第13話 光秀さんがやっちゃったから、大変なんです
この当時、京都は
ほら、京都って、平安の昔、800年ほど前から首都だったけど、戦国時代には規模が小さくなってた。それね、度重なる戦乱のせいであって。
家が焼かれたり、まあ、散々な時代だったわけ。
明智光秀が本能寺を襲ったとき、まだ、京の庶民は、それほどの大事件が起きたとわかってなくて。
んで、そりゃ、私たちにとってはチャンスなわけ。
ナルハヤで岡崎城まで行きたかった。
現在地は丹波の山奥。おまけに、幼子連れ。
「このさいだ。京都を横断して行こう」と、オババ。
「オババ、そりゃ、まずい」と、私。
「いえ、京都に向かいましょう」と、普段は無口なテン。
なんか、テンの目がキラキラしてる。
この目、まさか、どさくさで夫の九兵衛に会おうって
いや、ダメだから。彼、本能寺の変でメインを張ってるから。斎藤利三とともに突っ込んだメンバーの、暴走族的にいえば、最初に「おりゃ〜〜!」って行く特攻のはずだから。
オババったら、もう余計な刺激してくれた。
今さら、私が反対しても。きっと悪者になる。そして、テンは怖い。
そうして、私たちは大阪方面、つまり、現在地から下に行かずに右に行った。
いや、なにも言うでない、皆のもの。方向音痴の私にまともな方角を書けるわけないから。
どっちにしろ、同じような山道で。
いっそ左に行ったら、もしかして、『中国大返し』絶賛遂行中の羽柴秀吉に会うかもしれない。
いや、それ、美味しいけど。
でも、今は歴女の欲望を出してるときじゃない。
だから、丹波の山から降りて嵐山まで歩いた。
当時の本能寺は現在の本能寺より北に位置している。
できるだけ南側を歩いて、清水寺から琵琶湖に抜ければ良かったんだ。
確か、光秀は謀反後の午後には坂本城に戻っているから。午後に丹波を出発した私たちは後を追う形で、出くわすはずはなかった。
ところでね……、
光秀、決死の覚悟で信長を討ったあと、やったことは、お手紙を書くことだった。坂本城に戻って、いろんな相手に手紙を送った。
『味方になってくれ』と、切実に頼んだ。
『みな、信長のやり方には困ってただろう』って。
でも、その甲斐はなかったんだけど。
まず、第一に誰もが織田信長の死に半信半疑だったからだ。本能寺は焼け落ち、その中から信長の首級を発見できなかった。
これは当時として大失敗だった。
首級を晒すことで天下に死を知らしめる。いわば、現代の報道みたいな形が首級だった。それがない。
だから、生きているというデマが飛んだ。
これ、秀吉も上手だった。『信長様は生きてるよ』と、いろんな人に嘘を書いた。
誰もが半信半疑。
でも、羽柴秀吉だけはちがった。
あっという間に、毛利と和合して戻る道筋をつけてたからね。
徳川家康といえば、少ないお供しかなくて、逃げる算段中だった。
この後、明智光秀は6月5日には安土城を占拠した。私たちは、6月5日には、岐阜じゃなくって、もっと下の道を歩いて、名古屋方面に抜けてるはずだった。
だが、しかし、私たちは、この重大局面で道に迷ってしまった。
野宿しながら、東を目指してたいんだけど。琵琶湖までは順調で、そっから、東に行くはずが、なぜか、右か左かわからなくなって、で、私は、この迷路から出る方法を思いついたんだ。
「これだ!」って、私。
「言うな、恐ろしい」と、すっかりイラついてるオババが、うんざりしていた。
「ほら、迷ったときは、常に、右なら右へと壁を伝っていけば、迷路を出られます」
「ここは遊園地か」
「大きい遊園地だと思えば」
オババの怒りが沸点に達した。
(つづく)
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