11.若い王妃とガラスの靴【2016年スケートアメリカ その④】③

 私の演技は終盤に差し掛かった。

 全てのジャンプを決め、現在は終盤のコレオシークエンスの途中なのだが。


 やばい。最初のトリプルアクセルと三回転ルッツ+三回転トウのコンビネーションを決められたら、ちょっと楽しくなってきた。単独の三回転フリップとダブルアクセルがステップアウトしたけど、それも身体が動ける故にできてしまったミスだ。よく動ける。よく滑れる。


 ーー動ける現実が楽しすぎて、歯止めが効かない。練習してきた表現や、こう滑りたいと思ったアラビアの色彩が全然描けていない。最後のフライングキャメルスピン。エントランスで高く飛びすぎて、若干音とズレた。スムーズにフリーレッグをつかんでドーナツスピンを高速で回る。やばい、早く回りすぎている。何回回った? 15回? それとも20回以上? 回転数が分からなくなるほど回って、音楽の終わりと一緒にスピンを解く。

 最初のトリプルアクセルとコンビネーションジャンプが効いたのか、それなりに拍手と花をいただけた。いただけたのだが。


「悪くはなかったですよ。ですが」

「……うん。なんか……勢いつけすぎた……」


 演技を終えてリンクサイドに戻る。要素要素は悪くなかった。でも、よく動けすぎて、振り返るとメリハリのない演技になってしまったように思う。前のめりで客観性がない。多分これは、つまんなすぎてシャリアール王に殺される演技だ。


「わかっているならいいです。まぁ、多少練習の効果は動きにも出ていましたよ。それに本番で息切れしなくなったのが大きいですね」


 今回は本番でそれが証明出来ただけでも収穫だろうか。モニターにコレオシークエンスが映し出される。うん……可もなく、不可もなく。

 得点が表示されるまで時間はかからなかった。ーー128.03。


「まぁ、予想通りの点ですかね」


 わかっている。表彰台が確定されたのは嬉しい。だけど、演技そのものやPCSが全部7点台の前半なのに、悔しさが残る。

 ショート2位。フリーは現在3位。


 最終滑走は安川杏奈。

 曲は、ヨハン=シュトラウスⅡ世作曲。オペレッタ「こうもり」。

 紫色のドレス調の衣装で現れる。そしてーー


 *


 ……表彰式が終わり、杏奈と二人で廊下を歩いていた。お互いに健闘し合う。次は、アイスダンスのフリーダンスを挟んで、男子フリーだ。


 ーーショート同様、フリーも杏奈は完璧だった。友人としても素直に嬉しいが、実力的に杏奈に近付いたと思ったら少し遠くなってしまった気がして、やるせない。ブロンズのメダルが重い。杏奈が下げたゴールドの方が重いのだろうけど。


「あ」

 ……なんでこんな時に会ってしまうのか。だが、目を合わせてしまった以上、無視するわけにもいかない。


「どうもジョアンナ。フリーは素晴らしい演技だったわね」


 先に声をかけたのは、杏奈だった。


「それほどではないわ、ミス・ヤスカワ。優勝おめでとう」

「今回の大会が私のためにあった、ていうだけよ。でも、ありがとう」

「ミス・ホシザキも」


 いきなり私に振ってきた。三位おめでとう、と。

 おめでとう、と言われても全然勝った気がしない。ショートのアドバンテージは僅かに士か残らず、私のフリーは彼女に負けたのだから。それでも突っぱねるのも変なものなので、ありがとうと小さく返した。

 不意に、ジョアンナが私に近づいてくる。桃色珊瑚の唇が、私の耳元に落ちる。そして。


「ーーえ」


 ハープが零れるような声に、肩が寒気を覚えた。

 輝かしいディズニー・プリンセスの顔が、私の耳から離れる。含みも何もない綺麗な笑顔で、またねと言わんばかりに踵を返した。


「雅。今、ジョアンナになんて言われたの?」

「いや……。なんでもない。スケートには関係ないことだったし」


 それでも肩のあたりに感じた寒気は消えてくれない。


「本当に?」

「うん」

「……ならいいけど」

「着替えて、男子のフリー見よう」


 その前に公式記者会見が待っている。昨日みたいなことにならないのを祈ろう。


 ……今のジョアンナの言葉は多分、スケートには関係ないはずだ。別に特段気にすることではない。引っ掛かりを感じてはいけない。

 ーーガラスの靴が履けるのは私だけ、なんて言葉、早く忘れなくてはならないのだ。

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