3.7月、キャッスル・オン・アイス【前編】①


『そんな経緯があったんだ。新潟に行ったらいきなり雅がヴォルコフと仲良くしていたから、何事かと思ったわよ』

「正直、私もびびったよ。まさか横浜駅のど真ん中で会うとは思わないじゃない!」

『でも、話してみるとそうなっちゃったのも何か納得できたわ』

「でしょ!? 期間中、ずっと私の後をぺたぺたとくっついていたし」

『刷り込みってやつじゃない? まぁ、ヴォルコフは生まれたての赤ちゃんじゃないけど、初めてできた友達ってのが嬉しくて、『この人と一緒にいよう!』って思って、距離がわからないのかもね』


 時計の針は8時を指している。明日に備えて、練習を早くに切り上げ、ご飯を食べて風呂前の休息の時間だ。学校の課題も広げつつ、パソコンを立ち上げて名古屋にいる杏奈とスカイプ中だ。パソコンは父から前使っていたものを譲り受けた。世代がちょっとだけ古いけど、ネットをする程度には申し分ない。


 カレンダーは7月の半ばを過ぎ、学校は夏休みに入っている。課題はそこそこ出ているとか、休みの日にクラスの子と映画に行ったとか、そんな話からやはりスケートの話になり、ルーティカの話になった。


「それで滑り出したらねぇ…」

『うん、すごかったわね。そう言うしかない』


 アイスショーでは人間離れした演技を見せるけれど、素顔のルーティカはものすごく世間知らずでものすごく幼かった。そのギャップにちょっとついていけないような、それもルーティカだなぁと思うときもあれば。


「時々、妙に鋭いんだよなぁ」


 人の心をつくような言葉を、無自覚のうちに吐き出す。


『鋭い? そういえば雅、新潟にいる時もちょっと複雑そうな顔をヴォルコフにしていた時があったわね。基本的には仲がいいんだけど』


 杏奈も鋭い。気づかれていたのか。私がわかりやすいだけなのか。

「実は・・・」

 隠し事はしたくないので、私はコスモワールドの観覧車で言われたこと、自分が思ったことをそのまま杏奈に伝えた。なるべく悲観的にならないように。


『確かに、嬉しいけどそれはちょっと複雑ね』

「分かってくれる?」


 画面の中で、杏奈が無言で頷く。


『それに、雅の滑りは女の子の滑りじゃないって言われているみたいで、私も心外だわ』


 横浜駅で遭遇して、私とルーティカは友人になり、ルーティカの一面を知ることで、私は彼のことが友人として好きだな、とごく自然と思った。あの言葉だって、ルーティカの口から自然と出た最大級の賛辞だという事ぐらい理解できる。

 ただ・・・。それとこれとは別なのだ。


 私の滑りは女子シングルではないのだろうか。


『なんだかんだで私たちのいる女子シングルって、保守的でしょ? 女子だから優雅な滑り、女子だから清楚な滑り、女性らしい滑り、綺麗で大人な演技っていうのを無自覚的に求めているところもあるように感じる時があるわ。そう滑るのが正しい、みたいにさ。でもさ、雅』

「うん?」

『今まで女子らしく、とか、優雅に、とか、そのあたりを意識して滑った事ある?』

「……うーん、あんまりないかな」


『火の鳥』の時は「無理して大人っぽく滑らないで」と堤先生に言われた。去年の『韃靼人の踊り』やショーでアリエッティを滑った時もそうだ。腕の動きや指先は綺麗に見せても、女子らしさを特に意識したことはない。


 ――綺麗に見せることと優雅に滑ることはイコールで結べない、と言ったのは堤先生だ。


『もし女子らしさっていうのが一番に反映されるのだったら、演技構成点て出づらくなっちゃうよね。でも、雅の演技構成点って、結構出てるよね。スケートは綺麗だし、つなぎもあんまり無理している風がないし』

「そこは修羅の総一郎仕込みだから」


 父親のことを修羅と呼ぶとは何事か、と別の父を持っていたら言われそうだが、私の父は星崎総一郎だ。「鬼になるよ?」と最初に言われた言葉は全く的が外れていなく、練習が厳しくて「鬼! 悪魔!」と言っても「だから言ったでしょう。わめいていても何も変わりません。さっさとやりなさい」と氷上に戻される。


 ……言われるまで思い至らなかったけど、去年の演技構成点は、杏奈と縮んできていたのだ。ジュニア1年目はかなり離れていたのに。


『でしょ? 品があって私もものすごく参考になる時あるもの。だからきっと、そのまま技術を伸ばしていって、雅が「優雅に滑りたい」と思った時にそうなればいいんじゃないかしら。その時が、そう滑る時なんだから。無理して、優雅に、とか考えたら、雅の滑りじゃなくなっちゃうわよ』

「そうかなぁ」


 杏奈が、本気でルーティカの発言に違和感を抱いているのも、心の底から私を励ましてくれているのもわかる。そして杏奈が言ってくれたのは、「自分が思う私の滑りの魅力」ではなく、「客観視された私の滑りの長所」なのだ。

 その長所がしかるべき評価を与えてくれているならば・・・。


「うん・・・。そうかもね、ありがと杏奈」


 あまり思い悩む必要も、なかったのかもしれない。

 話してよかった。何となく、てっちゃんには話しづらいことだった。てっちゃんに話せないから杏奈に話した、っていう事じゃないけど、同じシングルでも女子と男子で違うからあまり理解は得られない気がした。

 男子シングルにその競技特有の悩みがあるように、女子シングルには女子シングルの悩みがあるのだ。


『どういたしましてー。ヴォルコフの事はともかく。明日名古屋に来るんでしょ?』


 この週末、私は関西の名阪テレビ主催のアイスショーに招待されていた。『キャッスル・オン・アイス』と称されたこのショーは、名古屋と大阪の二か所で開催される。国内のスケーターに加え、海外から何人かのスケーターも招待されていた。


「うん。てっちゃんも堤先生も一緒だよ」


 このアイスショーの名古屋・大阪両公演に、てっちゃんと堤先生も招待されているのだ。

 どうも私は、てっちゃんと堤先生とセットでショーに呼ばれることが多い。星崎雅は星崎総一郎の娘で、星崎総一郎は現役時代の堤昌親の指導者であり、現役を終えた堤昌親は鮎川哲也の師匠になった・・・という関係性からだろうか。しかし、父も母もほかの生徒をほっとくわけにもいかないし、見知った大人の堤先生がいてくれるのはありがたいのだ。


「てっちゃんも新しいエキシ滑るみたいだし、堤先生も新プロ用意しているみたいだよ」

『堤先生の新プロ? それは楽しみね』

「ほんとにね」

『ま、なんにせよ。今はとにかく楽しみましょ。じゃあ、お休み。また明日』


 そうしてスカイプが切れた。

 暗くなったパソコンの横に、半透明のクラゲのストラップがある。てっちゃんからもらったものだ。デトロイトに2週間滞在していた時、息抜きで水族館に行ったらしい。その時のお土産だ。


 私はおさらいに、今回のアイスショーのメンバーを確認する。里村理沙。紀ノ川彗。堤昌親。鮎川哲也。安川杏奈。星崎雅。

 海外からはエレーナ・マカロワ。アレクサンドル・グリンカ。ジェイミー・アーランドソン。チャン・ロン。キリル・ニキーチン。ステイシー・マクレア。マリーアンヌ・ディデュエール。アイスダンスのエリュシカ・クローデル&カミーユ・ラインハルト組。ペアのメリッサ・ミリガン&スコット・ズベレフ組。


 それから……ジョアンナ・クローン。


 水族館に、てっちゃんが一人で行ったとは考えにくい。だけど堤先生は行っていないと言っていた。

 彼女、なのだろうか。やたらと親しそうに話していた姿が目に浮かぶ。

 いや、別にいいんだけど……どうも苦手なんだよな。滑りというよりも、人そのものが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る