第4話 飾り気のない高貴な男


「よい、九兵衛とやら」と、光秀は言った。


 まるで九兵衛が初対面のような話し方で、これまで生死を共にしてきたと思えば、失礼な奴ではある。が、反感をもてないんだ。彼の口調は率直で飾り気がなく、いかにも自然だからかもしれない。


「しかし、殿」

「この女とふたりで話したい」


 やはりか…、光秀さん。


 うん、私は気づいてしまったよ。

 以前、6年前にこちらに入れ替わったとき、弥助という下人と出会った。彼は昭和初期の陸軍一兵卒だったが、入れ替わりで織田信長の下人になっていた。


 この光秀は…


 私は肩頬をあげて、オババのようにニッと笑った。


「お前たちは下がれ」

「殿」

「よい、女、名前はなんであったか」

「アメです」

「おアメか」

「いえ、そこは、はつけずに」

「あい、わかった。このアメを残して、みな、下がれ」

「しかし、殿、このような胡散臭うさんくさいオナゴと二人っきりとは、それはいかがなものかと」


 斎藤利三が不満の声をあげた。


 いや、おっちゃん。いかに偉い人とはいえ、本人を目の前に胡散臭いとはないよ。オババじゃないけど、威嚇すっから。ていうか、これ、思考回路がオババと似てきていない? まずくない? いや、まあ、今、そこを考えるのはよしておこう。後で考えるのもやめとこっと。


 でね、ふっと背筋がゾクってしたんだ。いや、オババのことじゃなくて光秀なんだけど。彼の視線だ。斎藤をまっすぐに睨むと、心が凍るような声で名を呼んだ。


「斎藤」って。


 苗字だけを低く呼んだ。大声だしたわけじゃないけど、そこにある威厳はそんじょそこらのエセ職人の声じゃない。長い年月、人を従えてきた特別の威厳があったんで、だから、偉そうな斎藤が思わずひれ伏した。


「ははあ」

「余には妻がおらんようだ。この者をとろう」


 え? 今、この威厳いっぱいに、この男、優雅にさらって何と言った?


 娶ろうって、それ、嫁ってことだよね。

 よいか、光秀。いくら私でもな、光秀とあんなことやこんなことや、良い子の皆さんの目と耳をふさぐような、そんなことはできない。


 ここはきっぱり言わせていただく。エロ系、なしだから!


「断る!」


 私は断固とした態度で言いきった。


「殿、そのような下賤げせんな身分の女を」と、斎藤も抗議した。


 いや、下賤はひどい。ま、マチは貧農の生まれだけど、福沢諭吉さまの言葉を知らんのかい。


『天は人のうえに人を作らず。人の下に…』だよ。


 この言葉、実際はアメリカの独立戦争の宣言を引用して、そう言ってるがと続くんだけど、今はそこじゃない。


 今はそこじゃないけど。


「よいか、斎藤、この女を側女にする」

「しかし、殿」

「いいから、部屋をでよ。話はあとだ」

「わかり申した」


 斎藤利三、話わかりすぎ。もうちょっと抗議してもいいし、なんなら、九兵衛。

 え? おい、九兵衛、すでに部屋から出てる。


 ちょ、ちょっと待ったー!


 私をここへ一人残したら、あとでオババが怖いからなって。


 え?

 でも、もう誰もいない? 二人きりって。


「どうした、アメ」


 光秀が優雅に微笑んでいた。余裕で笑っている。こいつ、性格悪いな。いったい、本当は誰なんだ。


「光秀殿、お人払いをなされた理由を」

「そなた、なかなかに頭が回るようだ。そういう女は好きではないがな。昔、知っておった者に似ておる」

「昔、ご存知だった女に」

「気にするな。今はそういう問題ではなかろう」


 光秀の目は澄んでいた。側女と言ったわりには、男としての何ちゅうの? ギラギラした欲望っての、まったく感じない。いっそこっちが傷つくってほど女として認められてない気がする。


「先ほど、余は聞き間違えたか」と、彼はすずやかに聞いた。

「何をでしょうか」

「断るとはな。よいか、側女にするといえば喜ぶものであろう」

「残念ながら、こんりんざいの、コンコンチキです」


 光秀は目を大きく広げ、それから、笑った。その声はおおらかで、育ちの良さを感じさせるものだった。


 これまで面倒臭そうに脇息きょうそくにもたれていた彼は、はじめて立ち上がると、はおっていた着物をぬいだ。

 私は警戒した。

 この時代は男も女も現代とは価値観が違って、みな元気に野獣だ。


 一方、私は確信もしていた。彼は光秀ではない。


 そんな私を尻目に光秀は優雅な所作で立ち上がり、外光をうっすらと透かしていた障子を左右に開けた。


「こちらに来い」

「いえ、このままで」

「心配せずとも、襲いはせぬ」


 私は迷った。そして、迷いながら立ち上がり欄干らんかんに立つ光秀の横に立った。


「見よ、この景色を。荒れた大地に作物は干上がっておる」

「貧しい世界です」

「そのようだ」


 光秀の目に悲しみのようなものが宿っていた。


「あなたは、どこから来たのです」

「そういうお主は、どこからだ」

「未来です」

「未来? それはどういう意味だ」


 未来という言葉を知らない。では、意識が入れ替わったのではないのか。あるいは、過去のどこかの世界から。


「未来とは、明日の先です」

「今はいつだ」

「いつ…。それは、天正7年だと思っています」

「天正7年…。そうか、納得するしかないようだな」


 彼は深いため息をつくと自分に言い聞かせるように呟いた。その横顔が、あの、もう、ほんと美しい。先ほどの側女の話、ちと揺らいで、いやいや、オババの顔が浮かんでゾクッとした。


「あなたは明智光秀殿なのですか?」


 光秀が私を見る。片頬をあるかないかほど、少しだけあげた。この男は自分の感情を隠すことに慣れている。


「いや、違う」と、男は言った。


(つづく)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る