレーヤーを持ってないらしくて。


「MDはあるんだけどプレーヤーは持ってなくて……。あの、さ。MDプレーヤーで一緒に曲を聞いてくれないかな?」


 MDプレーヤーは高校生にとってなかなかに高い。約6万円の機体を買うためにバイト代を何ヶ月も貯めた。たしか、クラスで一番最初に買ったのは僕だったはずだ。


 最初は君の用意したMDをセットして聞くだけだった。一つのイヤホンを分け合って同じ音を聞いて、少し話す。いつからかMDを順番に用意するようになったっけ。


 僕が好きな曲が流れた時は、君もその曲が好きになってくれるように祈りながらそっと音量を上げる。初めて聞く曲を必死に追いかける頼りないフレーズの鼻歌が、どうしようもなく好きだった。


「お待たせ!」


 今日もいつもの待ち合わせ場所に君がやってくる。約束は口で交わしただけ。手紙のやり取りもしてない僕達は、待ち合わせ場所で会って初めてコミュニケーションを取る。


 家の電話番号は知ってるけれど、たった74分間の約束のためだけに電話する勇気はなくて。毎週金曜日の帰り際に、次の約束をして別れる。約束に遅れそうな時も連絡なんて出来ないけれど、今のところ僕も君も約束に遅刻したことはない。


 隣にいた君の細い指がイヤホンの一つを右耳に差し込む。釣られて僕も、イヤホンのもう一つを左耳に差し込んだ。君が小さく頷いたのを見てから、MDプレーヤーの再生ボタンを押す。


「あ、この曲知ってる」

「この前、歌番組で流れてたよね」

「そうそう。気になってたんだ。ボリューム、上げていい?」

「もちろん」


 僕の手を包み込むように重ねられた君の手。その人差し指が音量ボタンを優しく押した。左耳から流れ込む曲が大きくなる。もっと曲に集中したくて、右耳を軽く塞いでみた。


 毎週金曜日の放課後。高校の最寄り駅にあるベンチで、僕達は一つのイヤホンを分け合う。MDは交互に用意する。今週は僕が用意する番。2週間かけて入れたい曲を決めて、MDに曲を録音して。14曲を聴き終えるまでが二人きりの時間。


 僕達にしか聞こえないMDの音楽。一つのイヤホンを共有するために近付いた距離が嬉しいのになんだかもどかしくて。このかけがえのない時間を失いたくないんだ。けれども時間は限られているから、僕は一つ、賭けに出た。





 隣から君の鼻歌が聞こえてくる。君はいつだって、気に入った曲が流れると鼻歌を歌うんだ。今日はいつもより鼻歌の回数が多い。僕の好きな曲、君も気に入ってくれたのかな。


 最後の曲がいよいよラスサビに入る。このMDを聞き終えたら電車に乗って、君の最寄り駅でお別れだ。MDを再生する前はオレンジ色だった空がもう暗い。いくつか星が見える。いつだって、君といると時間が経つのはあっという間。


 僕も君もMDに入れるのは14曲。今日の14曲目はとっておきの、僕にとって思い出の曲なんだ。君がMDプレーヤーを見つけて声をかけてきた時に聴いてた曲。そんなこと、きっと君は知らないんだろうけど。


 14曲目が終盤に差し掛かると、僕達は自然と顔を見合わせるようになる。君は困ったように苦笑いをして、僕はそっと右手で拳を握る。今日こそは伝えなくちゃ。


「終わっちゃったね」

「うん」

「14曲目のやつ、すっごい良かった。私、この曲好きなんだ。確かの曲って……」


 君は的確に14曲目の曲名とアーティスト名を言い当てる。そうか、僕にとっての思い出の曲は、君の好きな曲なのか。ただそれがわかっただけなのに、胸の奥の方がじんわりと温かい。


 君の右耳からイヤホンが離れた。細い指がMDプレーヤーの電源を落とす。次の電車が来るまで、あと少し。覚悟を決めて立ち上がると、左耳からイヤホンが外れ、MDプレーヤーごと落下する。


「あの……」

「はい、落としたよ」


 MDプレーヤーが拾われて僕の右手に優しく乗せられる。気が付けば、MDプレーヤーを拾ってくれた君の手に左手を重ねていた。君は手を払うことなく、僕の目を真っ直ぐに見つめている。


 大きく息を吸う。電車を知らせるアナウンスをやり過ごしてから、君の手を握る。ずっと考えていた言葉を今日こそ言うんだ。そう、今日君に会った時から決めていた。


「好きです。僕と付き合ってください」


 君はすぐに返事をしてくれなかった。恥ずかしさに思わず顔を横に背ける。遠くから駅に向かって走ってくる電車の姿が見えた。次の瞬間、柔らかな温もりが僕の体を包み込む。


「これからも、私と一緒に色んな曲、聞いてくれる?」

「も、もちろん」

「君の好きな曲、もっと教えてくれる?」

「もちろん」


 そんなこと、当たり前なのに。好きな人と共通の趣味を共有したくない人なんていないに決まってる。だから早く答えを教えてくれ。無理なのはわかってるから、優しくしないでくれ。


「私も、好きです。私なんかで良ければ是非、付き合ってください」


 背中に回された腕にぎゅっと力が籠もる。細い体がなんだか頼りなくて、そっと君の背中に腕を回す。けれど、電車がホームに入ってきたのを見て慌てて離れた。人に見られるのはなんだか恥ずかしい。



 君の右耳にイヤホンを一つ。僕の左耳にもう片方のイヤホンを。そして、さっきまで再生していたMDをもう一度再生する。同じ曲を同じイヤホンで聴きながら、僕達は電車に乗り込んだ。

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片耳にイヤホンを 暁烏雫月 @ciel2121

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