2.デトロイト恋物語 ⑤

 水族館の後は、イオンモールを倍にしたかのような大きさのショッピングモールに行った。フードコートの中で適当に昼飯を食べ、モール内の中をぶらついた。彼女によると、デトロイトの街は治安が良くないので、往来を歩き回るよりも建物の中の方が断然安全だそうだ。このモールはよく友人とも来るらしい。あそこに何があって、ここに何があってと教えてくれた。


 ……モール内でジョアンナの学友と遭遇し、朝ダイアナさんがしたような誤解を受け、また「恋人のように振舞う」という彼女の「お願い」上、否定もできずに冷や汗をかいてしまったのもハイライトシーンだ。


 賑わう商業施設。手を繋いだまま隣を歩く少女。水族館がデートスポットの理由がはっきりと分かった。魚を見ていれば話をしなくても間が持つ。無理に人に合わせなくていい。水族館は、そんな利点がある場所だ。


 退屈をしているわけではない。気まずいわけでもない。「手を繋ぐと恋人のように見える」というジョアンナの談は間違ってはいない。ジョアンナは友達だし、俺は友人としての好意を持ってはいる。話すのは苦ではない。だが。


 ……息を吐き出す。慣れないことに対する疲れは禁じえなかった。

 ジョアンナは今、この場にはいない。手洗いと一緒にちょっと買ってくるものがあるようで、別行動をしている。深く息を吐いているところなんて、少なくとも今日だけは彼女の目の前では出来ない。ずっと楽しそうにしている分、猶更。


 簡単にメッセージを送って、座っていたベンチから立ち上がる。土地勘はないが、モール内の同じ階にいれば大丈夫だろう。少し一人で歩きたかった。ジャケットを脱いで数歩進んでみると、肩の力が一気に抜けた。改めて見回ると、やはり女性向けのファッション売り場やアクセサリーショップが多い。


 過剰にディスプレイを飾り立てる合間を縫って、その店はあった。


 雑貨屋だった。本があって、雑貨があって、アクセサリーがあって、CDがある。置いているものはヴィレッジヴァンガードに近い。だが、ヴィレッジヴァンガードの宝箱をひっくり返したかのようなノリのいい愉快さではなく、綺麗に並べられた宝石箱のような落ち着きを持っていた。過剰な商業性ではなく、「入りたければどうぞ」という心地よい傲慢さも。吸い寄せられるように入ってみると、レジにいる日系の女性が少しだけ笑った。


 装丁に凝ったSF小説があると思えば、ゾンビの置物がある。一粒パールのピアスがあると思えば、羊の毛で作られたもこもこの帽子ある。一貫性がないけれど、置いてあるものは全て質が良い。


 こういう店は雅が好きそうだ。横浜の赤レンガ倉庫にも似たような店があるらしいし、教えたら喜ぶかもしれない。もっとも、デトロイトのショッピングモールに来るようなことがあれば、の話でもあるが。


 雅と言えば、件の写真の後は「横浜で拾ったから友達になった。詳しくはおいおい」としか送られてこなかった。どこの世界でトップスケーターを拾うなんてことが起こるんだ。聞きたいことは色々あるが、そのうち雅が話してくれるだろう。


 一つ一つ丁寧に並べられた商品を眺めていく。すると、妙に親近感のあるものに出会った。


 スケート靴のペンダントだった。銀盤にふさわしい銀色のチェーンとスケート靴のペンダントトップ。スケート靴と一緒に、星のチャームも付いていた。星のチャームはダイヤっぽい何かがはめられていて、揺れるときらきら光る。

 ……疲労からだろう。スケート靴のペンダントを手に取ってみる。案外軽い。案外安い。そして、その軽さと安さが疲労から麻痺した感覚器官を動かしていた。


 店を出て元の場所に戻ると、俺が座っていたところにジョアンナが座っていた。お帰り、何か面白いものあった? と聞いてくる。目を引くものならあったけれど、特にはないかな、と答える。


 スターバックスでコーヒーを飲み、モールを出て駅に着くころには茜色の空が広がっていた。集合がリンクなら、解散は駅だ。


「今日はありがとう。とても楽しかった」

「プログラムの勉強にはなった?」

 勿論、とジョアンナは答えた。


「今年はシニア2年目だから。ジャンプだけじゃなくて、もっと表現を磨かなきゃ。周りのスケーターはもっと凄くなっているからね。それに……とてもドキドキしたわ。帰るのが名残惜しいもの」


 それはよかった。俺は特別何もしていないが、いるだけでも効果はあったらしい。


 しかし彼女はこれでいいのだろうか。俺を代わりにするのではなく、彼女が好きだという本人に直接アクションした方がよかったのではなかろうか。恥ずかしいから今はできないのか。振られるのが怖いからできないのか。代わりの人間だったら、想像で好きな人にすり替えられるから楽しそうにもできるのか。

 女性の心はよくわからない、と思っていたら駅前のロータリーにバスが入ってくる。番号を確認すると、ジョアンナがいつも乗っているバスだった。

 俺の顔に何かついているだろうか。じっとジョアンナがこちらを見つめてくる。夕日の傾斜がだんだんと下がってくる。下がって、逆光になって、友人のフィギュアスケーターの顔を隠す。



 それが触れたのは本当に一瞬だった。



 ジョアンナの顔がそこから離れた。黄金の髪。深海の瞳。白い肌の、輝かしいディズニープリンセスの顔が間近にある。意識したのはなぜか、ボディーバッグの中にある、スケート靴のペンダント。

・・流石に戸惑う。今彼女、俺に何をした?


「これはただのお礼。だから、気にしないで。また一緒にどこかに行きましょ」


 俺が何か反応するよりも早く、ジョアンナは笑って踵を返す。朝と同じように軽快な足取りで、バスに乗り込んでいった。

 ジョアンナを乗せたバスが発車し、ロータリーを回って見えなくなるまで立ち尽くしていた。


「びっくりした……」


 本日二度目の間抜けな自分の声。欧米人のお礼って大胆だ。

 ……いや、それとも。


 頭に浮かんだ考えを速攻で打ち消した。彼女の好意は一周回って俺に向いている。そんな筈はない。





 その後いつものように地下鉄に乗り、寄り道もせずにウィークリーマンションに戻った。長い一日だった。今日は、夕飯を食べたら何も考えずに空でも眺めたい。そうすれば少しはリセット出来る気がする。そんな思いで玄関を開けた。


「ただい」

「やっと帰ってきた!」

 最後の「ま」は同居人によってかき消された。


「テツ! 新しいプログラムを作るから、今からリンクに行くよ! リチャードに話をつけてリンクを使わせてもらうから!」


 その同居人である堤昌親は、玄関入ったところで仁王立ちして立ちふさがっていた。見れば、横には練習用のスーツケースが置いてある。今からリンクに行く。今から……て。

 この人、何言っているんだ? 今何時だと? 


「……今からですか?」

「そう、今から! 今すぐに行きたい!」

「今から、誰の、なんのプログラムを作るんですか?」

「誰のかは決めてない!」


 この人、一体何を言っているんだ? 誰のか決めてないのにプログラムだけ作るのって、おかしくないのか?


「しいて言えば、滑ってほしーなーという人はいる。でもその人が滑ってくれるとは限らない。しかし! しかし俺は今すぐに、頭の中に出来上がったプログラムを作ってしまいたい! 君がいない間編曲もできたし。だからテツ、いつものようにアシスタントよろしく!」


 堤先生が自分用のプログラムを作る時、俺は音楽をかけたり撮影したりと手伝いをするときがある。見せ方やどういう風に表現したらいいのかの勉強になるのだ。

 だが、今日今からというと、スケートとは別の疲労が体を支配していたからか、あまり気が乗らない。

 先生は氷の上の住人だ。指導者でプロスケーターで、たまに振付師になる。氷の上の創作者としての性が駆り立てられる時がたまにあり、こうなったら止められない。


 止められないと知っていても、聞かずにはいられなかった。


「明日じゃダメですか・・・?」


「何言ってんの創作は水物なんだよ! 頭の中で案が浮かんだ瞬間にリンクに行かなきゃ! そして頭から離れないうちに作らなきゃ! ケッサクが生まれる瞬間をみすみす逃してなんていらんないよ! っていうのもさ、俺さっきめっちゃくちゃおもしれー映画見てさ! リチャードから借りてね、ヒーローものなんだけどヒロインの女の子がめっちゃ強くてガンアクションもやるし登場人物の誰よりも悪人を虐殺してキメる時も放送禁止用語のオンパレードでさ! ああああもうなんで俺、これを今まで見逃していたんだろう!」

「待ってください! ちょ、待てって言ってんだろ! 服を引っ張るな!」

 カタパルト並みの勢いで堤先生が俺を引っ張っていく。


 そういうわけで、これから俺はスケートリンクに行くらしい。

 長い一日はまだ終わってはくれなかった。

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