第4話

 巡礼の旅路は、次第に険しさを増していった。

 最初のうちは、草も生えない荒れ地でこそあったが道は平坦で、「ほどこしのいおり」や水場は一日歩けばたどり着けた。しかしそれらに出くわす間隔は徐々に開くようになり、日を遮るもののない中を歩き通しても、夜は野営するしかないということも珍しくなかった。森などが見えれば一旦道を逸れて狩りや採集をしつつ、蛇行しながら上下する山道や、地図がなければ道とは思えないような岩場を越えていった。


 青騎士は、アーシュカがこの旅に耐えられるか心配していたが、それは杞憂であった。

 アーシュカは歩けば歩くほど、逞しく成長していった。青騎士が自分の食べる分を削ってアーシュカに与えたのも良かったのだろう。塔の階段を震える足で降りていたとは思えないほどの健脚に育ち、背も少し伸びた。白磁のようだった肌は日に焼けたものの雀斑そばかす一つ無く、引き締まった肉がついた。金色の髪は太陽と月の光を受けて輝き、通った鼻筋にふっくらとした小鼻、赤く艶やかな唇に意志の強さを宿していた。瑠璃色の瞳は白く濁っているものの、確かに明日を見ている。

 しばらくは青騎士の腕に掴まって歩いていたアーシュカだったが、そのうちに一人で歩けるようにもなった。巡礼の杖で前を探りながら、青騎士の甲冑の立てる音や足音を追う。かなりの悪路でない限りはこの歩き方で進むことができたし、狩りの手伝いや荷を背負うこともできるようになった。

 青騎士には、このアーシュカが眩しかった。




 青騎士とアーシュカは、北の霊峰まであと少し、というところまで来ていた。 

 その夜、何日かぶりに「施しの庵」にたどり着いた二人は、焚いた火のそばで休んでいた。北上するほどに少しずつ気温は下がり、夜は肌寒さを感じるくらいだった。小さな焚火だったが、温かさが体をほぐしてくれる気がした。

 アーシュカは庵の長椅子に腰かけ、火に両手をかざしていた。火の周りの温かい空気はなんだか感触があるように思えて、指を曲げたり、てのひらを近づけたりする。その手を急に、青騎士が掴んだ。


「それ以上は火傷をしてしまいます」


 青騎士はいつの間にか、アーシュカの向かいから隣に来ていた。自分の手を離した青騎士の手を、今度はアーシュカが掴んだ。その硬い鎧を、腕から肩へ辿っていく。そうしてかぶとに突き当たる。


「嫌ならば断わってよい。お前の顔に、触れさせてはくれないか。冑ではなく」


 長い旅路だったが、青騎士がその甲冑を脱いだことは数えるほどしかなかった。水場で水浴びをするときも、交代で行ったのでその下を知る機会は無かった。アーシュカが眠ってしまった後に甲冑を手入れするような気配を感じたこともあったが、定かではない。

 青騎士はアーシュカの顔を見た。炎に照らされた顔はどこか憂いを帯びていて、深い影が整った顔立ちを浮き彫りにするようだった。


「殿下、あなたは美しい。神々が本当にあなたを呪ったとしたなら、その美しさに嫉妬したからでしょう」


 青騎士は冑に触れるアーシュカの手に自分の手を添え、やんわりと外させた。アーシュカは残念そうに眉を下げたが、青騎士は自らの手で、その冑を脱いだのだった。


「どうぞ。殿下がそれを望むのであれば」


 それを聞いたアーシュカは、おずおずと青騎士の顔に手を伸ばした。

 最初に触れたのは、側頭部の柔らかな髪。前髪は伸ばして後ろに流しているようで、丸い額が露わになっている。違和感を覚えたのは、左のこめかみだった。不自然に盛り上がった筋がある。その筋を辿っていくと、頬を覆うただれがあるようだった。膨れ、ひきつれ、顔の有様を歪めてしまっている。それは彼の顔の左側だけにあり、右側の肌はなめらかである。少し汗ばんだ肌はしっとりとして皺もなく、肉にも張りがある。自分のそれよりも骨の主張する頬、強く美しい角度のついた顎、少し伸びた髭がちくちくと掌を刺す。深く沈んだ眼窩から繋がる鼻梁は高く伸び、薄い唇に着地する。

 アーシュカはそうして青騎士の顔を一周した後、もう一度その左頬に触れた。


「私は、こういう男なのです、殿下」


 青騎士がアーシュカの手に自らの手を重ねて言う。


「少し、身の上話をしても?」

「……聞こう」


 青騎士は一つ深いため息をついて、話し始めた。


「私はここより遠く北の生まれで、その国では騎士こそが最も栄誉のある職でした。

 祖父の代から騎士の家に生まれた私は、当然のように騎士の道を目指しました。幸い私は剣の才を受け継いでいたようで、騎士団の試験にも合格し、私の未来は前途洋々に思っていました。

 一つ気がかりだったのは両親のことです。彼らは深く愛し合っていましたが、私の父はどうも、一人の愛では満足できないたちのようで。騎士としても名を揚げ、歳を重ねてもなお美丈夫びじょうふであった父は、色恋の噂の絶えない人でした。母は、一向に落ち着く気配がない父に恨み言を言うのが常でした。

 ……その夜、私は自室で休んでいました。私はまだ未熟な若者で、仲間と深酒をした後だったこともあり、夜更けに部屋に入ってくる者があっても眠り込んでしまっていました。

 突然、左頬に焼けるような痛みが走り、私は飛び起きました。無我夢中で寝台のそばに立てかけていた剣を取り、部屋の中を動く侵入者の影を突きました。

 痛みに耐えながら洋燈ランプに火をつけると、床に倒れて血を流しているのは、母でした。そのそばには、まだ熱で赤くなっている火掻き棒が転がっていました。何故、と問う私に、母は焦点の合わない目で『お前の、お前のその顔がいけないのよ』と言って、腹に刺さった私の剣を引き抜きました。それから『愛しているわ』と呟くと自らその剣で胸を貫き、息絶えたのです。

 私は、情けないことにしばらくへたり込んで動けませんでした。私は母の心が壊れてしまうのを見て見ぬふりしていました。私の顔は父にとてもよく似ていました。母が私の顔を見ながら私の名を呼ぶときの、声音がいつからか変わったのを思い出しました。いつの間にか私は、その場から逃げ出していました。

 親を捨て、家を捨て、国を捨て、自分を捨て、そうしてずっと逃げてきて、私は今ここにいます」


 そこまで話すと、青騎士は改めてアーシュカの前に跪いた。


「殿下、やはり私はあなたの供に相応しくありません。どの国の神であろうと、私のような者を許しはしないでしょう」


 アーシュカはしばし黙っていたが、やがて青騎士の頭を撫でるように触れた。


「いまさら何を言うか。私の供はもはやそなたしかおらぬ。そなたでなくてはならぬ。それにこの国の神々は、この国の民を愛でるのに夢中であろうからな」


 そう言うと、アーシュカは長椅子にごろりと横になって、青騎士に背を向けてしまった。それからこうも言った。


ゆるしが欲しいのなら、この呪いが解けた後に私がやろう。だから最後まで付き合え」

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