13.シャンパンワルツ【2016年スケートアメリカその⑥ 】③
ホテルの部屋に戻って、しばらく私は扉に背中をつけて立ち尽くしていた。電気をつけるのも嫌だった。誰にもすれ違わなくてよかったと心底実感する。
背中のファスナーを下ろす。アーサーから借りたジャケットと母から貰った白いワンピースが床に落ちた。寝巻きに着替える気力もなくて、タンクトップとスパッツだけで布団に入る。
あの様子は、つまり……そういうことなのだ。いつからそうなったのかはわからないけど。私にそれを止める権利なんてないんだけど。
枕に染みができる。出どころは分かっている。こんな液体、目から出したくなかったのに。嫌だ。泣きたくない。泣いてしまうと、自分が傷ついているんだと否応なく実感させられてしまうから。傷ついてない。なんとも思ってない。
私は枕をこれ以上濡らさないように、何度も何度も目元を拭った。それでも止まらなかった。床に落ちたiPhoneが振動する。杏奈だろう。ごめん。こんなんじゃ出られないよ。返信できなくてごめん。
思い出したくない。そう思うたびに、抱き合う二人の姿が頭から離れない。自分がわからない。てっちゃんがそれでいいなら、私が泣くことなんてないのに。喜ばないといけないのに。てっちゃんが誰と付き合おうが、私には関係ないのに。どうしてこんなに苦しくなるんだろう。
胸のあたりがじくじく痛い。さっきから頭痛も体の痺れも治まってくれない。
せっかく表彰台に上がったのに。試合に来て、何でこんな下らないことで泣いているんだろう。
そうだ。もう寝ちゃえばいいんだ。寝ればきっと、こんな苦しさからも痛みからも解放される。寝ないと。寝ないと。
明日になればきっと元通りになれる。そう願って、私はまぶたを強くつぶった。
その日、私は夢を見た。
母から貰った服を着た私は、堅い壁と霧に囲まれていた。霧がどんどん濃くなって、私の体を覆い尽くす。抜け出したくても、壁が厚くて出られない。霧が重くて、身動きが取れなくなる。声をあげても、霧が全ての音を吸い取ってどこにも届かない。
助けて欲しくても、私の手を取ってくれる人はどこにもいない。
そんな悲しい夢だった。
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