第7話 悲願、丹波平定のはずが…


 天正7年(1579年)京都の夏。


 山に囲まれた盆地に位置する古都は、冬は寒く夏は蒸し暑くと、現代でもなかなかの住み心地だが。戦国時代で京都の夏ってね、これだけで、もう地雷じゃない?


 現代人とちがってマチの体は耐性があるとは思う。

 だけど、暑いものは暑い。


 まあ、そんなことで、太陽に焼けた欄干らんかんから離れた。


 さて、あの典雅な光秀は座敷に戻り、一段高い畳の脇息きょうそくにもたれると着物を肩にかけた。え? 暑くないのか? 汗ひとつかいてないぞ。生まれながらの貴人とは、かくも浮世離れした存在なんかい。


「殿」と、私は言った。


 明智光秀と徳川家光、どっちの名前で呼ぶのか混乱してね、現代でもよく使う方法に至った。名前を呼ばない。私、名前をよく忘れる非常に困ったやつなんで。


「なんだね」

「ちょっと、廊下に」と、私。

「オババとやらと先に話をしたいのか」


 心を見通すような態度でさ。これが似合う男って、もう、どうってことよ?

 口元にうっすらと笑いを含んでるし、ぜったい戦国時代には似つかわしくないって、このビジュアル系男子の余裕は。


 中身が変わると外見の印象も変わると、これで確信してもいた。


 以前から思っていたことだけどね。


 ほら、すごい美人で、黙っているとワオっておもう女性が、高音でキャンキャン話して、せっかちに動きまわると、それだけでもうビジュアルが下がるって、そういう経験ない?


 一方、顔立ちは普通だけど雰囲気美人っていると思う。光秀と家光の差って、そういうところなんだ。


 私がなにも答えずにいると、興味を失ったのか欠伸あくび混じりに、「好きにするがよい」と、奴は言った。


 やはり、人任せの家光って本当かもしれない。


 私は廊下にでてオババを待った。で、遠くから歩いてきたのは、やっぱりオババだったんだ。


 ウブな門番に向かって威嚇のダンスをしたらしくて。もう、すみません、21世紀に生きるすべての人類に向かって謝りたい。

 現代人 VS 戦国人。

 恥の上塗うわぬり合戦で、オババを出してるわけじゃないから。


 オババといえば近侍者を従えて、ここ、間違って書いてないから、従えていたんだ、連れて来られてるんじゃなくて。

 私の顔をみると、口元を歪めて笑い、ノンキに手を振ってきた。

 まるで、銀座でショッピングの待ちあわせしてる気軽さだ。


「アメ」

「オババ」


 途中のオババとの厄介ごとはすっとばしとく、で、今の状況をオババに説明した。すると、「家光ってだれだ」って。


 もう、そっから?


 仕方なく、徳川幕府の三代目とか、お市の方の娘が母親だとか、ま、そんなこんなをコソコソ説明しているとき。


 数名の者が廊下をすり足で走ってきた。私たちを無視して問いかけもせずにふすまを開いた。


「殿!」と、襖を開いた。

「何用だ、騒々しい」

「殿、先ほど使いの者が参り、黒井城が落ちたと」


 光秀は興味なさそうにうなづいた。家臣たちは困っているように見える。彼らの興奮が殿には伝わっていない。

 そうか、だから、誰もが病気なのかもしれないと不信に思っているのだ。


 光秀もとい徳川家光。

 このままではまずい!

 非常にまずい。


 黒井城が陥落した意味をまったく理解していない。

 この城が陥落した。つまり、数年もかけた丹波平定が成ったということだ。


 家臣が興奮するのもわかる。


 そして、戦場から九兵衛が戻って来た理由も、それがあったのだろう。


 だが、その光秀は脇息きょうそくにもたれ、美しい顔で平然と「よきに計らえ」と、言っている。家臣たちは、あきらかな戸惑いを浮かべた。


「オババ」

「どうした、アメ」

「私、あの男の側室になります」

「へ?」

「側室って側女のことか」

「意味、いっしょです」

「この、バカチンがぁ、なにを言うとる!」

「オババ、このままでは光秀は歴史から消える」

「なぜだ」

「あの、やる気のない男が信長に好かれるはずがない」


 オババは美しくアンニュイしてる男を眺めた。


「あれは少し性格にかたよりがありそうだ」

「まさに、戦場で戦う気もなさそうです」

「すると、どうなる」

「このままでは、歴史が修正され、徳川が天下を取れない」

「それで」

「私たち、全員がどっかの時点で消えるかもしれない」


 過去へ飛んで未来を修正しようとした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティを想像したんだ。もし、あれと一緒ならと青ざめた。


「それが側女そばめになる理由か」

「だから、側について、ビシバシと」

「そういうことか! わかった、アメ。私も側女になろう」


 いやいや、オババ。なぜ、そこにいたる。


(つづく)

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