第3話
巡礼の道には、その目的によっていくつかの経路があるが、どれも都のある南から北の
アーシュカたちの行く道は、「黒の道」。呪われた者のための道で、最も険しく、最も使う者が少ない。それというのも、神々から呪われるということはその目に止まるということであり、そのような人間はごく限られるからである。
二人がその道の起点にたどり着いたのは、塔を出てから二日後のことであった。
普通ならばその日のうちに歩ける距離だが、アーシュカはまず、土の上を歩く感覚と体力を取り戻す必要があった。青騎士はアーシュカをその腕に掴まらせ、焦るアーシュカを宥めながら、少しずつ一度に歩く距離を延ばしていった。
「黒の道」の起点は、導きと炎の神の碑である。
青騎士はアーシュカの手を取って、石碑に触れさせた。アーシュカは砂埃を浴びた石に手を滑らせ、その文字の凹凸をしっかりと確かめると、両の膝を着き、地面に杖を倒して、腰に下げた短刀を静かにその手首に当てた。ぐっと力を入れると、赤い血が線となって浮かび、やがて雫が滴り落ちて土に染みをつくった。そしてアーシュカは地に伏してこのように祈った。
「アーシュカより
その祈りを見届けると、青騎士はアーシュカの体を起こし、血を流し続ける手首に水筒の水をかけた。それから布切れで傷口を手際よく巻いていく。
「そなた、医術の心得まであるのか」
「医術と呼べるほどのものではありません。兵に傷はつきもの。必要だから覚えただけです」
布の巻き終わりをぎゅっと縛り、青騎士はアーシュカの顔を見る。出血の量は大したことはないはずだが、やはりいくぶん顔が白い。新鮮な肉をたらふく食ってもらわなくては。
他の巡礼の道ならば宿場町や村のそばを通る。しかし「黒の道」にはそれがほとんどない。
碑を順に巡っていくと、時折そのそばに「
青騎士は、道中で木の実や薬草を見つけると採っておいたが、差し当たって欲しいのは肉であった。保存食は温存したい。この辺りに獣の巣でもあれば良いのだが。
しかし目の前の風景は、荒れ地といって差し支えない有様だった。獣が隠れるには不向きである。にも拘わらず少し前から、妙な気配を青騎士は感じていた。
とその時、掴まっていた青騎士が急に立ち止まったので、アーシュカはつんのめりそうになる。
「どうした」
「お静かに」
青騎士の珍しくこわばった声音に気づいたアーシュカは、硬い籠手を一層強く握った。青騎士はアーシュカの前に出て、剣を静かに鞘から抜いた。
ざり、と足で砂をにじり込むように岩場の陰から現れたのは、巡礼には似つかわしくない賊の姿であった。
「ここを張ってりゃ王子サマに会えると踏んだんだが、これまたずいぶん寂しいご一行だなァ」
賊は五人、得物は全員短刀。じりじりと距離を詰める賊に、青騎士が言う。
「神々の覚えめでたき巡礼の道で
「なァに、こっちだって力ずくは面倒だ。金だけ置いて行ってもらえばいいのさ。俺たちまで呪われても困るからな」
ヒヒヒ、と賊たちは下卑た笑い声をあげた。
青騎士は、アーシュカに掴まらせたまま姿勢を低くして彼をしゃがませると、小さく耳打ちした。
「少しの間おそばを離れますが、もう一度私が声をかけるまで、何があってもしゃがんだまま動かないで。音が恐ろしければ耳を塞いでいてください」
アーシュカは唇をきゅっと引き結んで、しっかりと頷いた。
青騎士はそれを確認すると、剣と背の荷を地面に降ろして、金を出すような素振りを見せる。賊の一人がにやけた顔で近づいてきた刹那、青騎士は剣の柄を蹴り上げて浮かせたのを手に構え、そのまま賊の腹を貫いた。ごぽり、と吐かれた血がアーシュカにかからないよう、力の抜けた賊の体を脇へ押しやるついでに剣を引き抜く。残りの四人が俄かに殺気立ち、一斉に躍りかかってきた。
一番距離の近い一人の側頭部を剣身で薙ぐ。その勢いで体を捻り二人目を避け、三人目の刃をはじく。四人目が血走った目で突進してくるのをひらりとかわして背中から肺を一突き。あと二人。
恐怖か混乱からか、めちゃくちゃに短刀を振り回す一人の腹を落ち着いて切り払うと、最後の一人は腰を抜かしてぷるぷる震えている。
「く、来るなぁっ!」
青騎士はそれには答えず、手刀で賊の短刀を落とし、その喉元に剣を突き付けた。
「ねぐらは近いのか?」
「あ、ああ」
「肉はあるか?」
「へ? た、たたたぶん」
「案内しろ」
青騎士は剣先を賊の生き残りから動かさないまま、耳を塞いでしゃがみこんでいたアーシュカの肩にそっと触れた。その肩が震えている。
「終わりました、殿下」
「けがは、けがはないか」
「はい」
「嘘ではないな」
「はい。ただ一つ心配なのですが」
「なんだ」
「巡礼の道で人を
アーシュカはしばし沈黙した。それから安堵したように、呆れたように大きく息を吐いた。
「掟には無いしかまわんだろう。そなたの剣さばき、この目で見てみたかったものだ」
「呪いが解けた暁にはいつでも」
それから二人は、賊のねぐらから奪った肉で腹を満たしたのだった。
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