11.若い王妃とガラスの靴【2016年スケートアメリカ その④】②

第2グループが始まり、スケートアメリカの女子フリーは大詰めに来ていた。


 バックステージでウォーミングアップをすると、3番滑走のジョアンナのフリーの曲が聞こえてきた。灰被りの女の子が妖精の力を借りてプリンセスになり、舞踏会で王子と踊る。滑っている姿は見えないけれど、時折歓声が聞こえてくる。リリー・ジェームズが主演したこの映画は、私も杏奈と見に行った。地元の声援は物凄い。

 演技時間が近づいて、私は4番滑走のカテリーナ・リンツと入れ替わりでリンクインする。カテリーナは少し浮かない顔をしていた。思うような出来ではなかったのかもしれない。

 電光掲示板には、現在の順位と得点。総合1位はジェシカだが。


「これは……」


 彼女の点を見て、地元加点、という単語が頭に浮かんだ。昨日アドバイスをしたという堤先生は、一体彼女にどんな魔法をかけたのだろうか。

 ジョアンナ・クローン。フリースケーティング、137.80。現時点で、フリー1位。総合成績、現時点で第2位。……135点以上なんて、私は出したことがない。地元の歓声に、この得点。ベテランといえど、この空気の中ではカテリーナもさぞやりにくかったことだろう。


「落ち着きなさい。他人の点数なんて気にしてもどうにもなりません」


 浮かない顔で氷上でアップしていた私に、父が真っ当な言葉を投げかける。


「調子は良いのですから。あなたはあなたの、やるべきことをやるだけです」


 ぐっと拳を握る。カテリーナの得点が表示される気配がする。……イタリアのカテリーナ・リンツ、現時点で5位。

 目を瞑り、長く息を吐き出す。落ち着け。落ち着け。これは個人競技だ。


「行ってきなさい」


 力強く送り出される。ーー大丈夫。緊張はしているけど、調子は悪くないんだから。

 定位置につき、ヴァイオリンのレガートを聞いて動き出す。


 曲はニコライ=リムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」。

 シェヘラザードが語るアラビアン・ナイトの物語を演じる。


 *


 シェヘラザード。ササン朝ペルシャの王、シャリアール王の王妃。ササン朝ペルシャは実在の王朝だが、シャリアール王もシェヘラザードも架空の人物だ。


 シャリアール王の一番初めの妻は不貞を働き、その怒りから妻と不貞の相手の首を跳ねて殺害する。シャリアール王はその後女性不信に陥り、街中の生娘を宮殿に呼び寄せては一晩共に過ごしては翌朝には処刑をし……を繰り返していた。


 側近の大臣が困り果てていた時、大臣の娘のシェヘラザードは王の愚行をやめさせるために結婚を志願する。

 シェヘラザードは毎晩命がけでシャリアール王に物語を語る。物語が面白くなるところで、続きはまた明日と言って話を打ち切る。

 シャリアール王は話を望んで、シェヘラザードを生かし続ける。シェヘラザードが千と一夜の物語が語り終えるころ、二人の間には子供ができていた。王はこのことを喜び、シェヘラザードを殺さずに王妃にすることを約束する。


 リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」の概要はこんな感じだ。つまりシェヘラザードは、したたかで、面白い物語を語れる頭の回転が早い早熟な女の子なのだ。


 正直私には、王の蛮行をやめさせるために王妃に志願したシェヘラザードの気持ちなんて全然わからない。まぁ、国際ジャッジに「したたかになれ」と言われるぐらいには。だから、シェヘラザードが語った物語を滑ることにした。


 アラビアン・ナイトには面白い物語がたくさんある。セクシーな話もたくさんあるけど。彼女が語った物語を滑ることは、彼女を滑ることに符号で繋がる。こう思うと、結構滑りやすくなった。


 でも、思う時がある。

 シェヘラザードは王の蛮行をやめさせるために、物語を語った。それは千と夜で足りたのだ。


 スケーターが理想の演技を目指す時、果たして千と一夜なんかじゃ全然足りない、と。

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