12.ループはシュッとやれば飛べる【2016年スケートアメリカその⑤】 ①
先の女子シングル。結果だけ見れば、まぁ納得だ。ショート、フリー共に、出来が一番良かったのは杏奈。だから彼女が優勝したのは、誰が見ても当然だと思うだろう。
さて。女子の結果よりも、自分のことだ。
自分の演技の前に、現在の総合順位とフリーの順位がモニターに映し出される。晶は、俺と最終滑走を残して二位に踏ん張っている。キス&クライに座るジェイミーは、もう少しできたかもしれない、と言いたいような笑顔だった。出来には不服だけど、笑えない程度ではない、というとこだろうか。……前の滑走者がそんな顔をすると地味にプレッシャーがかかる。
今日の公式練習での四回転ループの成功率は、四割程度。目立って低くはないが、リスクは高い。
「哲也、前に君はループ飛ぶ時はどうやれば飛べるって言ってた?」
「は?」
今度は一体なんだ。
「いいから。俺が『ルッツはグッと踏み込んでパリッと切り返す』って言った時。同じようにループ飛ぶ時の自分なりのコツを君は言っていたはずだ」
そんな事言った覚えが……いや、思い出した。ジュニアの時、そんな会話をした。
「ループはしゅっとやれば飛べる」
とんでもないオノマトペだ。しゅっとやれば飛べるって、自分で言っておいて何だそれ。
「そう! しゅっとやれば飛べる! それをクワドでも応用して飛んでみてよ。君は体にジャンプのリズムがあるんだからさ」
ーージェイミー・アーランドソン、現在総合一位のアナウンスが入る。晶が三位に後退する。
「失敗するかもしれませんけどね」
「飛ぶことが大事さ。ここまできたら飛んでみるしかないんだし。さ、行っといで」
飛ばないことには始まらない。それを自分の真の技術にしたいのなら。
深く息を吐き出しながら、演技を始める。
静かな音から始まるフルオーケストラ。
最初は四回転サルコウのコンビネーション。それを決めた後が、最初の山場だ。
助走の際、一、二、三と数え、足をクロスさせる。風を切るような音を意識して飛び上がる。最初に覚えたループジャンプのリズム。右腕を引きつけて体の軸を絞る。筋肉が収縮する。四回回れているのを確認して、右足からジャンプから降りてくる。
着氷する右足にかかる負荷が凄まじい。エッジがよれそうになる。ここでバランスを崩したら転倒してしまう。太腿に力を入れて何とか踏ん張った。
決まった。決められた。
遅れて聞こえてくる歓声に、応える余裕は全くない。
肺が縮こまる。
だけどこれは、プログラムのほんの一部だ。あと6つのジャンプが残っている。そのうちの二つは4回転。トウループと、1.1倍される後半にもう一度サルコウ。湧き上がってくる喜びを抑えて、躊躇わずに次のジャンプに向かう。
ーー四分半、全ての要素を見た目ノーミスで終えると、体中の体力は全てなくなっていた。
*
ジャンプを全て決めつつ、全ての音に神経を尖らせて滑り、振り付けやターンを省略せず、かつ、振り付けにふさわしい表現をする。
「吐きそう……」
右足を引きずるようにして戻った第一声がこれだ。肺の動きが浅くて早い。最後のジャンプを決めた後、だいぶスピードが落ちてしまった。これがどのぐらい、PCSに影響してくるだろうか。
「お疲れさん。四回転ループの着氷おめでとう。収穫のあった演技だったよ」
エッジカバーをつけて氷から一歩上がると、右膝の力が抜けた。床に倒れ込みそうになったところ、先生の両腕が支えてくれた。
「……ありがとうございます」
「危うく変な怪我するところだったよ。それとも何? ファンサービス?」
「……馬鹿言ってんじゃありません」
「それだけ言えりゃ平気。……終盤はスピードが落ちてたけど、少しは動きが良くなってたよ」
富士山でいえば、前が三合目なら今回は四合目って感じと言ってくれた。
キス&クライに座ると、モニターに自分の演技が映し出された。まだ汗が全然引かない。
「認定……は」
「されていると思う」
ループを決めた時の映像が再生された。直後、リアルに歓声が起こる。飛び上がり、回転、着氷姿勢。自分から見ても、ジャンプそのものに問題はなかった。きちんと決められた安堵と、喜びとで、表情筋が緩みそうになる。
これを決められたのはかなり自信にはなった。
得点が表示されーージェイミーを抜かしてトップに立つ。得点そのものも不満はない。演技通りであろうという技術点とPCS。
「一歩前進だね。まだまだ頂上までは遠いけど」
「そうじゃないと困ります」
先生と拳を握る。遠いということは、表現の天井はここで止まりじゃないということだ。シーズンは始まったばかり。ここで最高だったら、落ちるだけだから。
最終滑走は、中国の若き四回転王、チャン・ロン。
曲は、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」。
3年前、現在の日本のエース・神原出雲がソチ五輪で金メダルを獲った曲で、今シーズンの勝負に挑む。
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