第2話

「先が、おもい、やられると、思って、いるのだろう」

「いいえ」


 アーシュカは青騎士の籠手こてに掴まりながら、ゆっくりと階段を降りているところだった。まだ塔の外にも出ていない。

 二年以上も塔に閉じ込められ、祈ることしかしてこなかった人間が、いきなり長距離を歩けるはずもなかった。食事も満足に与えられていないらしいし、大きな段差にも慣れていない。


「殿下」

「なんだ」

「塔を出たら、まず朝食にいたしましょう。巡礼に食べ物のおきてはなかったはずですね」

「ない」


 青騎士とアーシュカがそれぞれ事前に聞いた巡礼の掟は、いたって単純であった。


一つ、自分の足で歩き、北の霊峰れいほうまで行くこと

一つ、神々の碑に祈りを捧げながら巡礼の道を辿ること

一つ、自らの血を捧げ、祈ること


 この三つである。

 青騎士は、アーシュカが巡礼を全うするためには、まず体を健康な十五の少年に近づけることが必要だと思った。時間はいくらでもあるのだ。焦ることはない。


 やっとのことで塔を降りきると、既に日は昇り、青々とした空が広がっていた。塔があまりに暗かったため、青騎士はかぶとの下でも眩しさを感じて思わず目を細めた。

 青騎士には、塔から少し離れたところに、祈るような格好をした見張りの兵がいるのが見えた。アーシュカたちの無事を祈るというよりは、穢れが自分たちに及ばないように祈っているのだろう。


「さぁ、外に出ましたよ、殿下。まだ歩けますか?」

「歩ける」


 アーシュカの息は荒く、膝は揺れているが、顔はいくぶん晴れやかに見えた。たとえ険しい巡礼の旅でも、塔の中にいるよりはよほどに違いない。




 塔から少し離れた森の木陰で、二人は朝食をとることにした。

 アーシュカに与えられていたのは巡礼の衣と杖だけだったが、青騎士は地図の他に、従者としての報酬と路銀を国から与えられており、ある程度は保存食などの準備を整えていた。

 アーシュカには、豆と肉を潰していぶしたものを黒パンに挟んで渡し、自分は干し肉をかじった。


「あまり旨くはありませんが、我慢してください」

「私が塔で食していたパンよりは柔らかいぞ」


 青騎士が思っていたよりもずっと、第一王子の待遇はひどい。まるでアーシュカが死ぬのを待っていたかのようだ。この巡礼も、無理とわかって送り出しているのではないか。自分への報酬が多めなのは手切れ金のようなものだろうとは思っていたが。


「私は、今度こそ死ねるだろうか」


 突然、アーシュカが言った。


「何をおっしゃいます」

「わかっているのだ。呪われた王子を皆持て余している。光を奪われるような呪いを受けているのに、粗雑に扱われても生き延びてしまった。神々に呪われた私は、神々に見られている。だから殺されることも自ら死を選ぶことも許されない。だが世継ぎには第二王子がなるべきだ。巡礼はそのための死出の旅よ」


 青騎士は、しばし黙ってアーシュカを見ていた。太陽の光を受けたアーシュカの顔は、頬がけてはいるが洋燈ランプの灯りの下で見るよりも美しく、死を望む言葉を紡いだその口は、しっかりとパンを咀嚼している。この王子は、ただの死にたがりではないはずだと、青騎士は思った。


「この国の神々のことはよくわかりませんが、殿下の巡礼は呪いを解くためのもののはず。呪いさえなければ、殿下は宮殿へ戻れるのでしょう。ですから巡礼が終わるまでは、私が殿下を死なせはしません」


 アーシュカは青騎士の声のする方に体を向け、手を伸ばした。かぶとを探し当てるとそれを撫で回すように触れ、食事のために開けていた口元にたどり着き、露わになったその唇に触れた。


「青騎士よ」

「はい」

「そなたがこの国の生まれでないという噂は本当だったのだな」

「はい」

「ではもし、巡礼の果てにも呪いが解けなければ、私を殺してくれるか?」

「その時にも殿下がそれを望むのであれば」


 アーシュカはそのか細い指先で、青騎士の下唇をそっとなぞった。


「頼んだぞ」


 アーシュカはそう言うと、青騎士の隣に座り直し、またパンを一口齧った。


 

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