この館の誰もが

 サラファスに連れられて初めて執務室へ入り、その姿を間近に見て、ログナーは当主に抱いていた印象が間違っていなかったことを知った。姉弟と同じ濃い金色の髪は確かに血の繋がりを感じさせるが、それ以上にひげが口元の微妙な動きを覆い隠すようで近寄りがたい。

「お前からわしに話があるとは珍しいな、サラファス。何の用だ?」

 重々しい調子の声に、隣のサラファスが体をこわらせるのが分かった。実の息子ですら緊張するとは。

「一昨日、使用人が倒れたことに端を発する毒殺疑惑に関しまして、私の方でも護衛に命じて調査をさせて参りました。たびはその成果について、せんえつながらこちらのログナーより申し上げさせていただきたく」

「ログナー……サラファス付きの護衛の長か。よろしい、申してみよ」

 当主の視線がログナーに向く。鋭い眼はやはり姉弟と同じ青色で、しかし年齢のためか色味が鈍い。ログナーは硬い所作で一礼し進み出ると、事前にサラファスと話した通りに経緯を語る。

 紅玉果の糖蜜漬けに毒のある青い実が混ざっていたこと、メルリーゼは気づかずそれを使っただけであること――当主は身じろぎ一つせずに報告を聞いていた。女使用人が菓子を取り違え食べてしまったことまで話し終わっても、声一つ上げない。ログナーには初めから報告が取りあわれていないように思えた。それでも努めて冷静を装って下がる。

 代わりにサラファスが前に出た。

「恐れ入ります、父上。元はと言えばこの事件は私のせいなのです!」

 後ろに控えていたログナーは弾かれるように顔を上げる。サラファスは折に触れて「私のせいだ」と言っていたが、当主の徹底的にすぎる調査を止められなかったことを悔やんでいるのだと思っていた。

「なぜならば、姉上があの菓子を作られたのは、他ならぬ私が、姉上にそれを食べてみたいとお願いしたからなのです」

 ――間違っていた。ログナーの脳裏に引っかかっていた物事が組み合わさっていく。視察から帰ったサラファスに会いに来たとき、メルリーゼは頼まれた菓子を渡そうとしていたのだ。そしてサラファスは、使用人が倒れる原因になった菓子が姉に頼んだ物だと知って、彼女を守るためログナーに事情を調べるよう頼んだ。

 しかし、そうだとすればなぜ初めからそう言わなかったのだろう?

 ログナーは最後に残った疑問に眉をひそめる。その視線の先、彼の主に向けて、フィアダーマの当主が口を開いた。

「お前がメルリーゼにねだったから、やつは密かに菓子を作ったのだな」

 ええ、とサラファスは頷いた。続いて当主はログナーにも問う。

「そして、その材料である紅玉果の蜜漬けが、夏の寒さと使用人の不注意により毒を帯び、メルリーゼは気づかずその蜜漬けを使ったと」

 はい、と、ほとんど反射的にログナーもしゅこうする。

 当主は腕を組んで低く唸った。息子とその護衛を代わる代わる見比べて、またしばらく考えこんだのち、ようやく一言。

「うむ。……なら良いか」

 拍子抜けするほど軽い調子。サラファスが喜びをあらわにし、ログナーは呆気にとられた。そんな主従を後目に、当主は人を呼んで命じる。

「まず、不注意をした使用人はすでにこの屋敷におらんから責は問えん。不注意を看過した者たちには適当に注意。料理長の謹慎は解き、メルリーゼの部屋に詰めている者共は即刻引き上げさせよ。あの者共、メルリーゼを案じるあまりに暴走しおって」

 当主は指示を遂行するべく散っていった使用人たちを見送り、ゆっくりとサラファスに近づいていくと、当たり前のように彼を抱き寄せた。

「もっとも、それは儂も同じだな。お前たちを脅かす者がいるかもしれないとあっては絶対に許してはおけん。父親とはそういうものだ。――本当に、何事も無いようで良かった」

「父上、お止めください! ログナーが見ております!」

 サラファスが声を上げた。何をする、ではなく止めろ、という辺りが複雑だ。しかし当主はそのままの姿勢で、急に真剣な声音を作る。

「ただし、サラファスよ。お前からはメルリーゼに儂が言うことを伝えよ」

 そう囁いてからサラファスを離した。勝手に調理場を使ったことについてだろうか。料理長が庇おうとしたくらいだ、激怒するのかもしれない。

「以後、調理場は料理長に許可を得た上でなら使って良い。ただし作った物は儂にも渡すこと。あの料理長の作る物は甘すぎて飽きてしまったが、彼の地の菓子はそうでもないと聞くのでな」

 フィアダーマの当主は髭があっても分かるくらいの笑みを浮かべた。きっと菓子がルイミーユ風であることなど関係なく、娘の手作りであることが大事なのだろう。ログナーはこの緩みきった表情に心当たりがある。彼の兄、つまりミロンの父だ。息子を他人の見習いにしたくなかった途方もない親馬鹿。当主と兄を重ねるなど主と甥を重ねるよりなお不敬だが、今のログナーにはそのようにしか見えなかった。

「はい、しかとお伝えいたします、父上!」

 そんな父にもサラファスは満面の笑みと共に頷く。ログナーは彼に従って退出し、部屋の外で待たせたミロンを連れて、メルリーゼに会いに行く。

「――ログナー。お前は一昨夜、私のことを叱った覚えは無いと言ったな」

 その途中の廊下で、ふとサラファスはそんなことを言う。

「ええ、申し上げました」

 そう返すと、サラファスは柔らかく苦笑する。

「今思えば、私が叱られたと思ったお前の言葉――そんなに菓子ばかり食べていては、父上のようになれない――というのは、ただの冗談だったのだろう。だが幼い私はその言葉を真に受け、いつしか、私が菓子を口にすればお前が失望するとまで思いこんでいた。だから私はお前に、姉上にお菓子を頼んだことを秘密にしていたんだ。姉上にもこのことをお前に明かさないように頼み、私たちはこの秘密を守ると約束した」

 予想もしなかった告白だ。ログナーは思わず足を止める。当主への説得の最中に生じ、最後まで残った疑問の答えは、幼かったサラファスの些細な勘違いから始まっていたというのか。

 サラファスも立ち止まり、申し訳なさそうに目を伏せた。

「そのせいで、例のお菓子で使用人が倒れたとき、私は、元が私のせいだと知りながら説明もせず、姉上に疑いがかかることを止められないかとお前に頼んでしまったんだ。父上の説得にどうしても必要になるまで、秘密を秘密のままにしてしまった。謝って済むことではないが……すまなかった」

 ログナーは俯くサラファスを見つめ、それから背後のミロンを振り返る。ぽかんと口を開けて驚いていた彼は、ログナーの視線に気づくと、どうするんですか、とでも問うような視線を返してくる。ログナーはまたサラファスに向き直って、ごく冷静な声音でこう言った。

「心外でございます、サラファス様」

 驚きに目を見開く主に、彼は構わず先を続ける。

「ええ、私がその程度のことで貴方に失望するとお思いなのでしたら、誠に心外でございます。――よろしいですか、サラファス様。貴方という、聡明でお優しく、私などに目をかけてくださるような主に、護衛としてお側近くお仕えできることは、私にとって望外の幸運なのですよ」

 語りかける途中でまた少しミロンを振り返った。彼はなにやらねたように頬など膨らませている。彼だってサラファスに目をかけられているのだ、いずれは立派な護衛になってくれると良いのだが。

「ログナー――」

 感激したように何か言おうとするサラファスを、ログナーは静かに片手で制す。その視線の先には、当主の命による軟禁を解かれたメルリーゼら主従がいた。

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フィアダーマの秘密 白沢悠 @yushrsw

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