織田信長、女関係と子ども


 信長はアイディアマンだった。

 当時としては斬新なものの考え方をする男で、当時どころか未来からでもなかなかにユニークな男だったと思う。


 南蛮渡来の服装をしたり、地球が丸いことを地球儀で確認したり、なかでも彼の性格がもっとも現れるのは、まだ、青年のころ、村人がバケモノのような大蛇がいると恐れる湖に裸になって探しにもぐったこと。現代よりも更に迷信深い人々が多い時代に、これは簡単なことじゃない思う。


 まあ、そんなふうにユニークな男なんだけど、

 私が彼のことで、もっとも笑うのは、自分の子どもへの名前の付け方。


 戦国時代には幼い頃の幼名、元服してあとの名前など、苗字もふくめてよく変わったんだ。当時は名前は変更することが普通。明智光秀も信長から姓をもらい、惟任これとう姓を名のっていた。


 で、信長の名付けってね。

 彼が最初に生まれた子どもにつけた名前が、これ。

 

 奇妙!


 きみょうって、もう、奇妙だよ。

これは長男信忠につけた名前。生まれたときに奇妙な顔をしてたからって。ま、生まれたばかりの子どもって、みんなETかヨーダみたいな顔してるけど、それにしても。


 次の子は茶筅ちゃせん


 次男信勝につけた名前。次男が生まれたころ信長は茶道に興味をもってね、ちょうどその時に生まれたからだそうだ。

「ふざけんないで」って、私が妻だったらいいそう。まあ、いいけど。


 四男が於次おつぎ。由来を説明するまでもなくわかる。次に生まれたっていいたいんでしょう。


 次が当時の男の子の意味の於坊おぼう。現代なら、少年と名付けるようなものだ。自分の子に、少年って名前をつけるんかい。でも、次の名前に比べれば。


 九男にいたっては「人」だよ!

 あのね、子どもってみんな人だから。名付けに疲れたんかい。

 で、まだまだあるから。


 例えば、六男には。


「おう、生まれたか」って、信長。


側女そばめの寝所にドカドカと入って来て。


「でかしたな」

「殿、おん名は?」

「そうだな、穴から生まれたから大洞おおぼらにでもしておけ」


 これ、六男の幼名だから、洞って現代では穴という意味なんだ。ちなみに、七男は小洞こぼら


 こういう男だ。信長って。正妻の濃姫の他に側室がわかっているだけで8人いる。きっと、一夜限りの女はもっといたって思う。まあ、戦国時代では普通のことで、明智光秀のように正妻ひとりという武将は逆に変わり者ともいえる。


 ちなみに、明智光秀の子どもの幼名って、たとえば有名な細川ガラシャ夫人。彼女の幼名は「たま」。玉のように美しい子だから名付けたと想像できるよね。

 光秀、普通のお父さんだ。


 ついでに徳川家光。彼は若いころは男色で女性に全く興味がなかったんだ。世継ぎが必要な将軍だから周囲は困った。


 家臣がいろいろと気に入りそうな相手をいっぱい大奥に入れたが手をつけない。結果として正室以外に側室が9人もいて、なんとか女性に興味を持ったようだ。


 この3人で女性にもっともモテたのは、やはり織田信長だと思う。

 若い頃、彼が通ると女たちが大騒ぎになったと残っている。


 その信長が来た。私たちがいる亀山城へ来た。

 こっちの準備、全くできてなかったのに。1日早く来てしまったんだ。


(つづく)

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