第1話 予兆なのか。これは変前の予兆なのか


『本能寺の変』が起きた1582年。


 不吉な年だった。

 まあ、どんな歴史的事例だって、後付けはいくらでも可能なんだと思うけど。


 でも、1582年の2月14日午後10時。

 天が真っ赤に燃えたんだ。


 宣教師フロイスによると、この年、浅間山の噴火があり、安土城の天守閣上空を赤く染めたと記録に残している。


 織田信長は安土城から、天が燃えているのを見ていたという。


 この4ヶ月後に本能寺で非業の死をとげる信長。彼が空を見ていたなんて、胸が熱くなる。


 記録によれば、本能寺前日6月1日にも異常で不吉なことが起きている。


 1日午後3時頃、日食があったという。当時の日本のこよみは太陰暦、つまり月の満ち欠けによって日にちを決めていたんだ。


 信長は公家衆に暦を見直すように告げたって記録がある。

 太陽が欠けていく様子をみて、彼は何を感じていたのだろうか。


 この翌日、明智光秀に討たれると思うと、やはり、心臓がドッキドキになってきて、いや、これは更年期じゃないから。この身体、20代だから。




 で、我がオババとアメだけど。


 私たちは坂本城下にある古川九兵衛の屋敷を訪ね、昔の足軽仲間トミとテンに会った。まあ、なんやかんやのトミとオババの大騒ぎがあって……。


「明智の殿は戻って来られたんやが、出陣準備なされたんや。すぐに丹波に向けて行かれた」と、トミが教えてくれた。

「そうなのか」

「ああ、そうや、九兵衛殿も、ご一緒に出陣された」

「いつ」

「昨日や。一歩、遅かったな」


 そういうトミの足元に2歳くらいの可愛い子が遊んでいたんだ。


「その子は」

「テンの子だ」

「可愛いいな」


 オババが言った瞬間、そのテンの子に足蹴あしげをくらった。さ、さすがにテンと九兵衛の子だ。2歳にして、運動神経がよく、性格が悪い。


「いいか、小僧、大人を叩くんじゃない」と、オババが叱った。

「アババ、オニ、鬼だあああ」


 うわっ、オババに向かって鬼とは、嫁の立場じゃ嬉しい。

 つうか、このガキ、空気を読め。

 ここで一番強いのは、あんたの両親じゃない。ここにおわす姑という最終武器を完全装備した女なんだ。


 お前のせいで、後が怖いんだ。


 そして、小僧、男の子か女の子か、まだ性別不能のこの時期で、どっちだろうと考えていたとき、ニコニコした顔でテンが出てきた。

 私は事態がのみ込めずにのけぞった。


「あ、あなたさまは」って、アワアワした。


 覚えてらっしゃるだろうか。

 私がはじめてテンに出会ったときのことを。


 初対面で首筋に短刀を突きつけたサイコ美女からの、私TUEEEの美貌の最強兵器からの、男に惚れた女のセクシーさを兼ね備えた無口な美女になって……、


 セミが脱皮して変態を繰り返した結果、そ、そ、そこにいるのは、


 トミレベルに太った、小太りの母親。


 わかる?

 ねえ、わかる?


 我が子最高の母親の愛に満ちた女が、そこに。


 いや、オババの言葉に昔の片鱗はあった。

 短刀で首筋ねらいそうに目がキラリと光ったけど。でも、隠された。


「よお、おいでなさった」と、テンが言った。

「はあはうえぇ」

「なあに?」

「あの」って、クソガキがオババを指差した。「オニが、オニなの」


クソガキ、テンの背後に隠れて言い張ってる。


「大丈夫ですよ。母が退治してあげますからね」


 ふくよか母テン、もう完璧に過保護母。


 いや、なんでこうなった。

 隣のオババを見るのが怖いぞ。現代にいたときだって、空気を読んで、そこはかとなく子どもを甘やかす、そういう風潮に完全と戦うオババだから。


 戦国時代に、もう、ここでも戦国しはじめたから。


 私はトミに目配せした。

 不穏な空気を察したトミも私にうなづいた。


 そう、トミと私、そっから逃げたのだ。

 

「オババさま、トミといろいろ話があるから。状況を知りたいから」

「先に行け。私は、ここでやることがある!」


 いや、ないでしょう。

 でも、テンが受けて立とうってにらんでっから。


(つづく)


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