第6話 本能寺まで後2日:光秀はどこ?


 翌朝は、まあまあ晴れていた。湿気が多く、空気がまといつくように暑いんだ。


 5月31日。

 これは旧暦で、現代のグレゴリオ歴に直すと6月29日になる。


 梅雨なのだよ。もう、梅雨が居座って。

 京都ってね、現代だって、この時期は、そりゃあ住みにくいんで、エアコンもない戦国時代、ムシムシで息が苦しくなるほどなんだ。


「たまらんな」と、オババ。

「たまりません」


 久兵衛の屋敷だから、掘っ建て小屋よりはましだけど。それに虫除けの蚊帳はなかったけど、紙でつくった紙帳しちょうが板の間に吊り下げてあった。


 紙帳って、和紙で作っており、蚊帳かやみたいには風を通さない。

 こういう時期はしっとりと湿気も含んで、暑い!

 蚊や虫を防ぐといっても、現代ほどじゃないから。


 本能寺の2日前。

 行方不明の明智光秀よりも、夜の暑さに悩まされた。


「それで、これからどうするのだ」と、朝餉あさげのおりに九兵衛に聞いた。

「斎藤さまの下知を待って、準備をしている」

「なんの準備?」

「四国に向かう軍備なんだが」

「四国」

「長宗我部殿にどう顔向けができるのかのぅ」

「こちらを、殿さま」と、タケが甘ったる声で汁碗を差し出してる。


 白い肌を惜しげもなくはだけたムッチムチのタケは、九兵衛の近くでしなだれ、給仕をしてて。いや、いいよ。あと十数日の命だし、そりゃ、楽しめって考えたよ。


 だけどな、人間には限界がある。

 そして、その限界、アメの場合、非常にハードルが低い、いや、ないのかもしれない。


「九兵衛。暑い! 暑苦しい!」

「そりゃ、この時期だから、しょうがなかろう」

「いや、そこの女だ」と、オババが加勢した。

「あたしのこと?」と、ムッチムチがねめつけた。

「そうだ。襟元をきちっとして肌を隠せ。そういう格好が、周囲にはがまんがならん」

「きゅ、九兵衛さまぁ」


 チッ、いつの時代も女の武器を使うやからは、同性に嫌われる。

 とくに、こうも暑く寝苦しい夜を過ごしたあとは。


「九兵衛。巫女さまの御宣託がある」

「ほお、なんだ」

「その女、大凶だ」


 九兵衛、ぶっと吹き出すと、「相変わらず、アメだな」と言った。

「なにが相変わらずだ」

「いやな、付き合いも長いから、お前の本気の宣託と嘘くらいは見破れるようにはなったわ」と、ガハハと笑いやがった。

「で、その御宣託、ヤキモチと卦がでてるぞ」

「オババ、タッチ!」

「九兵衛、またボコボコにするぞ。うちの嫁がヤキモチなどやくか。純粋に、その女、暑苦しい」


 そうだ、オババ。言ってやれ!


 なんてなことで、のんびりしている場合ではなかった。


「九兵衛、文を書いてもらえないか?」

「文を、それはまた、誰に」

「明智の殿に会わねばならないと思う。九兵衛からの文を届けるとか、なんとか、まあ、会うための理由が欲しいの」

「そうか、わかった」


 相変わらずの即決即断。

 昔から気持ちいいくらいに、何も考えてなかったけど。


 私はオババと顔を見合わせた。できれば、この男に本能寺に行って欲しくない。できれば、寿命まで生きて欲しい。


 思わず、そう言いかけてやめた。


 歴史の流れは、私の力で変更できるほどヤワなものではない。それは直感みたいなものだが、そう感じて言葉をのんだ。

 もし、ここで九兵衛を救えば、未来の誰かが代わりに死ぬことになるだろう。そして、それは私の一族かもしれない。あるいは、日本人全体の問題になるかもしれない。


「それで、なんと書く」

「なにも書かなくて良い。ただ、表書きだけで白紙をいれておいてくれれば」

「よかろう、巫女殿」


 九兵衛は屈託のない明るい顔で笑った。


(つづく)


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